「サマーウォーズ」の綺麗な理想と、その観心地の悪さ

2009年夏の人気作「サマーウォーズ」を観た。
観客動員数は100万人を超え、数々の賞にも輝いた。成功作といっていいのであろう。
確かに、バーチャル世界での戦いを、実社会における親族の絆によって乗り越え、そして勝利をつかむという展開は、斬新でしかも明るい。
アニメーションも綺麗でアトラクティブだ。
しかし、このエントリーではどちらかといえば、ネガティブな話をしてしまうと思うこと、ご容赦下さい。
このアニメは、残念ながら僕にとっては、どこか観心地の悪さを感じるアニメなのである。それでは、この観心地の悪さはどこから来るのであろうか...

主人公の小磯健二は内気の高校生、しかし、数学オリンピック日本代表になれそうな位、数学の天才である。
彼は、同じクラブの先輩である美少女・夏希の田舎の信州・上田に連れて行かれ、親族(陣内家)が集まる旧家に、「恋人」として紹介されるのだ。(右画は陣内家独自の家紋の右向き結び雁金。他に変り六文銭紋も使用。陣内家は真田家をネタ元にしている。)
健二は、ドギマギしながらも、その状況になすすべもなく従い、そして、夜を迎える。
一方、健二はOZという全世界に張り巡らされたバーチャル空間(ちょっと前のセカンドライフが大成功したようなもの)の末端管理者のバイトをしており、その夜に、どこからか来た一通のメールの暗号を解読し、返信してしまうことから、事件に巻き込まれてしまうのである。実は、そのメールはスーパーバイザーのパスワードに関わる暗号だったのだ。
そして次の日、OZが何者かのハッキングによって大混乱に陥り、しかも、自分が容疑者とされていることをテレビのニュースを見て知る。
おそらく、これは近未来の話なのであろう。その時代は、そのOZというバーチャルシステムは、あらゆる管理システム(消防、銀行、自衛隊など)と連動しており、OZ上の混乱は、そのまま実社会の混乱と連動してしまうのだ。
そして、そのハッキングを起こしたAIプログラム(「ラブマシーン」)は、前の日に陣内家にひょっこりと姿を現した夏希の曾祖父の隠し子の侘助がアメリカで作成したのものだったのである。しかも、アメリカ国防省がそのプログラムを実験的にがOZに流してしまったことによって、今回の大混乱が発生していたのだ...

そこで、陣内家は総力を結集して、この「ラブマシーン」を退治するという物語展開になっていくのである。
自分の運命、あるいは彼女の運命がそのまま、世界の危機に直結してしまうような作品をとりあえず、セカイ系と呼ぶのであれば、この「サマーウォーズ」は、親族という中間項が挟まっている分、共同体的セカイ系とでも呼ぶべき作品なのかもしれない。
この作品には、バーチャルな「ラブマシーン」と対決するのに、家に戦国時代から伝わる軍略を参考にするところ、親族がそれぞれの職業を生かして協力していく様など、面白い観点がいくつか観られた。

しかし、近代以降、地縁、血縁といった共同体はどんどん空洞化し、解体され、益々個々人の絆が希薄になっている現代、室町時代から続く旧家という伝統的知恵と絆と、バーチャル世界上で全世界の人々が愛に基づいて連携するという新しい絆の連結によって、世界をAIプログラムという無人格の敵と戦うというストーリーは、図式として極めて綺麗(しかもで誰も傷つかないもの)過ぎるのではないだろうか。僕が冒頭にこのアニメに対して、「明るい」と表現したのは、この綺麗さについてである。

そして、この綺麗さにこそ、僕が、どこか観心地の悪さを感じてしまう元凶のような気もするのである。

例えば、見知らぬ他人が突然、田舎の旧家に紛れ込んだときの居心地の悪さ、そんな状況と同類の感覚は、おそらく現代人であればほぼ等しく共有される感覚だと思われる。
そして、この居心地の悪さはあるヒエラルキーに基づいた見えない抑圧が起こしているものであり、その抑圧から逃れようとする歴史こそが、近代以降、僕らが選んできた歴史であったはずである。
勿論、主人公の健二にも、ずっとその違和感が付いてまわるわけであるが、そんな違和感たっぷりの状態のまま、ハイアーテンションで自体が進行し、結局、親族愛+人類愛の中で、最終的には円満に解決をしてしまう、その強引で、ノッペリした気持ちの悪さが僕にはぬぐえないのである。例えば、最後に、健二と夏希が、キスをしろと、親族一同にはやし立てられる場面があるが、ある意味セクハラ(+善意に満ちたパワハラ)ではないのか。「てんとう虫のサンバ」じゃあるまいし。

あるいは、その他、PCを入力しているとき、他の人たちが多数で覗いているという状況に対する無神経さや、陣内家の家長である夏希の曾祖母・栄の封建的な特権や、完全無欠な性格(を描いてしまうということ)に対する恥じらいの無さが、残念ながら、僕の観心地の悪さを脇から補強していたようにも思えるのである。
おそらく、一方で、目に見える共同体の絆の再構築、そして他方では、バーチャル世界による民族、人種を超えた新しい絆の構築の必要性ということは、日本だけでなく、多くの先進国で共通の理想であることは確かである。
そして、この「サマーウォーズ」では、そういった理想を、前向きな具体例として、提示しようとしているということ評価は出来るのかもしれない。しかし、現実的に、家制度(=地域の既得権益集団的絆)によるスッキリとした問題解決劇はどれだけ、現代人に受け入れられるものなのであろうか。
特に、311以降の現実は、僕らに何事も簡単に片付く問題は無いということ、そして、全ての問題の解決には時間がかかるということ、更に言えば、その間、僕らはダラダラと鈍痛に耐えていかなればならないということなどを僕らに突きつけているのが現代なのだ。

この鈍痛の共有がなければ、残念ながら、今後、どんな作品も綺麗ごとに見えざるを得ない、僕らは、既に、そんな時代に突入してしまったである。
それが、たとえ、子供向けの「ひと夏のファンタジー」であったとしても、である。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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