「妄想代理人」が問いかける現代日本の諸問題について

今敏の2004年監督作品、テレビシリーズ「妄想代理人」は素晴らしかった。

全13話と比較的長い作品だが一気に観てしまった。
登場人物はみな個性的で、設定も興味深い、作画も綺麗でセリフも魅力的、どこをとっても一級品、さすが今敏だし、さすがマッドハウスだ。

キャッチコピーは、「人々の内側で蠢く不安と弱さが最大限に増幅されたとき、少年バットは現れる。」だったという。
この話は現代人なら誰でも陥る可能性のある落とし穴の話なのである。
ここで言う落とし穴とは、”今”の自分に行き詰まり、全てを破壊し、全てをリセットしてもらいたいという潜在的願望のことである。自分を取り巻く状況が悪化し、そこから逃げたいと思う願望、しかし、それは決して自分のせいではないと思いたい欲望、不条理な暴力によってでもいい、そんな状況を、誰かに何とかしてもらいたいというすがるような想いがダークな形で顕現した存在、それが少年バットなのである。

特に1998年から13年連続、自殺数が3万人を超えている日本では、このアニメは切実な問題を提起していると言えるだろう。このアニメは勿論、フィクションであり、しかもファンタジーであるが、それは現実に生きている僕ら一人一人の心に食い込んでくる、つまりリアリティのある物語なのである。

ストーリーはこうだ。
ある日、夜道を歩いていたデザイナーの鷺月子は、通り魔の少年バットに襲われた。彼女は、マロミという大ヒットキャラクタをデザインした有名人であったが、対人関係が苦手ないわゆる不思議キャラな女の子である。その件がニュースになると、それ以降、少年バットによる通り魔事件が続発する。

例えば、以下のような人物が続々と被害者となるのである。彼らは、みなどこかに心の中の闇を抱えており、追い詰められていた。

その通り魔事件を追っていた胡散臭いルポライター(川津)、
勉強・スポーツ・ルックスどれをとってもクラスで一番だが、少年バットと間違われて、学校中から仲間はずれにされる少年(鯛良)、
その少年から、嫉妬され、イジメられていた別の少年(牛山)、
少年の家庭教師で真面目な大學研究所助手とコールガールに二重人格に悩む女性(蝶野)、
最初、暴力団員にたかっていたが、そのうちに逆ににたかられるようになり、窮地に陥り窃盗に手を染める巡査(蛭川)、
その蛭川に盗撮されている事を知ってしまった娘の(蛭川妙子)、
少年バットの模倣犯でゲーム内のキャラクタと自分とを混同してしまっている少年(狐塚)...

そして、その事件は、猪狩(係長)と馬庭(ヒラ)という二人の刑事が捜査するのだが、なかなか犯人逮捕に至らない。
そうこうしているうちに、彼らも刑事としてではなく、人間として事件に巻き込まれていくのだ。

そして、各場面において、謎のホームレスの老婆と痴呆の老人が登場する。この二人の存在は、事件にさらに深みを出す。
また、後半では、事件がどんどん肥大化してき、アニメの制作スタッフ、自殺志願者達、話題に乗り損ねた団地の新米主婦、減量に耐えられないボクサー、はてはロケット発射に失敗した技術者等を巻き込んでいく、刑事達は事件の不始末の責任を取ってクビになる、さらに少年バットがモンスター化していき、
あげく果てには、刑事の猪狩は工場警備員として再就職するも、いつの間にか自分の少年時代の妄想世界に入り込み、もう一人の刑事・馬庭は狐塚と同じようにゲームののキャラ化して、一人少年バットを追いかける、さらに月子が作ったキャラクタ・マロミが大ブレイクし、街中を覆い尽くすが...

という、おそらく、この作品を観たことのない方には、何がなんだかお分かりにならないストーリー展開だと思われるが、興味を持たれた方がいらっしゃれば、是非、一度観て欲しいと思います。

さて、実は、この少年バットとは、最初の事件被害者・鷺月子が子供の頃に、父親に貰った飼い犬(名前は彼女が作ったキャラクタと同じマロミ)を不注意から死なせてしまい、それが、自分の不注意だったということを、隠すために父親についた「通り魔に襲われたから」という嘘から出たキャラクタであったということが後でわかる。

しかし、彼女は父親への嘘を、その良心の呵責から無意識下に抑圧し、意識的にはその通り魔が実在の人物であったという嘘を真実化してしまったのであった。「違う、違うもん、本当に叩かれたんだもん」という嘘で自分自身をも騙してしまったのである。

