片喰紋 -平和的、協調的、平凡な極めて日本的な紋- 長曾我部元親、野口英世、田中角栄...

片喰は、日本の普通の農村、野山に自生する、いわゆる雑草である。

江戸時代、葵紋は徳川家の紋所として、その他の人が使用するのが禁止されていた。
この葵紋と類似した形状を持つ片喰紋は爆発的に広まった。

普通にノンポリで、普通に可愛いい物好きで、普通に平和的で、普通に協調性のある日本人を一番よく表している紋である。

落語等で、「あの、おケツが3つ付いた紋」などと、滑稽に言い表されることがあるが、これは葵紋へのパロディと片喰紋への親しみを表現していたのだと思う。

日本で一番、広く使用されている家紋。
田中姓に多く使用されているとも言われているが、特に、田中姓が西日本に広く分布していることと平行して、西日本の地域ではほとんど1位である。

山形県、福島県、茨城県、東京都、長野県、福井県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、鳥取県、島根県、山口県、香川県、徳島県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県で1位。
ベスト5にはずれるのは、わずかに、宮城県(6位)、鹿児島県(14位)といったところのみ。


長曾我部元親。1539年 – 1599年9月12日、武将。戦国大名。
本姓は秦氏。家系は秦の始皇帝を祖とする秦河勝の血筋の長宗我部氏。家督を継いで土佐国人から戦国大名に成長し阿波の三好氏、讃岐の十河氏、伊予の河野氏らを破って四国の覇者となるが豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となった。家紋は七つ片喰。


酒井重忠。1549年 – 1617年8月22日、徳川氏家臣。
三河国坂井郷出身。徳川氏の譜代家臣・酒井正親の次男。姉川の戦いなど、家康初期の主要な合戦に参加して武功を挙げた。関ヶ原の戦いでは本戦に参加後、近江国大津城の守備を担う。武蔵国川越藩主、上野国厩橋藩初代藩主、雅楽頭系酒井家宗家初代。


角倉了以。1554年 – 1614年8月17日、豪商。
近江国犬上郡吉田村出身。本姓は吉田氏。佐々木氏の分家。朱印船貿易の開始とともに安南国などとの貿易を行う。幕命により大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削を行った。家紋は扇地紙に片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園の別の角倉家墓所より。


成瀬正成。1567年 – 1625年2月23日、徳川氏の家臣。
幼少の頃より小姓として徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いで初陣。小田原征伐で功を挙げ、下総国葛飾郡栗原4000石を与えられた。家康の老中となって本多正純、安藤直次らと共に政務の中枢、初期幕政に参与した。家紋は丸に片喰。


宇喜多秀家。1572年 – 1655年12月17日、武将・大名。
備前国岡山城主の宇喜多直家の次男として出生。幼名は八郎。羽柴秀吉による備中高松城攻めに協力。秀吉の寵愛を受けて猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ、流人として伊豆諸島・八丈島へ配流。家紋は剣片喰と児の字。


丸橋忠弥。生年不詳 – 1651年9月24日、武士。
長宗我部盛親の側室の子として生まれ、母の姓である丸橋を名乗ったとも言われる。由井正雪の片腕として幕府転覆計画に加担(慶安の変)。家紋は三つ目結と丸に片喰紋。顔画像は歌舞伎「花菖蒲慶安実記」の丸橋忠弥。家紋画像は慈眼寺・金乗院にて撮影。


幡随院長兵衛。1622年 – 1657年8月27日、侠客。
佐賀藩の武士・塚本伊織の子で口入れ屋を営んでいた。本名は塚本伊太郎。旗本奴と対立し町奴の頭領となったとされる。日本の侠客の元祖とも言われ歌舞伎、講談の題材に盛んに使われた。中でも『極付幡随長兵衛』が有名。家紋は丸に片喰。


青木昆陽。1698年6月19日 – 1769年11月9日、儒学者、蘭学者。
江戸日本橋小田原町の魚屋の1人息子として生まれる。京都の儒学者・伊藤東涯に私淑して儒学を学ぶ。徳川吉宗の命を受け、薩摩芋の試作に成功。後に薩摩芋の栽培が普及し天明の大飢饉では多くの人々の命を救う。家紋は剣片喰。画像は目黒・滝泉寺にて。


高橋至時。1764年12月22日 – 1804年2月15日、天文学者。
大阪定番同心の子として出生。通称・作左衛門。読みは、たかはしよしとき。伊能忠敬に西洋暦を教え忠敬の日本全国の地理測量を支援。伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させた高橋景保の父。画像は上野源空寺の墓所にて撮影。


国定忠治。1810年 – 1851年1月22日、侠客。
上野国佐位郡国定村の豪農の家に出生。父は国定村の百姓与五左衛門。本名は長岡忠次郎。後に博徒となって上州から信州一帯を実質支配。天保の大飢饉で農民を救済した侠客として伝説化された。家紋は丸に剣片喰紋。画像は養寿寺にて撮影。


入江長八。1815年9月7日 – 1889年10月8日、左官職人、工芸家。
伊豆国松崎村明地に農家の長男。26歳で江戸日本橋茅場町にあった薬師堂の御拝柱の左右に『昇り竜』と『下り竜』を造り上げて名工「伊豆の長八」として名を馳せた。漫画家つげ義春の作品「長八の宿」によって知名度が上がる。画像は上野・正定寺。


