「悪人」論2 房枝を主人公として観た「悪人」とは

昨日に引き続き、本日も映画「悪人」について書きかせていただきます。

昨日は主に、若い世代の登場人物について書いたのですが、今日は逆に、主人公・祐一(妻夫木聡)の祖母の房枝(樹木希林)について書いてみたいと思います。

彼女は、本当に日本中何処にでもいるような普通の「おばあちゃん」です。母親に捨てられた孫の祐一を育て上げ、体が動かなくなった寝たきりの夫・勝治(井川比佐志)の世話を見ながら、パートで近所の魚市場で働いています。そして、そのささやかな収入を、いつか、可愛い孫のためにと、爪に火を灯すように貯金をしています。

しかし、そんな彼女にも「落し穴」が待っていました。お年寄りを集めて、面白おかしく巧みな講習で気を惹き、最終的には法外な健康食品を売りつけるという悪徳商法の販売員・堤下(松尾スズキ)の罠にひっかかってしまうのです。
房枝は、自らの足で、堤下の怪しげな事務所に足を運んでしまいました。
それは、おそらく、彼女の単調な日々の生活に紛れ込んだ一瞬の罠だったのかもしれません。悲しいことに、あまりに悲しいことに、事務所の中の堤下は、講習会で、房枝を「美人秘書」ともちあげたあの優しい顔をしていなかったのです。

それにしても、こういう役をさせた時の松尾スズキは、憎い程、上手ですね。「大人計画」の役者独特の、素の邪悪さに満ち満ちています。
そういえば、この映画、この松尾スズキ以外でも、主演の妻夫木聡とその叔父役の光石研、ヒロインの深津絵里とその妹役の山田キヌヲ、被害者の満島ひかり、その母親役の宮崎美子、と、見事に九州出身の役者さんを揃えていますね。しかも、今日のエントリーのテーマである房枝役の樹木希林も、そのルーツは九州にあるといいます。このあたりもこの映画のリアリティを支えているのだなぁと僕は思いました。

房枝に話を戻しましょう。
堤下の甘言にひっかかってしまった彼女も、残酷なようですが、実は、昨日のエントリーでも書いた「今、ここではないどこか」に幻想を抱いてしまった普通の人、ということが言えるかもしれません。邪悪な推測をするならば、房枝が堤下の事務所へ行ったのは、実は、体がポカポカになるお茶が欲しかったのではなく、心をポカポカにして欲しかったからではないでしょうか。

しかも、そんな房枝に対して、追い討ちをかけるように、孫・祐一が引き起こしてしまった大事件、それを目当てにやってきたハゲタカのようなマスコミ取材陣、そして、さらに、房枝の心を傷つけたのは、祐一を捨てたはずの母親・依子(余貴美子)が突然やってきて、房枝に投げかけた、その言葉でした。

母親のあたしまで白か眼で見られるとよ

祐一は、祐一はあたしが育てた、あたしの子やけん

私だって、祐一には悪かことしたと思うとるけん
だけん、今でも会うたびに涙流して 謝っとるよ

あんた祐一に会いよったと?

会いよるさ。
会うたびに涙流して謝るあたしから、あん子、お金せびるとよ
千円でも二千円でも。ギリギリで生活しよるあたしから
ったく、よか、人間に育ててくれたとよ。

房枝は、事件によって、それまで彼女が知らなかった祐一の陰の部分を見せられてしまうのです。
房枝にとっては、祖母・孝行のいい孫だった彼は、それまでずっと、陰で、出会い系サイトでオンナを買い、母親に金を無心するような”悪人”の顔を持っていたというわけですね。
しかも、この映画が残酷なのは、それだけではない。最初から最後まで、祐一から、房枝に対するリアルタイムの愛情の発露が描かれていないことなのです。彼は、殺人を犯し、光代と出会うことよって、一瞬の救いを得るわけですが、彼は母親との事は切実に思い出すけれども、もう、房枝のことは意識に上らない、距離を置いた存在になってしまっているのです。
いや、逆に言えば、祐一にとって房枝とは、それまで、無言のうちに自分を抑圧し続けてきた諸現実の象徴として見えていたのかもしれません。

面白いことに、祐一は、まさに彼の母親が祖母の家に怒鳴り込んだその夜に、光代と一緒に暮らす家の夢を見ます。そして、その家の絵を描くのですが、それは、距離を置いた平屋の二世帯同一敷地内別建て住宅となっています。この二つの家の間の曲がりくねった道が、そのまま、祐一の心の中の房枝との距離を表しているのでないでしょうか。

そして次の日、房枝は思い切った行動に出ます。それが、房枝を主人公として観た「悪人」のクライマックスとも言えるシーンです。
彼女は祐一が、初めて仕事をした得た給料で、彼女にプレゼントしたというスカーフを着けて、堤下の事務所へ乗り込み、取られた金を返してもらおうと戦いに行くのです。その前に、夫の介護のため、病院へ行く際には、そのスカーフをしていなかったのですが、イザ、”決戦”という前にそれを身に纏います。これは明らかに、祐一との”共闘”、あるいは、”応援”を意味する仕草だと思います。そして、それと同時にこれは、房枝の祐一からの独立闘争という意味も担っています。つまり、これからは、自分の力で生きていかなければならないという自分自身に対する決意表明でもあるのです。

ただの、優しい、孝行孫だった祐一が、自分の知らないところで持っていた別の姿、そんな祐一が、今まさに闘っている
それは確かに、「悪いこと」かもしれない、
しかし、ばあちゃんだけはお前の味方だという、そんな声にならない沈黙の声と同時に、これがばあちゃんの闘いだ、よく見ておけという声を、僕らは聞きます。

たった一人で勝ち目の無い戦(いくさ)に挑戦していく房枝の姿は、同時に、人生で始めて「生きている」という実感を得た祐一が、これまた、敗戦必死で立ち向かう「灯台闘争」=独立闘争のシーンとシンクロするのです。

最後で、佳乃(満島ひかり)が、殺された現場で、父・佳男(柄本明)が静かに手を合わせるシーンが出てきますが、そこのガードレールには、あのスカーフが巻かれています。
これにはいろんな解釈が考えられると思いますが、例えば、被害者の佳乃に対して、
「あなたを殺した、祐一は私の孫だけど、本当を悪い奴じゃないんだよ、このスカーフはその祐一が私にくれたんだから...だから許しておくれ。」
という声を聞く人もいるかもしれません。
しかし、一方で、全く逆に、スカーフを巻くという行為が、祐一をこの現場に置いてくる、という、残酷なる”追放”を意味しているという解釈も出来るのではないでしょうか。それは房枝から祐一への「私に出来るのは、ここまでだ、お前は、一人で、この娘さんを弔い続けなさい」というメッセージとして。

つまり、あの祖母から孫への最後の贈り物(戦闘という応援)は、孫の独り立ちへの餞別だったという解釈です。
そして、祐一は、人生で二度目の”残酷なおきざり”にあったという解釈です。
それでは、それは何のために?
それは、房枝の胸の中のある暗い部分だけが知っていることではないでしょうか。

まさむね

※佳男(柄本明)もこのドラマではかなりインパクトのある役を演じているのですが、今回のエントリーでは触れることが出来ませんでした。もし、それを期待されていた方がいたとしたら、申し訳ありません。

関連エントリー:映画「悪人」における本当の悪人は土地の呪縛ではないでしょうか

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