そのため、今回の通り魔事件においても同様の嘘を自分自身についてしまったのだ。真実は、マロミの次のキャラクタを作る事を会社から求められていたが、それが出来ずに追い詰められていた彼女が、その状況の苦しさゆえに、自分自身の足を鉄パイプで殴打して、その状況から逃げようとしたというのである。

しかし、彼女はそれが嘘であったということを認めることが出来ない。

それは子供の頃の偽りの物語を、真実ということにした無意識の自己欺瞞の上にパーソナリティを作ってしまったかがゆえに、強迫神経症的に同じことを繰り返してしまったからである。
つまり、子供の頃の嘘を嘘と認められないがゆえに、同じような状況で同じような嘘を演じてしまったのだ。
しかも、彼女の抑圧された無意識は、追い詰められた状況で、幻覚という形で少年バットをこの世に顕現させ、その幻覚が現実化し、次々と事件を起こしてしまったというわけである。

しかし、彼女が嘘が生み出したキャラクタは、少年バットだけではなかった。
実は、かわいいマスコットキャラのマロミもそうだったのである。ここがこの「妄想代理人」の凄いところである。

しかも、マロミは、少年バット以上に、複雑なキャラクタである。以下、説明してみよう。

実は、月子はマロミ=犬を死なせてしまったという現実の辛さから嘘をついたというのも、嘘だったというのである。
本当は、月子はマロミ=犬を死なせてしまったことを自分のせいだという現実に耐えられなかったから嘘をついたのではなく、それによって父親から怒られるのが怖くて嘘をついたのだ。
さらに言うならば、彼女が認めたくなかった現実とは、犬を殺したのは自分だったという現実ではなくて、父親に嫌われたくないという現実なのである。

つまり、彼女にとって大事だったのは、マロミ=犬ではなく、父親との関係性の方だったということである。
さらに、その月子のついた嘘に対して、父親の方も、それが嘘だと判っていながら、月子の嘘につきあってしまった。
残酷な言い方かもしれないが、父親は、月子の現実逃避に手を貸してした、つまり、正当化してしまったのである。

一般的な話であるが、よく子供という存在は決して正直ではない。よく嘘をつく。そして自分がついた嘘を本当のことだと思い込む。さらに、周囲がそれを信じる(信じたふりをする)と、その嘘は本当になってしまう、そういう嫌な展開がここでも起きたのである。

一方、月子も、マロミ=犬を失った本当の理由(自分の不注意という)から目を逸らして、少年バットのせいにしてまったのと同時に、壊れてしまうかもしれない父親との脆弱な関係性(父親に嫌悪される可能性を常に持ち続けていたという現実)を認めることが出来ず、父親の嘘を都合よく受け入れて(父親の嘘を都合よく見抜けずに)、その二人の虚構的な関係性を安易に正当化するために、自分にとってマロミ=犬とは何よりも大事な存在であったという、もう一つの嘘を内面的に作ってしまったのである。

そして、彼女は、成長して、マロミというマスコットキャラを創った。
しかし、マロミ=マスコットキャラは、月子にとって、過去の自分は悪くなかったという嘘、父親とは信頼関係があったという嘘を直視することの痛みから、月子の自我を守り、癒すためのキャラであった。それゆえに、マロミは、「月子は悪くない」「守ってあげる」等、彼女にとって都合のいいことしか言わないのだ。

おそらく、月子がなかなか次のキャラクタを作れないのは、マロミがあまりにも彼女の自我構造に深く関わっているからである。別の言い方をするならば、マロミ以外のキャラを作ることによって、自分と父親との理想の関係の危ういバランスを壊したくないからという無意識が働いているからである。つまり、そのためには、月子にとって、マロミこそ、何よりも大事な存在でありつづけなければならないからである。

また、月子の愚鈍な不思議キャラは、おそらく、彼女の無意識を形作る多重の抑圧がもたらしたものかもしれないと思っている。
精神分析学は、過度の抑圧は、その人の頭の働きを鈍くさせ、記憶力を失わせるということを僕らに教えてくれるからだ。ちなみに、西尾維新は、「化物語」の戦場ヶ原ひたぎに「無知は罪(つみ)だが、馬鹿は罰(ばつ)」と言わせているが、それは月子にこそ当てはまる至極名言である。

さて、僕は「妄想代理人」のユニークな点として、この話は、父娘の葛藤の関係を扱ったドラマだという点もあげておきたい。
これは、日本のアニメでは極めて珍しいパターンかもしれない。僕が現時点で認識している範囲で言えば、父息子関係ドラマといえば、「エヴァ」がある。兄妹関係であれば、「火垂るの墓」がある。母息子関係であれば、「カラフル」がそうだ。また「まどマギ」はどちらかといえば、母娘関係の話である。しかし、父娘関係を取り上げたドラマはあっただろうか。敢えて言えば、「フラクタル」だが...

