剣片喰紋 -片喰紋の中でも武家に好かれた紋-宇喜多秀家、野口英世、田中角栄...

このページでは片喰紋の中でも特に剣片喰紋のみを掲載。
剣は武家を表すとも言われている。

片喰紋の有名人にご興味のある方はコチラをご覧下さい。


酒井重忠 。1549年 – 1617年8月22日、 徳川氏家臣。
三河国坂井郷出身。徳川氏の譜代家臣・酒井正親の次男。姉川の戦いなど、家康初期の主要な合戦に参加して武功を挙げた。関ヶ原の戦いでは本戦に参加後、近江国大津城の守備を担う。武蔵国川越藩主、上野国厩橋藩初代藩主、雅楽頭系酒井家宗家初代。


宇喜多秀家 。1572年 – 1655年12月17日、 武将・大名。
備前国出身。岡山城主の宇喜多直家の次男。幼名は八郎。羽柴秀吉による備中高松城攻めに協力。秀吉の寵愛を受けて猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ、流人として伊豆諸島・八丈島へ配流。家紋は剣片喰と児の字。


青木昆陽 。1698年6月19日 – 1769年11月9日、 儒学者、蘭学者。
江戸日本橋小田原町の魚屋の1人息子として生まれる。京都の儒学者・伊藤東涯に私淑して儒学を学ぶ。徳川吉宗の命を受け、薩摩芋の試作に成功。後に薩摩芋の栽培が普及し天明の大飢饉では多くの人々の命を救う。家紋は丸に剣片喰。画像は目黒・滝泉寺にて。


高橋至時 。1764年12月22日 – 1804年2月15日、 天文学者。
大阪出身。定番同心の子。通称・作左衛門。読みは、たかはしよしとき。伊能忠敬に西洋暦を教え忠敬の日本全国の地理測量を支援。伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させた高橋景保の父。画像は上野源空寺の墓所にて撮影。


国定忠治 。1810年 – 1851年1月22日、 侠客。
上野国佐位郡国定村出身。父は国定村の豪農・与五左衛門。本名は長岡忠次郎。後に博徒となって上州から信州一帯を実質支配。天保の大飢饉で農民を救済した侠客として伝説化された。家紋は丸に剣片喰紋。画像は養寿寺にて撮影。


島本仲道 。1833年6月5日 – 1893年1月2日、 藩士、官僚。
土佐国出身。読みは、しまもとなかみち。土佐勤王党に参加。戊辰戦争で活躍。維新後は官僚として近代日本国家の検察、警察、弁護士機構制度の確立に尽力。自由民権運動に参加、保安条例で処分される。家紋は丸に剣片喰紋。青山霊園の墓所にて撮影。


松尾儀助 。1836年 – 1902年1月15日、 実業家。
肥前国出身。読みは、まつおぎすけ。ウィーン万国博覧会に茶商として参加。日本パビリオン内に日本庭園を造り、日本のアピールを行う。佐野常民の指名で貿易会社起立工商会社を立ち上げる。家紋の五瓜に剣片喰紋は賢崇寺の松尾家墓所にて撮影。


近藤長次郎 。1838年4月1日 – 1866年2月28日、 志士。
土佐国出身。高知城下の饅頭商人の息子。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。


酒井忠惇 。1839年9月5日 – 1907年11月10日、 大名、華族。
江戸出身。読みは、さかいただとし/ただとう。兄は幕府最後の大老で第8代姫路藩主酒井忠績。戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いで徳川慶喜ら幕府側につく。維新後、永世華族に列せられ、男爵を授与される。家紋の剣片喰紋は染井霊園にて撮影。


酒井孫八郎 。1845年12月15日 – 1879年4月15日、 桑名藩の家老。
伊勢国出身。実家服部氏は徳川家康に仕えた服部正成(服部半蔵)の系譜につながる。桑名藩家老・酒井三右衛門の養子に迎えられる。藩論を尊王派で統一し桑名城を無血開城して新政府に恭順。家紋は丸に剣片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて。