清水次郎長。1820年2月14日 – 1893年6月12日、侠客。
駿河国有渡郡清水湊の船持ち船頭・三右衛門の三男に生まれ、母方の叔父で米穀商の甲田屋の主の次郎八の養子となった。本名は山本長五郎。戊辰戦争で戦死した幕府軍の遺体を埋葬。浪花節の題材として取り上げられ人気を博す。家紋は丸に片喰。


河井継之助。1827年1月27日 – 1868年10月1日、武士。
長岡城下に出生。近代的合理主義を持ち時代を見据える先見性と実行性を有しながらも長岡藩家臣として新政府軍に対抗する道を選ぶ。河井家先祖は元々近江国膳所藩本多氏の家臣。司馬遼太郎の『』により一躍有名になる。家紋は丸に剣片喰紋。


杉亨二。1828年9月10日 – 1917年12月4日、統計学者、啓蒙家。
肥前国長崎に出生。中津藩江戸藩邸の蘭学校(慶應義塾の前身)にて教鞭をとり老中・阿部正弘の侍講となる。維新後は明六社の結成に参加。全国の総人口の現在調査を志し日本近代統計の祖と称される。家紋は太丸に片喰。画像は染井霊園にて撮影。


島本仲道。1833年6月5日 – 1893年1月2日、藩士、官僚。
土佐国出身。土佐勤王党に参加し終身刑の宣告を受けるも赦され戊辰戦争で活躍。維新後は官僚として近代日本国家の検察、警察、弁護士機構制度の確立に尽力。自由民権運動に参加、保安条例で処分される。家紋は丸に剣片喰紋。青山霊園にて撮影。


近藤長次郎。1838年4月1日 – 1866年2月28日、志士。
高知城下の饅頭商人の息子として生まれる。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。


中村重遠。1840年12月25日 – 1884年2月22日、陸軍軍人。
土佐国宿毛村に小野弥源次の子として出生。中村儀平の養子となる。戊辰戦争、佐賀の乱、西南戦争に出征し軍功をあげる。廃城に瀕した姫路城を陸軍の費用で修復、姫路城には大顕彰碑がある。家紋は中陰松皮菱に片喰紋。画像は青山霊園にて撮影。


田中正造。1841年12月15日 – 1913年9月4日、代議士。
下野国小中村の名主の家に出生。岩松氏の一族という。父の跡を継いで小中村名主となり幕末から村民らと領主に対して政治的要求を行う。足尾銅山鉱毒事件の告発者として有名。衆議院議員選挙に当選6回。家紋は丸に片喰紋。


伊藤忠兵衛 (初代)。1842年8月7日 – 1903年7月8日、実業家。
滋賀県豊郷町出身。実家は「紅長」という屋号の繊維小売業。伊藤忠商事丸紅という2つの大手総合商社を創業し多角的経営によって伊藤忠財閥を形成した。郷土、豊郷村の村長を務め郷土の人からも愛された。家紋は丸に片喰紋。伊藤忠兵衛記念館にて。


酒井孫八郎。1845年12月15日 – 1879年4月15日、桑名藩の家老。
実家服部氏は徳川家康に仕えた服部正成(服部半蔵)の系譜につながる。桑名藩家老・酒井三右衛門の養子に迎えられる。藩論を尊王派で統一し桑名城を無血開城して新政府に恭順。家紋は丸に剣片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


外山正一。1848年10月23日 – 1900年3月8日、教育家・文学者。
江戸小石川出身。父は旗本の外山忠兵衛正義。『新体詩抄』は近代文学に多大な影響を与えた。大日本帝国憲法発布の記念式典に明治天皇に対して万歳を唱えた。東京帝大文科大学長を経て同総長、第3次伊藤博文内閣の文部大臣を務めた。画像は谷中霊園。


濱尾新。1849年5月12日 – 1925年9月25日、教育行政官、政治家。
但馬豊岡藩士・濱尾嘉平治の子として豊岡に生まれる。東京美術学校校長代理、文部大臣、東京帝国大学総長、貴族院議員、東宮御学問所・東宮大夫副総裁、枢密院議長、内大臣臨時代理などを歴任。家紋は剣片喰。画像は染井霊園にて撮影。


原田二郎。1849年11月24日 – 1930年5月5日、実業家。
伊勢国松坂に紀州藩士の原田清一郎の長男として生まれる。大阪の鴻池財閥経営者。鴻池家監督に就任するなど,鴻池銀行および鴻池家政の事実上の最高経営者となった。経営方針は堅実を旨とした。家紋は丸に片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


浜田玄達。1855年1月14日 – 1915年2月16日、医学者。
肥後国(熊本県)大岳村出身。日本の産婦人科学のパイオニアとして日本婦人科学会を創立、会長を連続務めた。また、帝大医科大(東大)教授、医科大学長、宮内省御用掛もつとめた。家紋は丁子片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


