車紋 -車輪に隠れる六条御息所の怨念- 榊原康政、石坂洋次郎、佐藤栄作...

この紋の図柄を見ると、車紋というよりも車輪紋である。

言うまでもなく、車輪というのは乗り物を、そして乗り物に乗っている人を支えるものである。
車紋の使用氏として一番有名な一族は藤原秀郷流の佐藤氏であるが、一族の中で「人を支えた」人物と言えば、源義経に遣えた佐藤継信、忠信兄弟を思い出す。

また、車紋は別名、源氏車とも言われている。

また、源氏車といえば、「源氏物語」9帖の『葵』における六条御息所と葵上の車争いを連想させる。そして、その車争いで敗れた六条御息所の怨念が車に取り憑き、朧車という妖怪になったという伝説もある。左図は鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より。

車紋の車輪はただの車輪ではない。様々な人々の思いがつまっているのだ。
また、車紋の別種として、水車紋、杓車紋も一緒に掲載。
さらに、高澤等氏の卓抜な説によると、日足紋は、源氏車紋から転化したものだという。(詳細は「家紋の事典」)そのためここでは日足紋も車紋の一種として取り扱う。
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さて、この紋は全国ではそれほど、普及している紋ではない。ただ、東北地方では散見される。
特に、秋田県では18位だ。
これは秋田県で、佐藤姓が多い事と関係していると思われる。
また、東北地方以外では唯一三重県でベスト30位に入っている。これはこの地が伊勢神宮のお膝元だからか。

車紋を持つ有名人は以下。


佐藤継信。1158年? – 1185年3月22日、源義経の家臣。
出身は奥州信夫郡。佐藤忠信の兄。義経が挙兵した源頼朝の陣に赴く際、藤原秀衡の命により弟・忠信と共に義経に随行し平氏追討軍に加わった後、屋島の戦いで討ち死にした。写真は福島県福島市飯坂町の井王院にある墓所の門の写真。


龍造寺隆信。1529年3月24日 – 1584年5月4日、肥前の大名。
龍造寺家兼の孫に当たる龍造寺周家の長男。本姓は藤原氏。五州太守の称号を好んで用い「肥前の熊」ともいわれた。大友氏を破り島津氏と並ぶ勢力を築き上げたが島津・有馬氏の連合軍との戦いで敗死。家紋は日足、剣花菱、杏葉。


中川清秀。1542年 – 1583年6月10日、戦国時代の武将。
清和源氏頼光流の多田源氏の後裔。はじめ摂津の豪族・池田勝正に仕えた。本能寺の変で信長が横死した後は羽柴秀吉に従い山崎の戦いで活躍した。賤ケ岳の戦いにも秀吉方先鋒二番手として参戦したが戦死。家紋は中川車(右)、中川柏(左)


榊原康政。1548年 – 1606年6月19日、武将・大名。
榊原氏は三河・伊勢・伊賀守護仁木義長の子孫である。家康の家臣として姉川三方ヶ原長篠小牧・長久手の戦いになど数々の戦いで戦功を立てた。上野国館林藩の初代藩主。徳川氏の家臣。康政流榊原家初代当主。家紋は榊原源氏車。


服部半蔵。戦国時代から江戸時代初期、武士。
松平氏~徳川氏の麾下で活躍。半蔵門の由来となる。「伊賀の影丸」「あずみ」などのフィクションに登場。藤子不二夫の「忍者ハットリくん」は服部半蔵の子孫。家紋は、源氏輪に並び切り竹矢筈。画像は護国寺の別の服部家の墓所にて撮影。


土井利勝。1573年4月19日 – 1644年8月12日、譜代大名。
水野信元の三男として生まれるが後に土井利昌の養子になる。家康の落胤という説もある。家光の治世には大老として寛永通宝の鋳造等の新通貨制度を制定。画像は利勝の三男で越前大野藩主となった利房系の土井利恒の墓所にて撮影。丸に六柄杓車紋。


佐藤信淵。1769年7月18日 – 1850年2月17日、思想家、経世家。
出羽国雄勝郡郡山村出身。通称は百祐。平田篤胤に入門し、『農政本論』を著す。渡辺崋山、高野長英、小関三英とともに蛮社の獄に連座するがすぐに許される。流通を幕府の手によって直接統制し、流通過程からの収奪による富国策を提示。家紋は源氏車。


