「ほしのこえ」 宿命の悲しさを象徴する通り過ぎる列車

新海誠監督の「ほしのこえ」を観た。

僕は新海監督の2004年の「雲のむこう、約束の場所」、2007年の「秒速5センチメートル」の両作品は、ここ数ヶ月間で次々と観たのだが、「ほしのこえ」は初見であった。
この「ほしのこえ」は新海監督が、監督・脚本・演出・作画・美術・編集などを殆ど、一人でこなした作品として、ゼロ年代初頭(2002年)におおいに注目された。全編25分のアニメーションであるが、彼の想いが濃縮に詰まった、極めて作品性の高い秀逸な作品である。
少女がロボットに乗って、宇宙で戦うようなシーンは、確かにスペクタクルであるが、おそらくその部分にはこの作品の本質はない。これはあくまでも恋愛のアニメである。しかも、お互いが決して結ばれることのない宿命を背負った悲恋のドラマなのである。

おそらく、新海監督にとって、より重要なメカは、ロボットや宇宙船ではなく、列車である。
冒頭、中学生の男の子(昇)と女の子(ミカ子)が学校から二人で帰るシーンがある。男の子は、火星で戦う国連軍の話を一生懸命にするのだが、女の子はどことなく上の空で聞いている。そして、踏み切りで立ち止まる二人の前を国連軍専用の貨物列車が轟音とともに通り過ぎ、会話を止めてしまうのだ。

実は列車という、圧倒的な(ある意味暴力的な)存在が二人の間を裂くというモチーフは、「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」といった新海監督の後の作品にも出てくる。両方とも冒頭に近いシーンであるが、「雲のむこう、約束の場所」の方には、駅のホームの両側にいる男の子(浩紀)と女の子(さゆり)の視線をさえぎる列車が、「秒速5センチメートル」の方には、男の子(貴樹)と女の子(明里)を隔てる踏み切りの間を通過する列車が出てくる。

そして、この、人と人とを有無を言わさずに引き離してしまう列車こそ、彼のアニメにおいては、二人が永遠に結ばれないことの伏線となっている。
それは、新海監督が常に描き続ける悲しい宿命にとっては、なくてはならない象徴なのである。

おそらく、アニメ作家にとっての作家性というものはこういった、作家独自のこだわりのシーンに最も顕著に現れるのだと僕は思う。例えば、宮崎駿監督にとっての少女の床掃除は、少女が大人になるための通過儀礼のようなものであるが(「千と千尋の神隠し」の千尋、「魔女の宅急便」のキキ、「となりのトトロ」のさつきは、みな床掃除をする)、それは、半面、誤解を恐れず敢えて極論するならば、宮崎監督の少女に対する特別な思いが込められたポージングなのである。

さて、「ほしのこえ」だが、先ほど、この作品にとって、ロボットや宇宙船はそれほど重要ではないというようなことを記した。
それらは、二人の間に横たわる距離と、二人が決して一緒になることが出来ないという状況を表現するための設定に必要な単なるギミックに過ぎない。それは、ただただスペクタクルでありさえすればいいのである。
そして、そのことを多くの視聴者が暗黙のうちに理解しているがゆえに、この作品には綿密な世界観の設定などは不要なのである。むしろ、少女がセーラー服のまま、ロボットに乗って戦ったり、宇宙から携帯メールを送信することのオカシさを指摘するほうが、野暮なのだ。

おそらく、この大胆な割り切りこそ、日本のオタク文化の本質の一つではないかと僕は最近、つくづく思う。

非日常の象徴であるロボットの操縦席と日常の象徴である制服が、何の説明もなく、強引に結び付けられているという自由さは、大胆な割り切りが許される日本独自のアニメ空間だから、こそ実現できるのではないだろうか。
さらに言えば、その割り切りのセンスは、僕がずっと興味を持ち続けている家紋の発想、デザインともどこかで通底しているのではないかと思っているのである。(今後、アニメ修行していくなかで考察していきたいと考えています)

以前、僕は「雲のむこう、約束の場所」について、それは物語ではなく詩歌である(「雲のむこう、約束の場所」は物語ではなく、詩歌である」)と書いたが、それはこの「ほしのこえ」にもいえることだと思う。
例えば、「宇宙のかなたで戦う君からのメールを待つ僕の携帯に散る桜」というような一編の詩をアニメにしたのがこの「ほしのこえ」なのだ。
        ★
さて、僕は数ヶ月前までは、アニメには全く興味のない中年であった。仕事では、TGSのコスプレイベントの運営の仕事などをさせてもらっていたのであるが、その対象に関しては、ほとんど興味を持っていなかったのである。今から考えるとまったく恥ずべき話であり、別な観点から言えば、大変もったいないことであった。

しかし、ある時、古谷経衡氏のアニオタ保守本流ニコニコアニメ夜話に触れておおいに感化を受け、さらに、Twitter上ですがりさんやがんまさんといった方々から、様々なご助言をいただくことでアニメにどんどん深入りするようになったのである。
そして、現在は、僕と同じ世代のより多くの方々に日本を代表する現代文化であるアニメに対する偏見を取り、ビジネス視点ではなく、直接、自分の目で鑑賞して欲しいと思い、このブログを書いている。

まだまだアニメという世界の入り口に立ったばかりではある。
これから、僕を待ち受けている作品を観るのは本当に楽しみだ。そして、大げさかもしれないが、これからの人生も本当に楽しみである。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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