体を張った言葉にしか説得力は無い

先日、東京都議会において、「改正東京都青少年健全育成条例」が可決された。これは、強姦などの犯罪、近親相姦などを賛美するような漫画やアニメを一般図書とは区分けして陳列するための条例である。勿論、こういった守備範囲が漠然としている条例は恣意的な運用の可能性、つまり、だれが、そういった図書を認定するのかといった問題もあるし、こういった条例が端緒となって、ゆくゆくは漫画表現全体に「権力の検閲」が忍び込んでくる危険性があることは僕もわかる。また、こういった細かな条例が、いわゆる役人の権益や、同類他業界の利権につながるといった問題もあるのも確かだろう。
しかし、常識的に考えてみれば、強姦や近親相姦の漫画が普通に売られているというのもいかがかと思う。
こいった本は、そういった性的な嗜好のある人が後ろめたい気持ちで隠れて買うからこそ、楽しいのであって、コンビニでおにぎりと一緒に買えるようなものでいいとも思えない。

今回の騒動において、ちばてつや氏や秋元治氏が、大手出版社幹部と一緒に反対の記者会見を開き話題になったが、僕はそういった権威の方々が一般論、つまり表現の自由を侵すなといった論陣を張るのは、どこか説得力が無いような気がした。そこには権利を勝ち取ろうといった切羽詰ったパワーが感じられないのだ。
もしも彼らの言が説得力を持つとしたら、彼らの作品自身が危機にさらされている場面においてだけではないのか。例えば、ちば氏が現在、近親相姦の漫画を描いていてそれが発行禁止になるといようなシチュエーションでのみ、説得力が出るのではないだろうか。
一般的な表現の自由を守れといった言い方は、残念ながら出版社の権益(売り場)を守れという事実のすり替えにしか聴こえなかった。(それは、QBハウスを排斥しようとした理容組合の言葉と似た論理のように僕には思えた)
ちば氏や秋元氏がそういった漫画とは無縁であることは自明である。だとしたら、実際にそういった漫画を描いている誰かを連れてきて、彼に語らせるとか、そういった切実度の演出は少なくとも必要だったのではないだろうか。しかし残念ながら、あの記者会見は、そういったレベルの人が登場するような場面ではなかった。

そこが、この会見で世論を味方につけることが出来なかった最大の要因だと僕は思う。
ようするに闘い方を間違えたのである。そして負けたのである。

反権力をいうのであれば、かつての竹中労のように体を張った言葉にしか説得力は無い。
それは今も昔も同じだと思う。

まさむね

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