様々なモチーフで溢れた映像美アニメ「千年女優」

今敏監督2002年の作品「千年女優」を鑑賞した。
先日「パプリカ」を観て感動した(「守る神、壊す神としての少女 『パプリカ』を観て。」)ばかりであるが、この「千年女優」もそれに負けず劣らず、素晴らしいアニメであった。
今監督は、昨年、46歳の若さで亡くなられたが、返す返すも、惜しい人を亡くしたものである。

さて、この「千年女優」であるが、「パプリカ」が夢と現実が混ざり合ってしまう奇妙な世界を描いていたのに対して、この作品は、映画の中の世界と現実とが、混ざっていくという話、しかし、それはあくまでも、イメージの中の話なので、「パプリカ」のように現実世界が大混乱になるというような物語ではない。
いずれにしても、こういった幻想的な画面展開は今監督の十八番である。
僕は80分以上にもわたる怒涛の展開は、まるで夢を見ているかのようにエキサイティングで、いつの間にか、3回も繰り返して視聴してしまった。

引退して、人々の前から姿を消してしまった往年の大女優・藤原千代子。(千代子≒千年女優という意味があるか?!)
彼女にをインタビュー・撮影するのは、ある映像制作会社の社長である立花源也。
立花は、千代子に対して、彼女の思い出の「鍵」を贈るということを条件に撮影の許可を得たのであった。
話は、その「鍵」にまつわる彼女の思い出話と、彼女が出演した映画の中の世界とが交錯し、複雑な様相を呈する。

さらに、何故か、立花と、その部下のカメラマンとが、場面場面に登場し、ある時は傍観者として、そして、ある時は登場人物になってしまうという奇妙な展開を見せる。このあたりの繋ぎの上手さがこのアニメの大きな見せ場の一つである。
例えば、満州を走る列車のドアを開けたら、そこは戦国時代の陥落寸前の城だったり、走り続けた暗い警察の奥の扉を開けると、そこは空襲の東京だったり...
とにかく、沢山の場面が登場するこのアニメ。日本の往年の名作を元ネタにしたと思われるシーンが各所に出てきて、それを想像するのもまた、楽しい。
ざっと上げてみると、黒澤明の「蜘蛛巣城」をはじめ、「晩春」「雨月物語」「青い山脈」「鞍馬天狗」「無法松の一生」「ゴジラ」「新撰組」「君の名は」「木枯し紋次郎」「トラック野郎」等などの名前をが思い浮かぶ。しかも、他にも沢山上げられそうだ。

考えてみれば、俳優という職業は、他人の人生を憑依して、大勢の人に感動を与える職業である。
それは、ある意味で、実在しない人の影を作り出す職業と言い換えてもいい。
この話は、女優・藤原千代子が、女学生の頃に偶然に会った男性の影を追い続けるという一つの柱があるのだが、結局はたどり着けないで終わる。
実は、その男性は、戦前に既に死んでいたということが後でわかるのであるが、それを知った立花は「千代子さんはいない人の影を追いかけていたんだ」とつぶやく。
しかし、女優である千代子は自分でいない人の影を追いかけ続けたのと同時に、観客に対しては、その影を追わせ続けた人でもあるのだ。
実は、千代子の思い出話を引き出す立花こそ、最も強烈に千代子の影を追い続けていた男だったのである。

そして、立花が千代子に渡した「鍵」とは、「一番大切なものを開ける鍵」なわけであるが、結局、その一番大切なものは何なのかということは、わからないままに、映画は終わってしまう。
しかし、「一番大事なもの」が何だったのかということは、誰にもわからないままでいいのかもしれない。おそらく、それを探し続けることが、それぞれの人にとっての人生だからである。

最後に、千代子は、彼女が男性を追い続けていたのは、そんな彼女自身が好きだからという結論に達する。
「だって、私、あの人追いかけている私が好きなんだもの」
そして、それまでのこのアニメのすべての劇的な場面は、この軽い言葉によって相対化され、僕らは現実に引き戻される。

と同時に、僕らは、この軽い言葉によって、「千年女優」は、一つの大きなテーマに沿って強制的に鑑賞しなければならないような重いアニメではなく、表面的にそれぞれの興味に従って観る、軽いアニメであるというメッセージをも受け取っていいのかもしれない。
とするならば、この映画に繰り返し出てくるモチーフを追ってみるのも面白いかもしれない。
とりあえず、僕はここでは、このアニメに登場する鶴を追ってみたいと思う。
ご存知の通り、鶴は千年、亀は万年といわれるが、鶴=千年(女優)の象徴とも取れるからである。
彼女の千代子という名前には、長生きして欲しいという願いが込められていると思われるが、それは赤ん坊の頃の写真において、鶴の模様の布に包まれていることからも理解できるのだ。
また、彼女の家の応接間には、鶴の絵がいくつか飾られているためか、映画のシーンの中にも鶴が何度も登場する。それらは、例えば、戦国時代、殿が自害した城中の部屋の背景、花魁の屏風、北海道へ行く途中に拾ってくれたトラックの模様などである。

さて、この鶴は、頭が赤く、全体的に白い鳥であるが、このアニメでは赤と白のコントラストが映える場面もいくつか登場する。
よく考えてみれば、赤と白とは、日の丸、つまり、日本の象徴でもある。ということは、このアニメは、千年もの長い間の激動の日本の歴史を、赤と白とで、印象付けるアニメだということもいえるのではないだろうか。

また、このアニメの最初の方で、千代子が好きな花は、睡蓮であり、その花言葉は「純真」というやりとりが、千代子と立花の間でなされるのであるが、睡蓮の花である赤を身につける千代子は、それで純真さを表現しているということも言えると思う。
例えば、彼女が身につけていた赤のアイテムには、各場面で、手袋、マフラー、髪飾り、リボン、ネクタイ、靴などが観られる。

勿論、鶴、赤と白、赤いアイテムのほかにも、例えば、地震、月、雪、走り姿なども繰り返し出てきていたようにも思う。
それらを追うことで、何か別の「千年女優」が見えてくるかもしれない。

おそらく、今監督がこのアニメに描いた意味有りげな様々なイメージは、表層的であるとともに、どこかに、深さへの誘惑も秘めているように思われる。それは、ちょうど、このアニメで重要なアイテムとしてある「鍵」というものが、その奥になにか大事なものを隠すものでありながら、しかし、もしかしたらその中には、何も隠してないかもしれないということとパラレルなような気もする。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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