門野幾之進。1856年4月18日 – 1938年11月18日、実業家。
志摩鳥羽藩の家老・門野豊右衛門の長子。阿部泰蔵らと共に千代田生命保険を創立。千代田生命保険社長、時事新報会長、交詢社会長、日本無線電信設立委員、国際観光委員会等を歴任。家紋は丸に剣片喰紋。画像は青山霊園にて撮影。


酒井忠匡。1857年1月14日 – 1911年4月30日、藩主、知事。
出羽松山藩8代で最後の藩主。左衛門尉酒井家分家8代目。読みは、さかいただまさ。父が戊辰戦争で幕府側に与したために強制隠居処分となったため、家督を継ぐ。版籍奉還により知藩事となる。家紋は平隅入り角に片喰紋。画像は天王寺墓地にて撮影。


伊東巳代治。1857年5月29日 – 1934年2月19日、官僚、政治家。
長崎県出身。明治天皇の母方のいとこでもある。井上毅、金子堅太郎と共に大日本帝国憲法起草に参画。東京日日新聞(現在の毎日新聞)を買収し、在官のまま第3代社長となる。家紋は丸に剣片喰紋。画像は和田堀廟所で撮影。


柳家小さん(3代)。1857年9月20日 – 1930年11月29日、落語家。
一橋家家臣の家に生まれる。本名は豊嶋銀之助。上方落語ネタを江戸落語に移植した演目が多い。得意ネタは「らくだ」「にらみ返し」「天災」「青菜」「うどんや」等。あの夏目漱石も『三四郎』の中で小さんについて書いている。家紋は丸に片喰紋。


斎藤実。1858年12月2日 – 1936年2月26日、海軍軍人、政治家。
陸奥国水沢藩で水沢藩士・齋藤耕平の子として出生。読みは、さいとうまこと。第30代内閣総理大臣として農村の救済、満州国承認等を行う。最終階級は海軍大将。外務大臣、文部大臣、内大臣、ボーイスカウト日本連盟総長等も歴任。画像は多磨霊園。


長瀬富郎。1863年12月31日 – 1911年10月26日、実業家。
美濃国恵那郡福岡村出身。12歳で奉公に出る。23歳で独立を果たし「長瀬商店」を馬喰町に創業。高品質の「花王石鹸」製造に成功。シアトル万国博覧会で金杯を獲得。現在の花王の基礎を築く。家紋は丸に剣片喰。画像は染井霊園にて撮影。


山座円次郎。1866年12月2日 – 1914年5月28日、外交官。
福岡藩の足軽・山座省吾の次男として、福岡に生まれる。東京帝国大学の学生時代以来、南方熊楠と親しかったという。日露ポーツマス講和会議に随員として出席するなど小村外交の中心的役割を担った。家紋は剣片喰紋。画像は青山霊園にて撮影。


比留間賢八。1867年4月19日 – 1936年4月15日、マンドリン奏者。
東京生まれ。渡欧後に、マンドリン教室を開く。日本のマンドリンの普及に尽力。その門下には音楽家の齋藤秀雄、華族の徳川義親、土方与志、作家の里見弴、詩人の萩原朔太郎、画家の藤田嗣治がいる。家紋は重ね片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


鈴木喜三郎。1867年11月6日 – 1940年6月24日、官僚、政治家。
神奈川県川崎市の川島家に生まれ、大師本町天台宗明長寺の12世鈴木慈孝の養子となる。司法官僚から、貴族院議員、清浦奎吾内閣の司法大臣、田中義一内閣の内務大臣を歴任し、犬養毅暗殺後の立憲政友会第7代総裁を務めた。画像は谷中霊園にて撮影。


横山大観。1868年11月2日 – 1958年2月26日、美術家。
旧水戸藩藩士・酒井捨彦の長男。朦朧体と呼ばれる線描を抑えた独特の没線描法を確立した近代日本画壇の巨匠。戦中に自らが売却した絵の代金を軍に寄付したため終戦後に戦犯容疑者として取り調べを受けた。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


西田幾太郎。1870年6月17日 – 1945年6月7日、哲学者。
石川県かほく市森に出生。西田家は江戸時代には十村(大庄屋)を務めた豪家。近代哲学を基礎に仏教思想、西洋哲学を融合させようとした。その「絶対矛盾的自己同一」論は有名。代表作は『善の研究』。家紋は片喰紋。西田幾多郎記念哲学館にて確認。


木村栄。1870年10月4日 – 1943年9月26日、天文学者。
石川県金沢市出身。読みは、きむらひさし。水沢緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)の所長に就任。位置天文学の研究、Z項の発見などの業績を残す。学士院恩賜賞、文化勲章を受勲。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


国木田独歩。1871年8月30日 – 1908年6月23日、小説家、詩人。
千葉県銚子生まれ。父・専八は旧龍野藩士。民友社に入り徳富蘇峰の『国民新聞』の記者となる。『独歩吟』を『国民之友』に発表。自然主義文学のはしりとなる。代表作『巡査』『忘れえぬ人々』『牛肉と馬鈴薯』『武蔵野』等。家紋は丸に片喰紋。