例えば、このアニメには、登場人物の一人、巡査の蛭川は、娘・妙子の着替えや裸を監視カメラで盗撮し、心に傷を負った娘は少年バットに遭遇して記憶を失くすというエピソードも出てくる。
また、刑事の猪狩と月子との関係が、妄想世界における擬似的な父娘関係として描かれているのも面白い。
第12話で、元刑事の猪狩は、現実における妻との辛い生活から逃避して、まるで「ALWAYS三丁目の夕日」の世界、かつての自分の子供の頃「昭和の日本」という妄想世界に居場所を見つける。この世界にはちゃんと「鈴木オート」もあるし、角の煙草屋もある。誰もが笑顔で暮らし、子供達は空き地で野球をし、近所のおばさんは路地で秋刀魚を焼き、泥棒は手ぬぐいを顔に巻いて唐草模様の風呂敷をかついでいる、そこは、「記号としての理想の昭和」の世界なのである。
そして、猪狩は、その世界において、月子と親子の関係を結び、それぞれが、お互いの喪失感を補いあっているのだ。その世界では、月子は、猪狩に理想的な父親像を見る一方で、猪狩は月子に、本当は欲しかった娘を投影し、安寧な居場所を得るのである。

しかし、言うまでもなく、この世界は、マロミが、猪狩と月子の願望を具現化した妄想世界にすぎない。
その意味で言えば、マロミとは「ビューティフルドリーマー」における夢邪気に近い存在なのである。

勿論、この妄想世界は、いつか破られなければならない。これは物語の鉄則である。

そして、ここで活躍するのが猪狩の妻・美佐江であった。
彼女は、猪狩に対して病弱な自分が負担になっているということを苦にして、現実から逃げ出そうとして、少年バットを呼び寄せてしまうのであるが、最終的にどんな苦難も逃げないこと、死を賭けて手術を受けること、夫を信じることを宣言し、さらには、少年バットとは現実から逃避したくなる人間の弱い心が呼び寄せるという意味で、マロミと同じ妄想であることを看破することによって、危機から逃れ、「昭和の日本」という妄想世界に逃げ込んだ夫を連れ出しに、その世界に飛び込んでいくのであった。
そして、彼女の自身の死と引き換えにした勇気ある行動は、遂に猪狩を目覚めさせるのだ。
目覚めた猪狩は、マロミの制止を振り切り、バットを振り回し、妄想世界を壊す。そして、以下のようなことを叫ぶ。まさに、心に刻むべき感動的な名セリフである。

俺の居場所なんざ、とっくにねぇんだよ。
俺の居場所が無いっていう現実こそ、俺の本当の居場所なんだ!

つまり、これは、人間にとっては、本当の居場所など、今、ここ以外、他には無いということの宣言なのである。
それは、例えば、ビートルズのジョン・レノンが「NOWHERE-MAN」で歌った「居場所の無い男」こそ、「NOW-HERE-MAN」、つまり、今ここに居る男であるというダブルミーニングに繋がるし、それはまた、村上春樹が「ノルウェイの森」の最後で「僕」に語らせた「僕はどこでもない場所の真ん中から緑(女性の名前)を呼びつづけていた。」というセリフにも通底する。現代人が共通して持っている不安な存在としての自己を、ありのままに受け入れた瞬間に発する言葉なのではないだろうか。

さて、ここまでであれば、いうならば、ただの心理劇と同じなのであるが、この「妄想代理人」がまさに、良作アニメたるゆえんは、この月子が無意識で生み出した少年バットやマロミが、他者の無意識の世界にも共有されて、増殖しいくというその不気味さがこのアニメフィルムに焼き付けられていること、つまり、その不気味さは、まさに、このアニメだからこそ表現出来ているという点においてである。

例えば、各話の最後に、告知演説をする痴呆老人は、ドラマの中では、路面に蝋石で謎の数式を書いているのであるが、その答えは事件の鍵を握っている数字(例えば、月子が入院している510号室の510や、少年を表す1など)を描き出す。その老人の顔のなんと不気味なことか。
また、ゲームと現実を混同して模倣的に少年バットを演じてしまう狐塚という中学生や、その世界に引き釣り込まれていく刑事の馬庭の夢意識も、それらの不気味な世界と通じてしまっている。その場面転換のなんと突飛でありながら、自然なことか。
あるいは、何度か登場するフィギュアオタクが作るフィギュアが、事件に関連する人物のフィギュアだったり、それらのフィギュアが語りだしたりするのだが、その男のなんとグロテスクで、しかし一方で、そのフィギュアのかわいいことか。