小野田元熈 。1849年5月12日 – 1925年9月25日、 政治家。
館林藩下士・藤野逸平の二男。同藩の小野田安兵衛の養子となる。読みは、おのだもとひろ。茨城県知事、山梨県知事、静岡県知事、宮城県知事、香川県知事を歴任。貴族院勅選議員に任命される。家紋は丸に剣片喰紋。谷中霊園にて撮影。


濱尾新 。1849年5月12日 – 1925年9月25日、 教育者、政治家。
但馬国出身。豊岡藩士・濱尾嘉平治の子。東京美術学校校長代理、文部大臣、東京帝国大学総長、貴族院議員、東宮御学問所・東宮大夫副総裁、枢密院議長、内大臣臨時代理などを歴任。家紋は剣片喰。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


浜田玄達 。1855年1月14日 – 1915年2月16日、 医学者。
肥後国大岳村出身。読みは、はまだげんたつ。日本の産婦人科学のパイオニアとして日本婦人科学会を創立、会長を連続務めた。また、帝大医科大(東大)教授、医科大学長、宮内省御用掛も務めた。家紋は丁子片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


門野幾之進 。1856年4月18日 – 1938年11月18日、 実業家。
伊勢国出身。鳥羽藩の家老・門野豊右衛門の長子。読みは、かどのいくのしん。阿部泰蔵らと共に千代田生命保険を創立。千代田火災社長、時事新報会長、日本無線電信設立委員、貴族院議員等も歴任。家紋は二重丸に剣片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


大熊氏広 。1856年6月13日 – 1934年3月20日、 彫刻家。
武蔵国足立出身。読みは、おおくまうじひろ。旧有栖川宮御殿の建築彫刻部を担当。 84年工部省出仕となり,皇居造営の彫刻制作に参加。 代表作は靖国神社境内の大村益次郎像、小松宮彰仁親王像等多数。画像の丸に剣片喰紋は雑司が谷霊園にて撮影。


棚田嘉十郎 。1860年5月21日 – 1921年8月16日、 植木職人。
大和奈良町出身。読みは、たなだかじゅうろう。元々は、植木職人として奈良公園などの植栽を手がけていた。平城宮跡が放置されているのを見て、私財を投じて保存運動をはじめる。平城宮大極殿跡保存会を発足させた。家紋は丸に剣片喰紋。墓所写真にて確認。


長瀬富郎 。1863年12月31日 – 1911年10月26日、 実業家。
美濃国恵那郡福岡村出身。読みは、ながせとみろう。12歳で奉公に出て23歳で独立を果たし長瀬商店を馬喰町に創業。花王石鹸製造に成功。シアトル万国博覧会で金杯を獲得。現在の花王の基礎を築く。家紋は丸に剣片喰。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


高島平三郎 。1865年11月18日 – 1946年2月15日、 教育者。
備後出身。福山藩士であった高島賢斎の三男。日本体育会体操学校校長、日本女子大学校教授、立正高等女学校校長、日蓮宗大学、東洋大学教授などを務める。体育学の構築に大きく寄与した。家紋の丸に剣片喰紋は、池上本門寺の墓所にて撮影。


山座円次郎 。1866年12月2日 – 1914年5月28日、 外交官。
筑前国出身。福岡藩の足軽・山座省吾の次男。読みは、やまざえんじろう。南方熊楠の親友。また、広田弘毅に外務省入省を勧めた。日露ポーツマス講和会議に出席するなど小村外交の中心的役割を担う。家紋は剣片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて。


横山大観 。1868年11月2日 – 1958年2月26日、 美術家。
常陸国水戸出身。旧水戸藩藩士・酒井捨彦の長男。朦朧体と呼ばれる線描を抑えた独特の没線描法を確立した近代日本画壇の巨匠。戦中に自らが売却した絵の代金を軍に寄付したため終戦後に戦犯容疑者として取り調べを受けた。画像は谷中霊園にて撮影。