猪山直之。1812年 – 1878年、金沢藩士。
幼名:余四郎、通称:弥左衛門、彦蔵。前田斉泰、慶寧、利嗣御次御用をつとめる。45年間にわたって直之によって書かれた日記は磯田道史氏によって「武士の家計簿」としてまとめられヒットとなり映画化もされる。家紋は丸に生駒源氏車紋。


佐藤政養。1821年12月 – 1877年8月2日、蘭学者。
出羽国飽海郡升川村の農民・佐藤与兵衛の長男。通称:与乃助。幕府軍艦操練所蘭書翻訳方となる。神戸海軍操練所を司り幕閣に神奈川に代わる横浜開港を建議した。維新後は新橋-横浜間の鉄道敷設に尽力。家紋は陰源氏車紋。画像は青山霊園にて撮影。


佐藤彦五郎。1827年11月14日 – 1902年9月17日、新選組後援者。
武蔵国多摩郡日野宿で生まれる。日野本郷名主。自邸東側の一角に日野宿では初となる出稽古用の道場を設け、後の新撰組の母体となる近藤勇、土方歳三、沖田総司らが出稽古に訪れていたという。明治維新後は、新選組隊士の復権と顕彰に尽力した。


榊原健吉。1830年12月19日 – 1894年9月11日、幕臣、剣客。
江戸麻布の広尾生まれ。父は御家人榊原益太郎友直、5人兄弟の長男。 名は友善。男谷信友から直心影流男谷派剣術を継承した。天覧兜割などで知られ、「最後の剣客」と呼ばれる。家紋は榊原車。画像は新宿須賀町・西応寺の墓所にて撮影。


石丸安世。1839年 – 1902年、佐賀藩士、官吏、政治家。
佐賀郡本庄村出身。工部省の初代電信頭として東京-長崎間の電信開通を担当した。鉄道の井上勝、郵便の前島密、電話の石井忠亮と並ぶ「逓信四天王」の一人。大阪造幣局長や元老院議員を務めた。家紋は剣形十二日足紋。画像は青山霊園にて撮影。


竹添進一郎。1842年4月25日 – 1917年3月29日、外交官・漢学者。
熊本藩出身。熊本藩士として藩命により国事に奔走。維新後、天津領事となる。1882年の壬午の変の後、朝鮮弁理公使となり、甲申政変を起こす。東京大学教授となり、『桟雲峡雨日記』『左氏会箋』を残す。家紋は源氏車紋。護国寺にて撮影。


佐藤進。1845年12月23日 – 1921年7月25日、医師、医学者。
常陸国太田内堀で醸造業高和清兵衛の長男として出生。独留学し医学士の学位を取得。戊辰戦争では新政府軍の病院頭取を務めた。西南戦争、日清戦争、日露戦争において軍医監を務める。順天堂医院院長。家紋は源氏車紋。画像は文京区吉祥寺にて撮影。


清浦奎吾。1850年3月27日 – 1942年11月5日、政治家。
肥後の鹿本郡来民村出身。旧姓は大久保。司法官僚を経験後、貴族院議員となり司法大臣、農商務大臣、枢密院議長を歴任。第23代内閣総理大臣となるが超然主義との非難を受け、5ヶ月で総辞職した。家紋は八つ剣日足紋。画像は総持寺にて撮影。


林董。1850年4月11日 – 1913年7月20日、外交官、政治家。
下総国佐倉藩の蘭医・佐藤泰然の子として生まれ、幕府御典医・林洞海の養子となる。香川・兵庫の県知事、ロシア・イギリスの駐在公使、外務大臣、逓信大臣などを務めた。ロンドンで日英同盟に調印。家紋は源氏車紋。画像は青山霊園にて撮影。


河口慧海。1866年2月26日 – 1945年2月24日、仏教学者、探検家。
泉州堺出身。読みは、かわぐちえかい。ネパール、チベット地域を探検。ネパールでは梵語仏典を、チベットからは大部のチベット語仏典を蒐集した。主著は『西藏旅行記』『チベット旅行記』。家紋は源氏車に法の字紋。画像は青山霊園にて撮影。


