ビートルズで最も斬新だったのはジョージ・ハリソンだ

今さら、僕が言うのもなんなのだが、ビートルズというグループほど、斬新なグループはない。

その存在は、全世界が熱を帯びた青春時代とも言うべき1960年代をトップランナーとして突っ走った。
今年9月に発売されたリマスターCDの爆発的ヒットを見るまでもなく、いまだにその光は世界中を包み込んでいる。とにかく凄いバンドなのである。
そんなビートルズの中で、リーダー的存在のジョン・レノン、そして、メロディメーカーとして天才の名をほしいままにしたポール・マッカートニーの陰に隠れて今ひとつ地味な印象だったのが、最年少のリードギタリスト、ジョージ・ハリソンだ。

しかし、今、冷静に振り返ってみると、ジョージ・ハリソンこそ、最も斬新な存在だったのではないかというが本エントリーでの仮説だ。そして、暴論を覚悟で、むしろジョンとポールこそが、ジョージのフォロアーだったのではないかという話をここでしてみたいのである。
まずは、ファッションの話。ビートルズのファッションと言えば、マッシュルームカットである。この髪型に関して言えば、彼らがメジャーデビュー以前のハンブルグでアスリット・キルヒヘアという女性カメラマンから教わったということになっている。
そして、その髪型を最初に試したのが、ジョンでもポールでもなく、ジョージだったのである。勿論、アスリットの恋人だったスチュワート・サトクリフがマッシュルームカットの第一号ということにはなっているのだが、僕は今までスチュワートのマッシュルームカットの写真というのを見たことがない。確かに、脱リーゼントの髪型は確認できるのだが、これってマッシュルームというにはカッコよすぎる。
そういう意味で、あのちょっぴりダサいマッシュルーム髪型を完成させたのはジョージではないかというのは僕の勘なのである。そして、それをポールとジョンが順々に真似たのではないか。
もしも、ビートルズがマッシュルームカットを採用せず、リーゼントのままだったとしたら...もしかしたら、その後の彼らは無かったかもしれない。イギリスの中流階級の子女達にとって、リーゼントは拒絶すべき不良の髪型だったからだ。そういう意味で、ジョージのちょっとしたセンスは歴史を変えた...かもしれないのだ。
ちなみに、その後も、ビートルズにおいて、ファッションを最も気にしていたのもジョージだった。
ここでは、最初にジョージ・マーチンに会ったその瞬間のあまりにも有名な会話を紹介しておこう。

マーチン・・・僕のことで、何か気に入らないことがあるか?
ハリソン・・・あなたの、そのネクタイが気に入らないね

さて、次にジョージの存在感を示すエピソードは、ビートルズの音楽に対する彼の斬新性である。
ビートルズの後期、特にジョン・レノンの音楽のリズムの変容は彼らの音楽の特徴の一つだ。

「Yer Blues」「Happiness Is A Warm Gun」「All You Need is Love」「Being For The Benefit Of Mr. Kite」「Lucy In The Sky With Diamonds」「Don’t Let Me Down」「Everybody’s Got Something To Hide Except Me And My Monkey」「I Want You」…

ざっとあげただけでも、一曲の中に複数のリズム、特にワルツが紛れ込んでいる曲はあまりにも多い。
そして、これら、後期ビートルズのポリリズムのアイディアの端緒こそ、ジョージのアイディアだったのである。
それが「恋を抱きしめよう」 (”We Can Work It Out”)でのワルツ挿入だ。

この曲は、ある意味、ビートルズの面々の個性が最も見事に融合した曲として知られている。
メロディアスで楽天的なポールが作るAメロ。

We can work it out, we can work it out
僕らならきっとうまく行く うまく行くさ

抽象的で、悲観的なジョンが作ったサビ。

Life is very short and there’s no time
人生はひどく短い 時間が無いんだ

そして、この曲にどうオチを着けるのか、メンバーは悩んだと言う。
そこで出てきたのが、ジョージによる必殺”ワルツ落し”だったのである。

さらに、ジョージはリズムだけではない。歌詞の面でも先駆的なのだ。
これは、ジョージの隠れた名詞「Within You Without You」の一節だ。

Try to realize it’s all within yourself
No-one else can make you change

すべては己れの内にあることを認識せよ
誰も他人を変えることはできない

そして、ジョンの代表的名曲「Across the Universe」のこの一節も見て欲しい。

Nothing’s gonna change my world
何ものも僕の世界を変えることはできない

もとはと言えば、確かに東洋哲学からと言ってしまえばそうなのだが、インドへの接近を最初に試みたのは勿論、ジョージだ。そして、その哲学をビートルズに流し込み、その後のジョンの哲学に多大な影響を与えたのもジョージだと言えなくは無い。
さらに言えば、哲学的な側面だけではなく、政治的な言葉をビートルズに導入した先駆的存在もジョージなのである。

I’ve got a word or two
To say about the things that you do
You’re telling all those lies


君のやってることに
ひとこと文句を言わせてもらうよ
君は嘘をついてばかりじゃないか

これは「ラバーソウル」の中の「嘘つき女」(Think for Yourself)からの一節であるが、後日、ジョージはこのフレーズを政治家を皮肉った言葉だと告白している。この政治家や社会に対する皮肉は後の「Taxman」「Piggies」につながっていくわけであるが、この発想もまたジョンに引き継がれ、「Revolution」「平和を我らに」…そして「Sometime In New York City」という発展を見せるのであった。

さらに、初期の12弦ギターや中期のシタール、後期のシンセサイザー等、楽器に対して貪欲な斬新性でビートルズをリードしたのもジョージだし、他のミュージシャンとの交流、エリック・クラプトン、ビリー・プレストンといった外部のミュージシャンとのセッションを組んで、ビートルズの停滞を止めようとしたのもジョージなのだ。
ところで、僕は以前から、「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」におけるジョージの存在感の薄さが気になっていたのだが、逆に言えば、ミュージシャンが、演奏者として一歩引いて、プロデューサ的なスタンスでサウンドに関わるという、その後の音楽シーンでは普通にあり得るアーティストの立ち位置を、極めて早い時期に模索したのがジョージではないのかと思ってみたりするのであった。

そんなジョージが亡くなって、いつの間にか8年が経ってしまった。ジョンの命日はスーパーライブというイベントもあったりして、毎年、繰り返して思い出す追悼日的な雰囲気が定着しつつあるのだが、一方、ジョージの命日はそれに比べるとあまりにも地味だ。
しかし、僕ら日本人は、彼が亡くなったあの時、悲しみも癒えない翌日に愛子様が誕生されたという、悲しいんだか嬉しいんだかよくわからないような時間を忘れることが出来ない。

愛子様も今年で8歳になられた。それを祝う心の裏側で、ジョージが亡くなって8年か...という複雑な気持ちにもなるのは僕だけであろうか。

まさむね

※対訳は内田久美子さんの「ビートルズ全詩集」を参照。

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