深夜アニメ「あの花」で描かれたフロイト的人間観の可能性

今クールのアニメで最も評判がよかったという「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(通称:あの花)を観た。

仲の良かった6人(女3人、男3人)の幼馴染の”秘密の基地”で、起きた不幸な出来事。
その中では、アイドル的存在だった女の子(めんま)が川に落ちてで亡くなってしまうのだ。
そして、それを機会に疎遠になってしまった幼馴染達...
しかし、高校一年の夏休みに、その亡くなった女の子が幽霊となって、その中の一人の青年(仁太)の前に、突然現れ、「願い事を聞叶えてほしい」と告げる、ここからドラマが始まるのである。
かつての幼馴染は、半信半疑ではあるが、幽霊となっためんまの願い事をかなえることによって、彼女を”成仏”させようと、再び、力を合わせようとする。

しかし、実は、彼ら個々人は、彼女のためを思って行動していたわけではなかったのだ。それぞれが自分の中に抱えているわだかまり、コンプレックス、恋愛感情、罪の意識を何とかしたいという、ある意味、エゴイスティックな動機によって、彼女を成仏させようとしていたという欺瞞が明らかになっていく。

しかし、最終的には、めんまの純情な気持ちは、そんな個々人のエゴを超越していた。めんまの暖かい心は、それぞれのトラウマを癒し、幼馴染達は、また新たなる日常に戻っていくのであった...

かなり大雑把ではあるが、そんな感じの話である。

確かに、意地悪な視点で、このアニメをみれば、どこかで見たことのあるようなパーツの組み合わせのようにも見えなくはない。
例えば、一部の人間だけにしか見えない幽霊という設定は、デスノートにおける死神・リュークを思い出させるし、その幽霊少女の無邪気で馴れ馴れしい性格は、ちょうど前クールの「フラクタル」における幻像少女ネッサと酷似している。また、子供達の成長に打ち上げ花火という装置を用意するところは、岩井俊二の「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 」と似ているとも言える。そう。この作品も、近年のアニメ全般について言われる「いわゆる」いいとこ取りアニメの一つという見方も出来るのである。(僕のアニメ師匠であるすがりさんは、そんな現在のアニメ業界の状況を焼畑農業という言い方すらしております。)

しかし、僕がこのアニメが面白いと思ったのは、そういったギミック的な部分、あるいは萌え的な要素とは全く別のところであった。それは、物語の骨格を形作る、このアニメにおけるフロイト的な人間観である。
一般的には、子供=純真、大人=しがらみや不純、つまり、成長=汚れを知ること、というのが多くの青春群像物語におけるセオリー(前提)かと思うのだが、このアニメでは、子供時代の欺瞞が成長してからの性格、行動パターンに影を落とすという人格形成の部分が、ことのほか、丁寧に描かれているのである。

例えば、好きだっためんまに暴言を吐いてしまった少年(仁太)は、それまでは、闊達で、リーダー的存在だったであるが、その事故以降、対人恐怖症となり、現在は登校拒否になってしまっている。
また、めんまの死を目撃しながら、見ていることしか出来なかった少年(ポッポ)は、世界中を見て歩くことによって、あの時の無力な自分を無意識的に正当化するようになってしまう。彼は昔の秘密基地を現在の自分の住まいにしており、そこに彼が今まで訪問した国々が赤丸が描かれてあるのだが、その地図を見ると、南米、アジア(特にインド)など、バックパッカーが見て歩いてもどうしようもない劣悪な地域ばかりなのである。

あるいは、そのめんまが死ぬ直前に、振られてしまった少年(ゆきあつ)は、その時の彼女の衣装に固着することで女装趣味となったり、めんまが仁太にだけ見えるという事実に、決定的なコンプレックスを感じ、めんまに扮してみんなをかく乱してしまう。
さらに、仁太がめんまに発した暴言に対して、心の底で喜んでしまったという二人の少女、一人(あなる)は、自分自身の心の醜さに常に悩まされ、自分自身を持てないまま、周りに流される性格となり、もともとはしっかりしていたのに、底辺校でギャル風の娘になってしまっていたり、もう一人の少女(つるこ)は、勉強でしか自分を表現することが出来ない冷たい性格となってしまう...そういった具合なのである。

勿論、そういったトラウマ→性格のパターンが図式的に過ぎるという批判もあるだろうし、それが最終的に、幽霊からの愛の言葉によって救われてしまうとするオチに無理を感じさせないでもないが、それでも、例えば、ゴールデンタイムの連ドラの「甘さ」に比べれば、トータルの練りこみは、より、人間描写は達者のように感じられるのである。

例えば、卑近な例で言えば、たった今観たばかりの「リバウンド」というドラマでは、豚カツ屋と、ケーキ屋のどちらになろうかと悩んだ主人公(相武紗季)は、第三の道として二つを合わせた「とんかつケーキ」の店を好きなケーキシェフ(速水もこみち)と結婚して営業するという、あまりにも強引な最終回であった。しかも、よくケーキ屋に遊びに来ていた少女が、実は、天使だったというオチで、なんと、最後には羽が生えて空に飛んでいってしまうのである。(勿論、こんなハチャメチャは何も考えないで見る分には十分、楽しめるのかもしれないが)

僕はそれに比べれば、深夜アニメの丁寧な作りこみ、つまり、繊細な描写には、好感が持てる。
深夜放送→ネット有料配信→DVD販売というオタク向けビジネスモデルの限界が来ているとも言われるアニメ業界ではあるが、アニメというジャンルに対する、いわゆるマジョリティの偏見を払拭できるのであれば、飛躍的に視聴者層の拡大と、新しい才能あるクリエイター、製作資金の流入は十分可能ではないかと思っているのが、どうなのであろうか。

さらに、良作の登場に期待出来るのではないか。51歳でアニメファンになった僕が言うのだから間違いない。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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