つまり、月子の無意識が生み出した少年バットが引き起こす事件の真相は痴呆老人、フィギュアオタク、ゲームオタクといった社会から疎外されてはいるが、ある意味、ピュアな存在の無意識の中に混入している様を表現するのに、なんとアニメは適しているのかということを是非、ここで述べておきたかったのである。
さらに、こういった場面にこそ、今敏監督が、他の作品においても、常に描こうとするこの現実の背後にある、よくわからない別次元の混沌とした世界の表現というライフテーマに関わる部分であるのだが、それは、大友克洋が描く、別次元の世界を感知出来る存在としての老人や幼児といった脱社会的超能力者の描写とも通じているのではないだろうか。おそらく、今監督は、直接的に大友克洋からの影響を深く受けているに違いない。

また、マロミが月子自身が持つ、真実から逃避して、妄想の世界に逃げ込ませてくれるマスコットキャラであるということは先ほど述べたが、その力は、月子同様に、嘘によって自我を成り立たせている人々、あるいは真実から目を背けざるを得ないような弱い人々の心をも癒す作用があるようである。
それゆえに、マロミは現代社会において、一大ヒット商品となるのであるが、これも、少年バット同様に、月子の無意識の世界が多くの人々の無意識と繋がっているということをも表している。

そして、月子の心の闇が生み出した少年バットは、他の大勢の人々の心の中にある弱みを侵食して、どんどんモンスター化していく。
一方、マロミはマロミ同士で合体して、巨大なマロミに変身し、少年バットの増殖を阻もうとする。このあたりも、文字で書くと陳腐な感じになってしまうが、アニメで見れば、まさに今敏ワールドの真骨頂である。

そして、ついには、少年バットは、黒い塊となって街をも、どんどん壊し、人々やビルを飲み込んでいく。
さらに、マロミの防御もむなしく、猪狩と月子にも迫ってくる。
そしてついに、その塊に二人が捕らえられてしまう。

しかし、その瞬間、場面は急転換を見せる。月子の頭の中に、かつて子供の頃、マロミを死なせてしまった映像がフラッシュバックするのだ。

そして、そのフラッシュバックの中で、かつて通り魔のせいにしようとした子供の頃の月子の目前で、大人になった月子が、マロミを抱きかかえて、本当の涙を流す。
ここで月子は、はじめて、自分自身の行為を受け入れ、自分の罪を認め、マロミに対して謝罪の念を抱くのである。
すると、その瞬間、子供の頃の月子にあった少年バットの影は、「さようなら」と言って消えていく。
ここではじめて、月子の中のトラウマは解消され、妄想の世界は霧散し、現実に戻ることが出来るのであった。

さて、街には平和が戻った。しかし、黒い塊によって破壊された街を目の当たりにした猪狩はこうつぶやく。

まるで戦後じゃねえか

この言葉は意味深である。

僕はこの言葉を敢えて深読みしてみたいと思う。

大東亜戦争が終わった直後、日本人は瓦礫の中から立ち上がった。しかし、日本人は、自らが、自らの意思で起こした戦争を直視することが出来ず、それを例えば、軍部や天皇制や財閥などのせいにした。しかし、本当だろうか。本当は、自分達ではない誰かのせいではなく、夢を抱いた日本国民一人一人のせいだったのではないだろうか。
それは、バブル以降の現代についても言える。現在の様々な問題(財政赤字、国力低下、教育崩壊、地域社会疲弊等)は、政治や財界や官僚のせいにすればいいという話なのだろうか。これも、金に目がくらんだ日本国民一人一人のせいなのではないだろうか。

それは、月子がマロミに抱いたような真の反省を、僕ら一人一人が、現代の日本に対して出来るのだろうかと問いかけているようにも見える。
本当に反省すれば、僕らはもう一度、やり直すことが出来る。猪狩のつぶやきは、現状に対する絶望と、明日への希望の言葉に僕は聞こえるのである。

しかし、現状はそんなに簡単ではない。

画面は変り、それから2年後、街は復旧して活気を取り戻す。そして、人々は以前と同じような日常に戻ってしまう。
第一話の冒頭と同じシーンように、ケータイ電話で人々が無責任な言葉でやりとりするシーンが繰り返されるのである。

これは、今敏監督のニヒリズムと捉えるべきなのであろうか。
いや、僕はそうは思わない。月子と同じような過去に対する真摯な反省は、アニメの中ではなく、このアニメを観ている現実の僕らに問いかけられているものとして捉えるべきなのではないだろうか。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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