相馬半治 。1869年8月15日 – 1946年1月7日、 実業家。
尾張出身。旧姓は田中。欧米に留学し製糖業を研究。帰国後,母校東京高工(現東京工業大)教授。明治製糖の設立に加わり、明治製菓を設立。1923年から1942年まで明治製菓会長をつとめる。家紋は八曜に剣片喰紋。画像は中の剣片喰紋。


斎藤隆夫 。1870年9月13日 – 1949年10月7日、 政治家。
兵庫県豊岡市出身。衆議院議員当選13回。立憲国民党、立憲同志会等の非政友会系政党に属した。「普通選挙賛成演説」「粛軍演説」「反軍演説」などの演説をして名演説家として名前を残す。家紋は丸に剣片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


山下芳太郎 。1871年12月24日 – 1923年4月7日、 言語研究家。
愛媛県出身。外務省勤務後、住友に転職し住友鋳鋼所、住友製鋼所等の重役を務める。後に、漢字を非効率と考え、カタカナの左横書き文書普及を目指すカナモジ運動に専念するためすべての役職から退く。家紋は剣片喰紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。


杉本鉞子 。1873年7月21日 – 1950年6月20日、 作家。
新潟県古志郡長岡出身。越後長岡藩の家老、稲垣茂光の六女。読みは、すぎもとえつこ。兄の友人の杉本松雄との結婚のために渡米。日本を紹介した『武士の娘』を雑誌『アジア』に連載し、ベストセラー作家となる。家紋の丸に剣片喰紋は青山霊園にて撮影。


桃中軒雲右衛門 。1873年10月25日 – 1916年11月7日、 浪曲師。
群馬県高崎市新田町出身。父は地方回りの祭文語り。本名は岡本峰吉。読みは、とうちゅうけんくもえもん。武士道鼓吹を旗印に掲げ大阪中座や東京本郷座で大入りをとり、浪曲の劇場への進出を果たす。家紋は丸に剣片喰紋。画像は品川・天妙国寺にて撮影。


森田正馬 。1874年1月18日 – 1938年4月12日、 精神科医。
高知県野市町出身。読みは、もりたまさたけ。東京慈恵会医科大学教授。精神分析学には批判的。神経質に対する精神療法である「森田療法」を創始した。荒俣宏の『帝都物語』にも登場する。家紋の丸に剣片喰は墓所写真にて確認。


島崎赤太郎 。1874年7月9日 – 1933年4月13日、 音楽教育者。
東京府築地出身。読みは、しまざきあかたろう。文部省著作『尋常小学唱歌』の作曲委員会主任。『中学唱歌』などの選曲編集にも尽力。西南学院大学、立教大学などの校歌も作曲。代表曲は「最上川」。家紋は丸に剣片喰紋。画像は谷中霊園にて撮影。


野口英世 。1876年11月9日 – 1928年5月21日、 細菌学者。
福島県耶麻郡三ッ和村出身。野口佐代助・シカ夫妻の長男。黄熱病や梅毒等の研究で知られる。ガーナのアクラで黄熱病原を研究中に自身も感染して51歳で死去。千円札の肖像になっている。家紋は剣片喰紋。野口英世記念会にて確認。


平賀譲 。1878年3月8日 – 1943年2月17日、 海軍軍人、工学者。
東京府出身。本籍地は広島県広島市。読みは、ひらがゆずる。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。八八艦隊主力艦の基本計画を担当。最終階級は海軍技術中将。1938年に東京帝大総長となる。家紋は丸に剣片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


今村紫紅 。1880年12月16日 – 1916年2月28日、 日本画家。
神奈川県横浜市出身。読みは、いまむら しこう。大胆で独創的な作品は画壇に新鮮な刺激を与え、後進の画家に大きな影響を与えた。代表作は「平親王」「伊達政宗」「近江八景」「熱国之巻」など。家紋は丸に剣片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


河本大作 。1883年1月24日 – 1955年8月25日、 陸軍軍人。
兵庫県佐用郡出身。地主の家柄。大佐で関東軍参謀時、張作霖爆殺事件を起した。その後、南満洲鉄道の理事、満洲炭坑の理事長となる。戦後は国民党軍に協力して中国共産党軍と戦ったが捕虜となる。家紋は剣片喰紋。画像は東郷寺にて撮影。