山下芳太郎。1871年12月24日 – 1923年4月7日、言語政策研究家。
愛媛県出身。外務省勤務後、住友に転職し住友鋳鋼所、住友製鋼所等の重役を務める。後に、漢字を非効率と考え、カタカナの左横書き文書普及を目指すカナモジ運動に専念するためすべての役職から退く。家紋は剣片喰紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。


桃中軒雲右衛門。1873年10月25日 – 1916年11月7日、浪曲師。
出生地は茨城県説、埼玉県説、群馬県説など。本名は岡本峰吉。武士道鼓吹を旗印に掲げ大阪中座や東京本郷座で大入りをとり、それまで寄席芸であった浪曲の劇場への進出を果たす。家紋は丸に剣片喰紋。画像は墓所の東京都品川区の天妙国寺にて撮影。


島崎赤太郎。1874年7月9日 – 1933年4月13日、音楽教育者。
東京の築地に生まれた。文部省著作『尋常小学唱歌』の作曲委員会主任。『中学唱歌』などの選曲編集にも尽力。西南学院大学、立教大学などの校歌も作曲。代表曲は「最上川」。家紋は丸に剣片喰紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


野口英世。1876年11月9日 – 1928年5月21日、細菌学者。
福島県耶麻郡三ッ和村に野口佐代助・シカ夫妻の長男として生まれる。黄熱病や梅毒等の研究で知られる。ガーナのアクラで黄熱病原を研究中に自身も感染して51歳で死去。千円札の肖像になっている。家紋は剣片喰紋。野口英世記念会にて確認。


磯村春子。1877年3月16日 – 1918年1月31日、新聞記者。
福島県相馬郡中村町出身。『報知新聞』記者となり婦人問題を担当。青鞜社同人らとも交流をもつ。NHK朝の連続ドラマ「はね駒(こんま)」の主役・りん(斉藤由貴演)のモデルとなる。家紋は丸に片喰紋。画像は中野・高徳寺にて撮影。


平賀譲。1878年3月8日 – 1943年2月17日、海軍軍人、工学者。
東京府生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。読みは、ひらがゆずる。八八艦隊主力艦の基本計画を担当。最終階級は海軍技術中将。1938年に東京帝大総長となる。家紋は丸に剣片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


佐分利貞男。1879年1月20日 – 1929年11月29日、外交官。
佐分利家は備後福山藩士。大使館参事官、通商局長、条約局長等を歴任。箱根宮ノ下の富士屋ホテルにおいて変死体で発見され自殺とされたが大陸浪人説、中国国民党工作員説などの他殺説もある。家紋は丸に片喰。画像は文京区吉祥寺にて撮影。


石原誠。1879年5月18日 – 1938年12月11日、生理学者。
兵庫県伊丹出身。読みは、いしはらまこと。日本で初めて心電図を記録する。心臓の自働性の研究(心臓前房の電流曲線の研究)に業績をあげ、コイやフナの血清学的研究などで知られた。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


今村紫紅。1880年12月16日 – 1916年2月28日、日本画家。
神奈川県横浜市出身。読みは、いまむら しこう。大胆で独創的な作品は画壇に新鮮な刺激を与え、後進の画家に大きな影響を与えた。代表作は「平親王」「伊達政宗」「近江八景」「熱国之巻」など。家紋は丸に剣片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


森恪。1882年2月28日 – 1932年12月11日、政治家。
大阪府大阪市西区江戸掘出身。読みは、もりかく。本名はもりつとむ。日露戦争ではバルチック艦隊の航跡を打電して日本海海戦の勝利に民間から貢献したという。政治家としては軍部と提携し日本の中国侵出に役割を果たす。画像は青山霊園にて撮影。


江崎利一。1882年12月23日 – 1980年2月2日、実業家。
佐賀県神埼郡蓮池村出身。薬種業・清七、タツの長男として生まれる。現社長・江崎勝久の祖父。小学校高等科卒業後、家業である薬種業を引き継ぐ。カキに含まれるグリコーゲンで企業化を思いつき江崎グリコの前身・江崎を創立した。家紋は丸に片喰紋。


宮城音五郎。1883年8月3日 – 1967年9月14日、学者、政治家。
埼玉県出身。読みは、みやぎおとごろう。兄は司法大臣の宮城長五郎。義姉に宮城タマヨ(参議院議員)がいる。仙台第一中学校校長、東北帝國大学教授、宮城県知事、東北工業大学学長などを歴任した。家紋は丸に剣片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


三遊亭圓生(5代目)。1884年10月 – 1940年1月23日、落語家。
東京の大工の子として生まれるが、6歳で実父が出奔する。本名、村田源治。通称「デブの圓生」。落語家として始めて渡米して興行。帰国後は師匠圓蔵と共に落語界の重鎮として活躍。家紋は丸に片喰。画像は北烏山の永隆寺の墓所にて撮影。


塚原二四三。1887年4月3日 – 1966年3月6日、海軍軍人。
福井県出身(本籍は山梨県)。読みは、つかはらにしぞう、または、つかはらふしみ。大東亜戦争では、第11航空艦隊司令長官に任じられた。最終階級は海軍大将(井上成美とともに海軍大将に昇進した)。家紋は丸に剣片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


