「闇の摩多羅神」と茗荷紋

最近、僕が家紋のことを考えるとき、一つのことが気になっている。
それは、ある家が、何故、その特定の家紋を選んだのかという、「採用起源」のことである。

おそらく、それは氏神の神紋だったり、地域によって領主からの配布だったり、藤がつくから藤紋というような名字からの類推だったりとそれぞれあるのだろうが、具体的な場面の記録には、まだお目にかかっていない。
勿論、数例として、天皇や将軍から下賜された例、戦場での論功として頂戴した例、神秘的な吉兆の例などがあるが、それは、名家に限った話のようにも思える。
特に源頼朝とからめた家紋の「採用起源」話は多い。佐竹家、朝倉家、畠山家、葛西家の話が有名だ。

実は、以前より気になっている家紋がある。それは茗荷紋だ。
この茗荷紋だが、十大家紋の一つということで、比較的多くの人がこの茗荷紋を家紋にしている、実際、霊園などでも多く見かける。
また、茗荷紋に関しては、多くの書籍で、摩多羅神の象徴としての茗荷、茗荷が「冥加」に通じる、茗荷は物忘れの妙薬というようなことが書かれてあり、それはそれで確かなのだろうが、それで、人々が何故、茗荷を家紋にしたのかという過程が今ひとつ見えにくいのである。

歴史上の有名人で言えば、茗荷紋以外の十大家紋には、それぞれ代表的な紋者がいる。

桐紋 豊臣秀吉
柏紋 島左近
片喰紋 宇喜多秀家
藤紋 黒田長政
木瓜紋 朝倉義景
蔦紋 藤堂高虎
鷹の羽紋 浅野長矩
沢瀉紋 福島正則
橘紋 井伊直弼

しかし、茗荷紋となると、堀尾吉晴か、ちょっと微妙である。

何故、茗荷紋者は十大家紋といわれるまで増えたのだろうか。
とりあえず、僕は「闇の摩多羅神」(川村湊著)を手にしてみた。茗荷紋が象徴だという摩多羅神がその秘密を持っているかもしれないと思ったからだ。
すると、逆にわからないことだらけになってしまった。著者の川村氏も想像力豊かに、過去の資料やフィールドワークによって摩多羅神を追ってはいるのではあるが、その核心になると、どうしても想像の域を超えないのだ。

例えば、その起源がサンスクリットのマターラ=母の複数形から来ていること、古代朝鮮の新羅の秦氏と関係が深そうだということ、猿楽の始祖神ということ、密教寺院の「後戸の神」であること、そして玄旨帰命壇という天台宗の口伝秘法であがめられる神であるということ、そして日光東照宮にこの神が家康、山王と並んで祭られていることなど、まばゆいばかりの逸話が書かれているが、中世の人々を惹きつけた摩多羅神の本質にまではなかなか迫れていないというのが僕の正直な感想なのである。

しかし、その中でも一番、興味深かったのが玄旨帰命壇の口伝灌頂のところである。口伝灌頂とは師匠が弟子に対して口頭によって秘儀を伝えることであるが、その時、二人は、左手に茗荷を持ち、右手に竹葉を持つという。そして師匠は弟子に対して、卑猥な歌を歌うのだそうだ。現代語で言えば「チンコ、チンコ、マンコ、マンコ・・・」という感じなのでろうか。そして、左手に持つ茗荷は女陰を、右手に持つ竹は男根を象徴しているという。

つまり、茗荷というのは女陰、つまり繁殖力、生殖力を表すのかもしれない。そういえば、茗荷紋は抱き形が圧倒的に多く、それはまるで女陰のような形なのである。(左は三島由紀夫、右は北野武の茗荷紋)
しかし、一方で江戸時代に仏教が檀家制度に組み込まれる過程で、葬式仏教化することによって、そういった生々しさを封印していったのであろう。摩多羅神が歴史の表舞台から消えていくのはそうした仏教界の制度化とパラレルなのだ。
しかし、一方で庶民の間には摩多羅神の忘れ形見のような茗荷紋が広まって行った...そこになにかあるような気がする。(左は水木しげる、右は角川春樹の茗荷紋)

おそらく、僕は茗荷紋が広まった真の歴史物語の入り口に立ったばかりである。
そして歴史物語の中には暗い闇、つまり魅惑のエリアがあるような気もしているのだ。

まさむね

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