魔法少女まどかとフラクタルのフリュネと西郷隆盛と崇徳上皇

日本は、今まで何度か、大きな歴史的転換を経験してきている。

古代豪族による連合制から、律令国家へ...
律令国家から武家国家へ...
武家国家から、明治官僚制国家へ...
官僚制国家から、戦後民主主義国家へ...

まぁ、大雑把に言えばこれらが大きな節目なのであろう。
そして、現在も、また大きな歴史のうねりの時期にあるとも言われている。しかし、その渦中にいる僕らは残念なことに、日本はこれから一体どちらの方向に行くのかはわからない。
超越的な神の視点のみがその決着を知っているということなのだろうか。
おそらく、僕らに出来ることは日々の生活を、その人らしく生きることである。
さて、現在の僕の課題は、アニメ修行である。この歳になって何をやっているのかという自問自答はあるものの、今まで知らなかった世界を垣間見るというのは楽しい。
さすがに、アニメは日本が誇る文化だ。深入りすれば、するだけ奥が深いのである。

さて、その神の視点という話である。
僕が今まで観た作品の中には、たまたまなのかもしれないが、神になった少女というモチーフがいくつか登場していた。
一つは、「魔法少女まどか☆マギカ」における「まどか」であり、もう一つは「フラクタル」における「フリュネ+ネッサ」である。

この二人の神を比較すると、まどかは、別世界において嫉妬、憎しみなどの邪悪なものと闘い続けることを決意し、ある意味、人身御供となることによって神となる。
そして、「フリュネ+ネッサ」の元となった少女は、彼女と父親の「ゆがんだ関係」ゆえに世界の鍵(つまり神)となるのだ。
(実は、この「フラクタル」の世界の鍵というのが僕はいまひとつスッキリとは理解し切れていないのココ突っ込まれると少し辛い。ご容赦!)

僕は先ほどの日本の歴史的転換を改めて考えるとき、その転換点において、実は上記二つのアニメの神概念と似た神が生まれていたことに気づく。今日のエントリーはそんな僕の妄想に近い話である。

一人目の神は、平安時代末における公家社会→武家社会への転換点における皇室におけるゆがんだ関係によって生み出された崇徳上皇である。
この崇徳上皇は、鳥羽上皇の第一皇子であるが、実は、鳥羽上皇のお爺さんである白河上皇の隠し子であるといううわさがあったのだ。
鎌倉時代に公家によって記された「古事談」という書物にのみ、記録されているため、真偽のほどは確かではないと言われているが、鳥羽上皇は、自分の子供(崇徳上皇)のことを叔父子と呼んでいたという。
そして、鳥羽上皇は崇徳を何かと疎んじる。白河上皇が存命の時は、その威光によって、崇徳を天皇にすえるのであるが、白河上皇が亡くなるとすぐに崇徳を譲位させ、別腹の近衛を天皇にするのである。しかし、その近衛も夭折し、結局は崇徳と同腹の後白河に天皇の座は移動する。
さらに、崇徳と後白河の争いは保元の乱へと展開していき、敗れた崇徳は讃岐に流され、日本第一の祟り神となるのである。

そして、この祟り文句が、「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」だったという。
皇室におけるゆがんだ関係が生み出した「神」が次の武家社会を生み出した鍵となっているというところに、僕は「フラクタル」におけるフリュネの親子関係とのアナロジーを見るのである。

次に二番目の神は、武家社会が、明治天皇官僚国家になるときに生み出されたもう一人の神である。
それこそ、言わずと知れた西郷隆盛である。西郷は、己の活躍によって、武家社会を幕を閉じ、明治維新を成し遂げる立役者の一人となるわけであるが、時代の要請に従ったとは言え、一介の下級武士が天下国家を動かすほどの活躍をするという奇跡を実現するのだ。

しかし、事はそれほど簡単ではない。それまではある意味、既得権益集団であった武士が、ある日、突然、その特権を無くし、それまで蔑んでいた庶民と同じ階級にされてしまったのである。
それは、例えば、現代における特権階級である官僚の天下り廃止とは比較にならないくらいに厳しく重い、歴史的転換だったはずである。
しかし、ここで立ち上がったのが、実は無難にやっていればその後も国家の中枢として重んじられていたであろう西郷隆盛であった。
彼は征韓論が棄却されると、下野し、故郷の薩摩へ戻る。そして西南戦争の首領に担ぎ上げられて、最後は自刃するのである。
僕は、この西郷の一連の行動は、残り火のようにくすぶる武士階級の未練、怨念、嫉妬などの感情を彼一人で引き受け、その終焉を、日本国全土の武士階級に納得させるための決死のパフォーマンスだったと考えている。
ちなみに、同じパフォーマンスと言っても、現在の首相における謝罪パフォーマンスなどとは一段も二段も三段も違うレベルのものだ。

さて、西郷はこうして、武士階級全体の人身御供となり、神になり、明治政府の礎となったである。実際、西郷隆盛は、鹿児島の南洲神社に神として祭られており、山形の酒田、宮崎の都城などにも分社分祀されている。
これは僕の想像であるが、もしかしたら、あの西南戦争の後も、西郷はあの世で、人々の邪悪な想念と戦い続けたのではないか。
そして、その姿は、僕をして、この世とは別次元での「まどか」の永遠の闘いを連想させるのである。

「フラクタル」と「魔法少女」のそれぞれの神とどこか似ている崇徳上皇と西郷隆盛が、次の世の礎となり、日本史を動かしてきたとすれば、現在の日本の混迷を抜け出すための新しい神はどんなタイプのものだろうか。
僕は、さらにアニメの想像力に期待してみたいと思うのである。

まさむね

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