安井曾太郎。1888年5月17日 – 1955年12月14日、洋画家。
京都で木綿問屋を営む商人の家に出生。戦前・戦後を通じて昭和期を代表する洋画家と評される。1935年 帝国美術院会員 1952年 文化勲章 1952年 文化功労者。代表作「婦人像」「金蓉」「承徳喇嘛廟」。家紋は丸に剣片喰紋。画像は蔵前・正覚寺にて撮影。


内田百閒。1889年5月29日 – 1971年4月20日、小説家、随筆家。
岡山の造り酒屋の一人息子として出生。夏目漱石の門下で独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。代表作は、『旅順入城式』 『阿房列車』。黒澤明監督による映画「まあだだよ」の題材となる。家紋は丸に剣片喰紋。画像は中野の金剛寺にて撮影。


久保田万太郎。1889年11月7日 – 1963年5月6日、小説家、俳人。
東京・浅草生まれ。画像は本郷の喜福寺の墓所にて。俳誌『春燈』を主宰。句集『道芝』『流寓抄』を発表。岸田国士、岩田豊雄らと劇団文学座を結成。日本演劇協会会長となる。『三の酉』で読売文学賞受賞。画像は本郷・喜福寺にて撮影。


沢モリノ。1890年3月 – 1933年5月14日、舞踏家。
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身。本名は深澤千代。同じ帝国劇場出身の石井漠らと東京歌劇座を結成、浅草公園六区の日本館で公演。後に「沢モリノ一座」で活動。朝鮮の劇場で『瀕死の白鳥』を公演中に倒れ死亡。画像は多磨霊園。


麻生久。1891年5月24日 – 1940年9月6日、政治家・労働運動家。
大分県玖珠郡東飯田村出身。日本労働組合総同盟の政治部長となり無産政党運動に参加。日本労農党を結成、後に社会民衆党と合併して社会大衆党となり書記長に就任。第2次近衛内閣で新体制準備委員会委員となる。家紋は剣片喰紋。画像は多磨霊園にて。


大錦卯一郎。1891年11月25日 – 1941年5月13日、第26代横綱
大阪府大阪市中央区出身。本名は細川卯一郎。入幕からわずか5場所での横綱昇進するという記録を持っている。幕内在位17場所、119勝16敗3分32休、勝率.881。119勝中の47番を吊り出しで決めたという。家紋は丸に片喰紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。


福原麟太郎。1894年10月23日 – 1981年1月18日、文学者。
広島県沼隈郡神村生まれ。日本英文学会会長、東京教育大学文学部長、日本芸術院会員となる。定年で退官後も研究を続けた。代表作は「天才について」「幸福について」「人間の教育」等。家紋は丸に剣片喰紋。画像は雑司が谷霊園にて撮影。


山野千枝子。1895年3月11日 – 1970年2月11日、美容家。
神奈川県出身。ニューヨークでまなび、東京の丸ビルに美容院を開きパーマネントを普及させる。戦後もコールドパーマの導入など美容界の発展に尽くし全日本美容連盟を結成した。東京高等美容学院長。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


鹿島守之助。1896年2月2日 – 1975年12月3日、実業家、政治家。
兵庫県揖保郡半田村新在家の永富敏夫の四男。鹿島組社長・鹿島精一の娘婿となり鹿島建設を率いる。後に参議院議員、北海道開発庁長官も務める。「鹿島平和賞」を表彰するなど文化的活動も行い文化功労賞も受賞。画像は文京区・吉祥寺にて撮影。


尾崎翠。1896年12月20日 – 1971年7月8日、小説家。
鳥取県岩美郡出身。読みは、おざきみどり。「女人芸術」に映画評『映画漫想』を連載。短篇「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」発表。近年、映画化されるなど評価が高まっている。画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は石持ち地抜き剣片喰紋。


山野一郎。1899年12月15日 – 1958年12月18日、漫談家、俳優。
新潟県古志郡半蔵金村生まれ。本名は山内幸一。エッセイスト山内美郷の祖父。活動弁士になる。新宿武蔵野館専属となり徳川夢声らと活動弁士として活躍。漫談家・俳優としても活躍し古川緑波らとナヤマシ会を結成。画像は雑司が谷霊園にて撮影。


柳瀬正夢。1900年1月12日 – 1945年5月25日、美術家、画家。
愛媛県出身。村山知義等とともにMAVOを結成し前衛美術に進む。治安維持法違反で検挙され拷問を受ける。カリカチュア、絵画、デザイン、コラージュ、舞台美術など、幅広く活躍。家紋は丸に剣片喰紋。画像は小平・圓龍寺の柳瀬家の墓所にて撮影。


白洲次郎。1902年2月17日 – 1985年11月28日、官僚、政治家。
兵庫県芦屋市出身。妻は白洲正子。父は、白洲文平。終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力株式会社会長などを歴任。白洲正子の回想録に、白洲次郎の母から「ウチの紋はカタバミですよ」と言われたとの記述がある。


栗島すみ子。1902年3月15日 – 1987年8月16日、女優。
東京都渋谷区道玄坂に出生。新派俳優栗島狭衣の養女となる。子役として活動写真や演劇に出演。水木流舞踊の宗家として活動を続け淡島千景池内淳子など多くの弟子を育てる。代表出演作は『椿姫』『二人静』『流れる』。画像は池上本門寺にて撮影。