宮城音五郎 。1883年8月3日 – 1967年9月14日、 学者、政治家。
埼玉県出身。読みは、みやぎおとごろう。兄は司法大臣の宮城長五郎。義姉に宮城タマヨ(参議院議員)がいる。仙台第一中学校校長、東北帝國大学教授、宮城県知事、東北工業大学学長などを歴任した。家紋は丸に剣片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


吉田絃二郎 。1886年11月24日 – 1956年4月21日、 小説家。
佐賀県神埼郡西郷村出身。読みは、よしだげんじろう。本名は吉田源次郎。早稲田大学教授の傍ら詩や小説を多く執筆した。代表作は「小鳥の来る日」「清作の妻」「山はるかに」など。家紋は丸に剣片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


塚原二四三 。1887年4月3日 – 1966年3月6日、 海軍軍人。
福井県出身(本籍は山梨県)。読みは、つかはらにしぞう、または、つかはらふしみ。大東亜戦争では、第11航空艦隊司令長官に任じられた。最終階級は海軍大将井上成美とともに海軍大将に昇進した)。家紋は丸に剣片喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


政井みね 。1888年2月3日 – 1909年11月20日、 労働者。
岐阜県吉城郡河合村出身。日本近代化を陰で支えた労働者の一人であり、かつて野麦峠を越えた女工を語る際に欠かせない人物である。山本茂実の小説「あゝ野麦峠」.で有名になる。家紋の丸に剣片喰紋は、現在でも多くの人が訪れる墓所の写真にて確認。


安井曾太郎 。1888年5月17日 – 1955年12月14日、 洋画家。
京都中京区出身。生家は木綿問屋を営む商人の家。戦前・戦後を通じて昭和期を代表する洋画家と評される。帝国美術院会員 、文化勲章、文化功労者を受章。代表作「婦人像」「金蓉」「承徳喇嘛廟」。家紋は丸に剣片喰紋。画像は蔵前・正覚寺にて撮影。


中原悌二郎 。1888年10月4日 – 1921年1月7日、 彫刻家。
北海道釧路市出身。読みは、なかはらていじろう。新海竹太郎に師事。大正期日本を代表する彫刻家の一人。「平櫛田中像」を遺作として、32歳の若さで没した。代表作は「行乞老人像」「若きカフカス人」「憩える女」。家紋の丸に剣片喰紋は東本願寺函館別院にて撮影。


内田百閒 。1889年5月29日 – 1971年4月20日、 小説家、随筆家。
岡山県出身。生家は造り酒屋。読みは、うちだひゃっけん。夏目漱石の門下でユーモアに富んだ随筆を得意とした。代表作は、『旅順入城式』 『阿房列車』。黒澤明の映画「まあだだよ」の題材となる。家紋は丸に剣片喰紋。画像は中野の金剛寺にて。


沢モリノ 。1890年3月19日 – 1933年5月14日、 舞踏家。
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身。本名は深澤千代。同じ帝国劇場出身の石井漠らと東京歌劇座を結成、浅草公園六区の日本館で公演。後に「沢モリノ一座」で活動。朝鮮の劇場で『瀕死の白鳥』を公演中に倒れ死亡。画像は多磨霊園。


安井英二 。1890年9月18日 – 1982年1月9日、 政治家。
東京府出身。大阪府知事・文部大臣(第1次近衛内閣)・内務大臣兼厚生大臣(第2次近衛内閣)などを歴任。大政翼賛会による候補者推薦制の導入など、内務省の意向を汲み入れた政策を提言した。家紋は丸に剣喰紋。画像は多磨霊園にて撮影。


麻生久 。1891年5月24日 – 1940年9月6日、 政治家・労働運動家。
大分県玖珠郡出身。日本労働組合総同盟の政治部長となり無産政党運動に参加。日本労農党を結成。後に社会民衆党と合併して社会大衆党とし書記長に就任。第2次近衛文麿内閣で新体制準備委員会委員となる。家紋は剣片喰紋。画像は多磨霊園の墓所にて。