佐藤鉄太郎。1866年8月22日 – 1942年3月4日、海軍軍人。
出羽国鶴岡出身。実父は庄内藩士・平向勇次郎。佐藤安之の養子となる。日本海海戦ではロシア艦隊の偽装転進を見破り勝利に大きく貢献する。最終階級は海軍中将。退役後は、学習院教授を経て貴族院議員となる。画像は多磨霊園にて撮影。


野中到。1867年9月19日 – 1955年2月28日、気象学者。
福岡に生まれる。富士山頂で最初の越冬観測を試みた。著作に『富士案内 芙蓉日記』がある。橋本英吉の『富士山頂』や新田次郎の『芙蓉の人』といった小説の題材にされる。家紋は御殿場馬車鉄道の社章からの転用か?画像は護国寺にて撮影。


佐藤北江。1869年12月22日 – 1914年10月30日、新聞記者。
陸中盛岡藩出身。本名は佐藤真一。自由民権運動で活躍後、「岩手新聞」を経て、「めさまし新聞」に入る。改題後、「東京朝日新聞」で編集長、社会部長を務めた。石川啄木を校正係に採用してことで知られる。家紋は源氏車紋。画像は青山霊園にて撮影。


大下宇陀児。1896年11月15日 – 1966年8月11日、探偵小説作家。
長野県上伊那郡箕輪町出身。本名は木下龍夫。『新青年』を舞台に江戸川乱歩や夢野久作と並ぶ人気探偵小説家として活躍。NHKの人気ラジオ番組『二十の扉』の解答者としても知られる。家紋は丸に片輪車紋。画像は多磨霊園にて撮影。


佐藤惣之助。1890年12月3日 – 1942年5月15日、作詞家。
神奈川県川崎市出身。佐藤家は川崎宿の本陣を預かる家柄。佐藤紅緑に師事し俳句を学ぶ。作曲家、古賀政男と組み多くの楽曲を世に送り出す。代表作は『赤城の子守唄』『大阪タイガースの歌』『人生の並木路』『人生劇場』等。家紋は源氏車紋。


石坂洋次郎。1900年1月25日 – 1986年10月7日、小説家。
青森県弘前市代官町出身。戦後は『青い山脈』を『朝日新聞』に連載。映画化され大ブームとなり「百万人の作家」といわれる。第14回菊池寛賞を受賞。代表作は『陽のあたる坂道 』『若い人』など。家紋は源氏車紋。画像は多磨霊園にて撮影。


佐藤栄作。1901年3月27日 - 1975年6月3日、政治家。
山口県熊毛郡田布施町出身。酒造業・佐藤秀助の三男。第61、62、63代内閣総理大臣。日韓基本条約の批准、小笠原諸島・沖縄返還を実現させる。非核三原則で日本人で初めてノーベル平和賞を授賞。画像は本願寺・和田堀廟所にて撮影。


高柳重信。1923年1月9日 – 1983年7月8日、俳人。
東京市小石川区生れ。富沢赤黄男に師事。金子兜太とともに前衛俳句の旗手となる。俳誌「俳句評論」代表、総合誌「俳句研究」(俳句研究新社)編集長を歴任。夏石番矢らを見出した。家紋は熨斗の丸に半源氏車紋。画像は冨士霊園にて撮影。


三遊亭小圓遊(4代)。1937年8月3日 – 1980年10月5日、落語家。
群馬県前橋市出身。本名は関根尚雄。『笑点』の大喜利メンバーとして知られる。10枚座布団の賞品としてレコードを吹き込む(タイトル「マドモアゼル」)。桂歌丸と共に落語芸術協会理事就任。家紋は八つ水車紋。画像は寛永寺第二霊園にて撮影。


佐藤洋太。1984年4月1日 – 、プロボクサー。
岩手県盛岡市出身。中学時にボクシングを始める。協栄ボクシングジム所属。WBC世界スーパーフライ級王者。元日本スーパーフライ級王者。2012年3月27日、判定勝ちを収めて世界王座を奪取。左腕に佐藤家の家紋の八本骨源氏車の刺青を入れている。

まさむね