三角寛。1903年7月2日 – 1971年11月8日、小説家、山窩作家。
大分県直入郡馬籠に出生。本名は三浦守。読みは、みすみかん。山窩小説三部作と言われる『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』を発表。戦後は映画館「人世坐」「文芸坐」の経営にあたる。家紋は丸に剣片喰紋。画像は大久保・全龍寺にて撮影。


稲山嘉寛。1904年1月2日 – 1987年10月9日、実業家、財界人。
東京市京橋区銀座出身。読みは、いなやまよしひろ。新日鉄の初代社長、会長を務める。土光敏夫の後継として第5代経団連会長に就任。国際協調を重視した。1982年勲一等旭日大綬章受章。家紋は丸に剣片喰紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


笠智衆。1904年5月13日 – 1993年3月16日、映画俳優。
熊本県玉名郡出身。読みは、りゅうちしゅう。『東京物語』『秋刀魚の味』等、小津安二郎の作品では重要な役を演じている。また、『男はつらいよ』シリーズの御前様としてもよく知られている。家紋は丸に剣片喰紋。北鎌倉の成福寺にて撮影。


千田是也。1904年7月15日 – 1994年12月21日、演出家、俳優。
東京都出身。本名は伊藤圀夫。芸名は千駄ケ谷のコリアンをもじる。土方与志、小山内薫らによる築地小劇場創立に参加。俳優座の創立メンバーのひとりであり、亡くなるまで俳優座代表を務めた。家紋は丸に丸に片喰。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


入江相政。1905年6月29日 – 1985年9月29日、歌人、随筆家。
東京市麻布区出身。藤原北家の支流・冷泉家の流れを汲む入江為守子爵の三男。読みは、いりえすけまさ。昭和天皇の侍従長を務める。著書に『陛下の側近として五十年』『入江相政日記』などがある。画像は青山霊園の別の入江家の墓所にて撮影。


成瀬巳喜男。1905年8月20日 – 1969年7月2日、映画監督。
東京都四谷出身。松竹蒲田撮影所に入社。小津、溝口、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えられる。高峰秀子とのコンビで多数の作品を手がける。代表作は『めし』『浮雲』『流れる』等。家紋は丸に片喰。画像は世田谷区・圓光寺にて撮影。


坂口安吾。1906年10月20日 – 1955年2月17日、小説家。
新潟県新潟市出身。衆議院議員の坂口仁一郎の五男。本名は坂口炳五。終戦直後、「堕落論」「白痴」で文壇に衝撃を与えた。代表作は「信長」「桜の森の満開の下」等。家紋は十二葉菊輪に剣片喰紋。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。


宮武三郎。1907年7月23日 – 1956年12月11日、プロ野球選手。
香川県高松市生まれ。高松商業学校時代は水原茂とともに甲子園全国制覇。東京六大学では慶応大学のスター選手として活躍。阪急軍が結成されると入団。投手のかたわら強打者として活躍。阪急の初代主将を務めた。家紋は剣片喰紋。青山霊園にて撮影。


服部良一。1907年10月1日 – 1993年1月30日、作曲家、作詞家。
大阪府大阪市平野区出身。土人形師の父・久吉と母・スエの間に出生。日本ポップス界最大の功労者。また日本レコード大賞の創設にも尽力。代表作は『別れのブルース』『蘇州夜曲』『青い山脈』『銀座カンカン娘』等。画像は本願寺・和田堀廟所にて。


都家かつ江。1909年3月15日 – 1983年9月29日、三味線漫談家。
演芸一座座長だった都家四郎の娘として東京府東京市浅草区日本堤に出生。本名は、利根谷タキ。三味線を用いた世相漫談や、都々逸などが評判になり、数多くの舞台・映画・テレビ・ラジオ等に出演。『女三亀松』異名を取った。


黒澤明。1910年3月23日 – 1998年9月6日、映画監督。
東京府荏原郡大井町出身。父親は秋田県大仙市出身の元軍人。日本映画の巨匠の一人。日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。代表作『七人の侍』『羅生門』『赤ひげ』『用心棒』『影武者』など。文化勲章受章。文化功労者。家紋は丸に剣片喰。


三原脩。1911年11月21日 – 1984年2月6日、プロ野球選手・監督。
香川県丸亀市出身。大地主の末っ子。早大を経てプロ野球選手となる。引退後は西鉄ライオンズ、大洋ホエールズの監督として両リーグ優勝を成し遂げる。その手腕は「三原マジック」と称された。家紋は丸に片喰紋。画像は世田谷の実相寺にて撮影。


澤野久雄。1912年12月30日 – 1992年12月17日、作家。
埼玉県生まれ。「夜の河」が芥川賞候補となるが落選。しかし同作は山本富士子主演で映画化される。代表作は『方舟追放』『挽歌』『夜の河』等。四たび芥川賞候補となるが遂に受賞には至らなかった。家紋は丸に剣片喰。画像は烏山・幸龍寺にて撮影。