中村正雄 。1892年5月15日 – 1939年12月25日、 陸軍軍人。
石川県出身。フランス大使館付武官補佐官、歩兵第18連隊大隊長、イタリア大使館付武官を歴任。歩兵第21旅団長として日中戦争に従軍。崑崙関の戦いにて戦死。死後、陸軍中将に特進した。家紋は丸に剣片喰紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


福原麟太郎 。1894年10月23日 – 1981年1月18日、 文学者。
広島県沼隈郡神村出身。日本英文学会会長、東京教育大学文学部長、日本芸術院会員となる。定年で退官後も研究を続けた。代表作は「天才について」「幸福について」「人間の教育」等。家紋は丸に剣片喰紋。画像は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。


鹿島守之助 。1896年2月2日 – 1975年12月3日、 実業家、政治家。
兵庫県揖保郡出身。永富敏夫の四男。鹿島組社長・鹿島精一の娘婿となり鹿島建設を率いる。読みは、かじまもりのすけ。後に参議院議員、北海道開発庁長官も務める。「鹿島平和賞」を表彰するなど文化的活動も行う。画像は文京区・吉祥寺にて撮影。


猪口敏平 。1896年8月11日 – 1944年10月24日、 海軍軍人
鳥取県鳥取市出身。大工棟梁・猪口鉄蔵の長男。読みは、いのぐちとしひら。弟・猪口力平(海軍大佐) 神風特別攻撃隊命名者。最終階級は海軍中将。戦艦「武蔵」最後の艦長として知られる。家紋の亀甲に剣片喰紋は墓所写真にて確認。


尾崎翠 。1896年12月20日 – 1971年7月8日、 小説家。
鳥取県岩美郡出身。読みは、おざきみどり。「女人芸術」に映画評『映画漫想』を連載。短篇「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」発表。近年、映画化されるなど評価が高まっている。家紋の石持ち地抜き剣片喰紋は鳥取市養源寺の墓所にて撮影。


河村光陽 。1897年8月23日 – 1946年12月24日、 作曲家。
福岡県田川郡上野村出身。家は裕福な地主。本名は河村直則。読みは、かわむらこうよう。代表作品は「うれしいひなまつり」「かもめの水兵さん」など。大半の楽曲は長女の順子歌唱によるレコードで発表された。家紋の丸に剣片喰紋は吉祥寺にて撮影。


山野一郎 。1899年12月15日 – 1958年12月18日、 漫談家、俳優。
新潟県古志郡半蔵金村出身。本名は山内幸一。エッセイスト山内美郷の祖父。活動弁士になる。新宿武蔵野館専属となり徳川夢声らと活動弁士として活躍。漫談家・俳優としても活躍し古川緑波らとナヤマシ会を結成。画像は雑司が谷霊園の墓所にて撮影。


柳瀬正夢 。1900年1月12日 – 1945年5月25日、 美術家、画家。
愛媛県出身。本名は、正六。読みは、やなせまさむ。村山知義等とともにMAVOを結成し前衛美術に進む。カリカチュア、絵画、デザイン、コラージュ、舞台美術など、幅広く活躍。家紋は丸に剣片喰紋。画像は小平・圓龍寺の柳瀬家の墓所にて撮影。


三角寛 。1903年7月2日 – 1971年11月8日、 小説家、山窩作家。
大分県直入郡馬籠出身。本名は三浦守。読みは、みすみかん。山窩小説三部作と言われる『怪奇の山窩』『情炎の山窩』『純情の山窩』を発表。戦後は映画館「人世坐」「文芸坐」の経営にあたる。家紋は丸に剣片喰紋。画像は大久保・全龍寺にて撮影。


小津安二郎 。1903年12月12日 – 1963年12月12日、 映画監督。
東京市深川区出身。父親は海産物肥料問屋「小津商店」の番頭。小津調と称される独特の映像世界で世界的にも高い評価を得ている。代表作は『東京物語』『晩春』『麦秋』など。家紋は丸に剣片喰紋。画像は深川・陽岳寺にある小津家の墓所にて撮影。


