夏のアニメ②「茄子 アンダルシアの夏」の甘く、切ないノスタルジア

公開は2003年。監督は高坂希太郎さん。この方は宮崎駿監督のアニメの作画監督をつとめた方で宮崎さんの右腕と呼ばれていた方らしい。ぼくはその辺の事情についてはあまり詳しくない。最近ビデオで標題のアニメを観た。

このアニメを観たとき、以前列車に乗ってフランス国境側からスペインに入ったときのことを真っ先に思い出した。南仏の肥沃な土地からバルセロナに向かうまでの土地が一転してみるみる荒れた土地に変貌し、それが延々と続いていた。まさに不毛としかいえないような乾燥地帯の広がり、持たざる国の典型のようなその風土。極論かもしれないが、なぜスペインがかつて無敵艦隊を擁して外国への侵略に向かわなければならなかったかがわかるような気がした。ひたすら外へ!外へ!を志向せざるを得なかった国土。

それはさておき、アニメの舞台となるアンダルシアもほとんどが同様の荒れた国土らしい。主人公のペペもその友人もそうした何もない土地からの脱出を夢見て、ひたすらより遠くへ!を志向している。主人公は自転車乗りのレーサー。そこに縦横の織り糸のように主人公の兄や彼が弟から奪いとったかつての恋人や、叔父や、いろんな人たちの人間群像が伏線として絡まりあう。

ありきたりな話といえばそういえるし、なにも新味はないといえばそうもいえる。ゼロ世代を代表するような思考の傾向も、奇抜な着想があるわけでもない。だが、ここにはおそらくたとえば9.11や3.11を経験しようとしまいと、たぶんそういう天変地異にかかわらずおそらく今後も変わらずにあるだろうとおもわれる人の故郷(土地)に対する愛憎混じった思いへの優れて詩的な描写があるように思う。その意味で佳品、掌のような逸品といってもよいと思う。上映時間も1時間に満たない。だが、くりかえすがこうした作品は一般受けはあまりよくないだろうと思う。

あらすじは主人公がご当地で有名な自転車のロード・レースに出場するある一日の出来事にフォーカスする形で進んでゆく。結末や詳細についてはこれ以上触れないが、ラスト近くで主人公が応援に来てくれた兄たちと離れ、ひとりそのまま夜の中をどこまでも自転車に乗って進んでゆき、丘の上から眼下に滲むようにひろがる街の灯(主人公の故郷?)を眺めるシーンの、なんとほろ苦く、ある種の余韻に満ち溢れていることか! まるで秀逸な映画のワンシーンのようだった。

このシーンを見たとき、ぼくはイタリアの映画監督ヴィスコンティの「若者のすべて」で主人公のアラン・ドロンが月明かりの夜に貧しい兄弟たちにむかって「自分たちの故郷はオレンジの国(貧しいイタリア南部)であることをけっして忘れるな」というような意味のセリフをつぶやいていたのを思い出した。

そこでも故郷への甘く切ない回帰のようなものを歌い上げていた。自分たちの国がオレンジの国とはなんと美しく、またはかなく詩的な形容であることか! 当時その映画を見てぼくはそう思ったものだ。地方の凡庸な小都市に生まれたぼくには自分の故郷に対するそんな甘い思い入れを抱くことはまったく経験からは遠いことだったから。おそらくこうした思いは今の日本人の大半が持ち得ないものだろう。だが豊饒からはあまりにも遠く、何もない土地だからこそかえって甘く回帰を迫るようなこの感覚の一端は理解できるのではないだろうか。

スペインとイタリア。いずれもヨーロッパの中心からは外れた国。かつて世界を制覇したこともあるが、それは過去の栄光であり、もう斜陽となって久しい国。その中でもより貧しい地方の話が舞台に選ばれている。

「茄子、アンダルシアの夏」は観たいと思う人だけが観ればいいアニメだし、それ以上ではないだろう。そういうアニメがあってもいいし、そういうアニメがあってほしい。それを静かに実現しているようなアニメだと思う。補足だが、自ら自転車に乗ってツーリングすることが大好きだった忌野清志郎がエンディング・テーマを歌っているのもいい。観たいと思われる方はどうぞご覧あれ。

よしむね

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