羽黒山政司。1914年11月18日 – 1969年10月14日、第36代横綱
新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒出身。農家の三男に生まれる。本名は小林正治。序ノ口から幕内まで全階級の優勝経験も持つ。幕内通算成績: 321勝94敗1分117休 勝率.773。幕内最高優勝7回。家紋は丸に剣片喰紋。画像は浅草・敬覚寺にて撮影。


柳家小さん (5代目)。1915年1月2日 – 2002年5月16日、落語家。
長野県出身。北辰一刀流の七段範士の資格を持つ。二・二六事件の時、反乱部隊の屯所に二等兵として詰めており上官命令で落語「子ほめ」を一席したという。落語協会7代目会長。落語家として初の人間国宝。画像は世田谷区・乗泉寺別院にて撮影。


島尾敏雄。1917年4月18日 – 1986年11月12日、作家。
神奈川県横浜市戸部町に輸出絹織物商を営む父島尾四郎の子として生まれた。兵庫県武庫郡西灘村に移住。妻の実家がある奄美に帰島して講師をしながら執筆活動を続けた。代表作は『死の棘』『日の移ろい』『魚雷艇学生』など。家紋は剣片喰紋。


利根一郎。1918年4月15日 – 1991年12月16日、作曲家。
群馬県邑楽郡明和町出身。本名、恩田良武。作曲家人生49年で1200余曲を作曲。代表曲は『星の流れに』『ミネソタの卵売り』『若いお巡りさん』等。『霧氷』で日本レコード大賞獲得。勲四等瑞宝章受章。家紋は丸に片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


田中角栄。1918年5月4日 – 1993年12月16日、政治家。
新潟県刈羽郡二田村大字坂田の田中角次の二男。田中家は農家だが家は牛馬商を営んでいた。内閣総理大臣(第64代、第65代)。自著「日本列島改造論」に沿った政策を推進。日中国交回復も実現。その後の日本の政治を方向付けた。


久保亮五。1920年2月15日 – 1995年3月31日、物理学者。
東京府駒込生まれ。中国文学者・久保天随の息子。『非可逆過程の統計力学における線型応答理論』で恩賜賞受賞。元号制定委員として平成の元号を制定。業績を記念して井上科学振興財団が久保亮五記念賞を創設した。画像は文京区の日輪寺にて撮影。


松園尚巳。1922年7月15日 – 1994年12月15日、ヤクルト社長。
長崎県三井楽町出身。双子の兄は松園直巳。長崎新聞社長、長崎文化放送会長も務めた。産経新聞社からサンケイアトムズを買収し(現ヤクルトスワローズ)同球団のオーナーに就任。家紋は丸に剣片喰紋。画像は鎌倉霊園の墓所にて撮影。


相田みつを。1924年5月20日 – 1991年12月17日、詩人・書家。
栃木県南西部の足利市に生まれる。曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会い在家しながら仏法を学ぶ。代表作は『にんげんだもの』『一生感動一生青春』『じぶんの花を』。相田みつを美術館館長の相田一人は長男。画像は足利市・法玄寺にて撮影。


いずみたく。1930年1月20日 – 1992年5月11日、作曲家。
東京市下谷区出身。本名は今泉隆雄。元参議院議員(第二院クラブ)。代表作は、「世界は二人のために」「希望」「いい湯だな」「ふれあい」「恋の季節」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」など多数。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


長門勇。1932年1月1日 – 、俳優。
岡山県倉敷市出身。本名は平賀湧。のほほんとした親しみやすいキャラクターが印象的な名優。金田一耕助シリーズに多数出演。代表作『てなもんや三度笠』『三匹の侍』等。家紋は丸に剣片喰と笹竜胆。画像は春秋苑の生前墓にて撮影。


フランク永井。1932年3月18日 – 2008年10月27日、歌謡歌手。
宮城県志田郡松山町(現・大崎市)出身。本名は、永井清人。独特の低音で多くの人を魅了し、歌謡界に大きな軌跡を残した。『君恋し』『有楽町で逢いましょう』『東京午前三時』『東京ナイト・クラブ』等ヒット曲は多い。家紋は丸に片喰紋。


北島義俊。1933年8月25日 -、実業家。
大日本印刷中興の祖・前社長の北島織衛の長男として東京に誕生。妻は住友元夫の長女・喜代子。在職30年社長での報酬が7億8700万円で日本人社長最高額となる。家紋は丸に片喰。画像は文京区吉祥寺にある父・北島織衛の墓所にて撮影。


藤子・F・不二雄。1933年12月1日 – 1996年9月23日、漫画家。
富山県高岡市出身。本名:藤本弘。安孫子素雄(藤子不二雄A)と共に藤子不二雄として作品を発表。代表作『ドラえもん』『パーマン』『オバケのQ太郎』等。第23回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。画像は川崎市・緑ヶ丘霊園にて撮影。


堤義明。1934年5月29日 – 、実業家。
東京府出身。父は西武グループの基礎を一代で築き上げた堤康次郎。元西武鉄道、国土計画、プリンスホテルの社長。JOC会長なども歴任。一時は総資産額で世界一となったがグループの不祥事の責任を取って一線を退く。家紋は剣片喰紋。