稲山嘉寛 。1904年1月2日 – 1987年10月9日、 実業家、財界人。
東京市京橋区銀座出身。読みは、いなやまよしひろ。新日鉄の初代社長、会長を務める。土光敏夫の後継として第5代経団連会長に就任。国際協調を重視した。1982年勲一等旭日大綬章受章。家紋は丸に剣片喰紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


笠智衆 。1904年5月13日 – 1993年3月16日、 映画俳優。
熊本県玉名郡出身。読みは、りゅうちしゅう。『東京物語』『秋刀魚の味』等、小津安二郎の作品では重要な役を演じている。また、『男はつらいよ』シリーズの御前様としてもよく知られている。家紋は丸に剣片喰紋。北鎌倉の成福寺にて撮影。


坂口安吾 。1906年10月20日 – 1955年2月17日、 小説家。
新潟県新潟市出身。衆議院議員の坂口仁一郎の五男。本名は坂口炳五。終戦直後、「堕落論」「白痴」で文壇に衝撃を与えた。代表作は「信長」「桜の森の満開の下」等。家紋は雪輪に剣片喰紋。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。


宮武三郎 。1907年7月23日 – 1956年12月11日、 プロ野球選手。
香川県高松市出身。高松商業学校時代は水原茂とともに甲子園全国制覇。東京六大学では慶応大学のスター選手として活躍。阪急軍が結成されると入団。投手のかたわら強打者として活躍。阪急の初代主将を務めた。家紋は剣片喰紋。青山霊園にて撮影。


黒澤明 。1910年3月23日 – 1998年9月6日、 映画監督。
東京府荏原郡大井町出身。父親は秋田県大仙市出身の元軍人。日本映画の巨匠。「世界のクロサワ」と呼ばれた。代表作は『七人の侍』『羅生門』『赤ひげ』『用心棒』『影武者』など。家紋は丸に剣片喰。画像は永田町の蕎麦屋「黒澤」の暖簾。


澤野久雄 。1912年12月30日 – 1992年12月17日、 作家。
埼玉県出身。「夜の河」が芥川賞候補となるが落選。しかし同作は山本富士子主演で映画化される。代表作は『方舟追放』『挽歌』『夜の河』等。四たび芥川賞候補となるが遂に受賞には至らなかった。家紋は丸に剣片喰。画像は烏山・幸龍寺にて撮影。


羽黒山政司 。1914年11月18日 – 1969年10月14日、 大相撲力士。
新潟県西蒲原郡松長村大字羽黒出身。農家の三男。本名は小林正治。序ノ口から幕内まで全階級の優勝経験を持つ。第36代横綱。幕内通算成績: 321勝94敗1分117休 勝率.773。幕内最高優勝7回。家紋は丸に剣片喰紋。画像は浅草・敬覚寺にて撮影。


柳家小さん(5代) 。1915年1月2日 – 2002年5月16日、 落語家。
長野県出身。北辰一刀流の七段範士の資格を持つ。二・二六事件の時、反乱部隊の屯所に二等兵として詰めており上官命令で落語「子ほめ」を一席したという。落語協会7代目会長。落語家として初の人間国宝。画像は世田谷区・乗泉寺別院にて撮影。


島尾敏雄 。1917年4月18日 – 1986年11月12日、 作家。
神奈川県横浜市戸部町出身。輸出絹織物商を営む父・島尾四郎の子。兵庫県武庫郡西灘村に移住。妻の実家がある奄美に帰島して講師をしながら執筆活動を続けた。代表作は『死の棘』『日の移ろい』『魚雷艇学生』など。家紋は剣片喰紋。


田中角栄 。1918年5月4日 – 1993年12月16日、 政治家。
新潟県刈羽郡二田村出身。田中角次の二男。田中家は農家だが家は牛馬商を営んでいた。内閣総理大臣(第64代、第65代)。自著「日本列島改造論」に沿った政策を推進。日中国交回復も実現。その後の日本の政治を方向付けた。


