枝野官房長官の作業服の胸についている桐紋に関して

枝野官房長官が記者会見をする画像が頻繁にテレビに映る今日この頃、彼の胸に輝く五七の桐紋が気になる人も多いようである。

この桐紋は、鎌倉時代位より、天皇家の副紋として使用されていたものであるが、その後、特に功労のあった臣下に下賜されるようになった。

後醍醐天皇が足利尊氏へ、または後陽成天皇が豊臣秀吉へ賜ったのが特に有名である。

さらに、その桐紋を下賜された者はさらに、その家臣にその紋を下賜するという、「孫下賜」「曾孫下賜」によってこの家紋は、それ以降、どんどん広まった。

また、江戸時代には、この桐紋使用に関しては特に規制がなかったということもあり、一般庶民もこの紋を使用するようになった。

おそらく、ある者はそのデザインに惹かれ、また、別の者は家やご先祖を権威付けるために、いわゆる猫も杓子もこの紋を使用したと思われる。

その意味で桐紋は、日本人の流行や権威に対しての弱さを、表している紋ということもいえるかも知れない。かくいう私の母方の紋もこの桐紋である。

さらに、この桐紋は明治時代以降、為政者を表現する紋として、政府関係機関で使用されるようになった。パスポートや、司法関連の書類等、日常生活でもこの紋を目にすることも多い。おそらく、首相官邸作業服の胸の五七桐紋、同様に鑑定のTwitterのアイコンにも使用されるようになったのである。

さて、この桐紋に関してであるが、先月僕は「「江〜姫たちの戦国〜」は痛快ではあるが、受験生にはオススメできない」というエントリーの中で、秀吉が山崎合戦の時点で桐紋を使用していることに関して疑問を提示していた。そして、NHKにも質問メールをしてみた。

すると数日前のNHKから返事のメールをいただいた。大変、丁寧なメールであった。ここにご紹介したいと思う。

いつもNHKの番組やニュースをご視聴いただき、ありがとうございます。

お問い合わせの件についてご連絡いたします。

秀吉「桐紋」については、これまでの大河ドラマでも、豊臣姓を天皇から頂く前から使用しております。

秀吉がこの桐紋をいつから使用し始めたのかについては、時代考証の先生方に以前の大河ドラマ制作の際にも調べていただいたのですが、一次史料はみつけられませんでした。

考証の先生方は、そもそも、この桐紋は天皇からいただいたものではなく、信長からもらったものではないかと考えております。信長は足利義昭を連れて上洛したあと、褒美として義昭からもらい、それを家臣に下賜しており、秀吉の桐紋はそれであると考えて、当番組では使用しています。

今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。

お便りありがとうございました。

NHKふれあいセンター(放送)

なるほど、NHKには、今までの慣例によって使用しているということか。僕はそう思い、自宅にある本をさらにいくつか調べてみた。すると、足利義昭>織田信長>羽柴秀吉という流れで桐紋が下賜されたというように書かれている書物もあった。引用してみよう。

豊臣秀吉は、桐紋を二度与えられている。一度目は主君である織田信長から、二度目は後陽成天皇からである。

皇室、足利家に桐紋を与えていた。室町幕府の誕生の時のことである。そして足利義昭が、織田信長に桐紋を授けた。このあと信長は、主な家臣に気前よく桐紋の使用を許した。秀吉は天正元年(一五七三年)に近江国長浜城主となったときに桐紋を与えられたとされる。(179P)

「家紋に残された戦国武将五つの謎」武光誠著

秀吉の家紋は「桐紋」が有名。木下姓のときは「沢瀉紋」、羽柴姓を名乗った頃には信長から「五三桐」を与えられている。

「家紋から日本の歴史をさぐる」インデックス編集部編

ちなみに、僕は、元々誇れるような家の出ではない秀吉が、信長から桐紋を下賜された時に、自家を権威付けるためと、同時に、信長に気に入られるために喜んで使用したということはありえるのではないかと思っている。(恋人からもらった時計を、次回からその恋人と会うときに装着するという心理に近い?)

さて、僕が桐紋のことを語るときに、いつも思い至るのはこの紋が、「聖天子が出現するときに、この世に現れるといわれている鳳凰は桐の木だけに止まる」という古代シナの言い伝えから来ているということである。そして、中国の言い伝えにおける桐は、梧桐(アオギリ)なのに、日本で文様として使用された頃には、いつのまにか、白桐(しろぎり)になってしまっていたということである。そして勘違いされたまま、桐は天皇家の家紋となり、為政者の家紋として現在、官邸のマークとなっているということである。

その意味で、桐紋は、実は、大陸と日本との間に横たわる目に見えない溝(誤解)の象徴ではないかとも思えるのである。

ちなみに、朝鮮出兵(唐入り)に失敗した豊臣秀吉、アジア主義者の黒幕・頭山満、思想家・大川周明(左図)、そして大陸生まれにして一時はその世界でトップに立ちながらも、日本の習慣になじめなかった力道山(右図)や朝青龍も桐紋をその印としていた。

まさむね

上記と同じような論考は『家紋主義宣言』にもございます。←これ宣伝。

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