小坂一也。1935年5月30日 – 1997年11月1日、俳優、歌手。
愛知県名古屋市出身。コロムビアレコードから「ワゴン・マスター」でデビューしカントリーミュージックのアイドル的存在となる。『NHK紅白歌合戦』にも3回連続出場。長年の同棲相手だった女優・十朱幸代と挙式するが破局。画像は多磨霊園にて撮影。


佐田の山晋松。1938年2月18日 – 、第50代横綱
本名、市川(旧姓佐々田)晋松。長崎県南松浦郡有川町出身。幕内最高優勝:6回、幕内通算成績:435勝164敗61休 勝率.726。1992年から日本相撲協会理事長を3期6年務めた。007シリーズ第5作『007は二度死ぬ』に本人役で出演。家紋は片喰。


三遊亭好楽。1946年8月6日 – 、落語家。
東京都豊島区生まれで荒川区在住。演芸番組『笑点』の大喜利メンバー。競馬ファンとしても知られており報知新聞に予想記事を掲載していたが全く当たらずクビになったことが何度かある。またパチスロの根幹部分に関わる特許を保有している。


関根勉。1953年8月21日 – 、コメディアン、司会者。
東京都港区に4人兄弟の末っ子として生まれる。浅井企画所属。 娘はタレントの関根麻里。『笑っていいとも!』『奇跡体験!アンビリバボー』『さんまのSUPERからくりTV』に出演。「笑っていいとも!」にて家紋は丸に片喰であることを告白。


小堺一機。1956年1月3日 – 、コメディアン、司会者。
千葉県市川市に生まれ幼少時代を同市で過ごした。浅井企画の先輩で長年の親友でもある関根勤とコンビ「コサキン」を組む。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』でレギュラー出演し人気を博す。家紋は丸に剣片喰紋。画像は長谷寺の小堺家の墓所にて撮影。


守田寿。1956年1月23日 – 、俳優、歌舞伎役者。
東京都中央区出身。坂東三津五郎(10代目)。屋号は大和屋。守田家は江戸三座のうち守田座座元の家系。勧進帳の弁慶が当たり役。大河ドラマの「徳川慶喜」「功名が辻」等に出演。歌舞伎役者としての定紋は三ツ大、替紋は花勝見。画像は多磨霊園にて撮影。


大仁田厚。1957年10月25日 – 、プロレスラー、政治家。
長崎県長崎市出身。全日本プロレスでプロレス入門。自身が立ち上げたFMWにおける電流爆破マッチでブレイク。2001年に実施された第19回参院選に比例区で出馬、当選した。政界引退後、長崎県知事選挙に出馬するが落選。家紋は上り藤に剣片喰紋。


神取忍。1964年10月30日 – 、プロレスラー、政治家。
神奈川県横浜市磯子区出身。全日本選抜柔道体重別選手権(66kg級)で3連覇。プロレスラーとなりLLPW認定シングル王座となる。2004年、参議院選挙に比例代表で自民党から立候補するが落選。後に繰り上げで参議院議員となる。家紋は剣片喰紋。


橋本真也。1965年7月3日 – 2005年7月11日、プロレスラー。
岐阜県土岐市出身。ニックネームは破壊王。新日本プロレス時代にIWGPヘビー級王座。2000年には、新日本プロレスを退社、ZERO-ONEを旗揚げする。得意技は、袈裟斬りチョップ、水面蹴り、垂直落下式DDT など。家紋は剣片喰紋。


文仁親王妃紀子。1966年9月11日 – 、皇族。
川嶋辰彦の長女として静岡県静岡市で誕生。旧名は川嶋紀子。本籍地は川嶋家父祖の地の和歌山市。秋篠宮文仁親王の妃。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。眞子内親王、佳子内親王、悠仁親王を出産。川嶋家の家紋は丸に剣片喰。


安芸乃島勝巳。1967年3月16日 – 、元大相撲力士。
広島県豊田郡安芸津町出身。本名は山中勝巳。二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属。最高位は東関脇。生涯戦歴は822勝757敗78休。現時点(2011年末)三賞19回、金星16個の各最多記録を保持している。現在は年寄・高田川勝巳。家紋は丸に片喰紋。


中田敦彦。1982年9月27日 – 、お笑い芸人、司会者。
大阪府高槻市出身。愛称は「あっちゃん」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のオリエンタルラジオのボケ担当。『武勇伝』ネタの知名度が圧倒的だが、しゃべくり漫才もする。「笑っていいとも!」にて家紋は剣片喰であることを告白。


稀勢の里寛。1986年7月3日 – 、鳴戸部屋所属の大相撲力士。
茨城県牛久市出身。本名は萩原 寛。兵庫県芦屋市生まれ。2歳時に龍ケ崎市へ転入。低迷する日本人力士の希望として親方衆やファンの期待は大きく、関取昇進以前から将来の飛躍を確実視されていた。最高位は大関。家紋は丸に片喰紋。


椿三十郎。江戸後中期、侍。
1962年1月1日に公開された黒澤明監督の時代劇映画「椿三十郎」の主人公。主演は三船敏郎。山本周五郎原作の『日日平安』の脚本がベースになっている。2007年に織田裕二主演でリメイクされる。家紋の丸に剣片喰は黒澤家の家紋から取る。

まさむね