川上哲治 。1920年3月23日 – 2013年10月28日、 野球選手。
熊本県球磨郡出身。現役時代から打撃の神様と言われ、戦時中から戦後におけるプロ野球界の大スターとして活躍。監督としては読売ジャイアンツの黄金時代を築き上げ、プロ野球史上唯一のV9を達成。家紋の丸に剣片喰紋は墓所にて撮影。


松園尚巳 。1922年7月15日 – 1994年12月15日、 ヤクルト社長。
長崎県三井楽町出身。双子の兄は松園直巳。長崎新聞社長、長崎文化放送会長も務めた。産経新聞社からサンケイアトムズを買収し(現ヤクルトスワローズ)同球団のオーナーに就任。家紋は丸に剣片喰紋。画像は鎌倉霊園の墓所にて撮影。


金子信雄 。1923年3月27日 – 1995年1月20日、 俳優。
東京市下谷区出身。成瀬巳喜男監督の『浦島太郎の後裔』で映画デビュー。映画・テレビドラマ界では人間臭い悪役俳優として名を馳せ、日活全盛期のアクション映画や東映の任侠映画・ヤクザ映画で活躍した。家紋の丸に剣片喰紋は東京霊園にて撮影。


松本英彦 。1926年10月12日 – 2000年2月29日、 サックス奏者。
岡山県出身。読みは、まつもとひでひこ。ジョージ川口中村八大、小野満と日本のジャズ史に偉大な足跡を残したビッグフォーを結成。日本人として初めてモントレー・ジャズ・フェスティバルに招かれ単独出演した。家紋は丸に剣片喰紋


植木等 。1926年12月25日 – 2007年3月27日、 俳優、歌手。
愛知県名古屋市出身。父親は真宗大谷派常念寺の住職。ハナ肇クレイジーキャッツに所属。高度経済成長時代を象徴する喜劇人として、一世を風靡。数々のヒットギャグ、ヒット曲を放った。代表作は『日本一の無責任男』等。画像は小平霊園にて撮影。


山村美紗 。1931年8月25日 – 1996年9月5日、 推理小説家。
日本統治下の朝鮮・京城(現在のソウル)出身。長女は女優の山村紅葉。代表作は『百人一首殺人事件』。テレビ朝日では、「山村美紗サスペンスシリーズ」が放映されている。家紋は丸に剣片喰紋。京都・泉涌寺・雲龍院の墓所にて撮影。


長門勇 。1932年1月1日 – 2013年6月4日、 俳優。
岡山県倉敷市出身。本名は平賀湧。読みは、ながといさむ。親しみやすいキャラクターが印象的。金田一耕助シリーズに多数出演。代表出演作は『てなもんや三度笠』『三匹の侍』等。家紋は丸に剣片喰と笹竜胆。画像は春秋苑の生前墓にて撮影。


堤義明 。1934年5月29日 – 、 実業家。
東京府出身。父は西武グループの基礎を一代で築き上げた堤康次郎。元西武鉄道、国土計画、プリンスホテルの社長。JOC会長なども歴任。一時は総資産額で世界一となったがグループの不祥事の責任を取って一線を退く。家紋は剣片喰紋。


堀本律雄 。1935年1月20日 – 2012年1月14日、 プロ野球選手。
大阪府出身。立教大学、日通浦和から、読売ジャイアンツへ入団。新人ながら一躍エースとなり、29勝18敗・防御率2.00(リーグ2位)を挙げて、最多勝・沢村賞・新人王のタイトルを獲得した。家紋の丸に剣片喰紋は墓所の写真より。


田宮二郎 。1935年8月25日 – 1978年12月28日、 俳優、司会者。
大阪府大阪市北区出身。本名は柴田吾郎。代表作は映画『悪名』シリーズ、『不信のとき』、クイズ番組『クイズタイムショック』の名司会、テレビドラマ『白い巨塔』など。家紋は丸に剣片喰紋。画像は京都・法然院の柴田家の墓所にて撮影。


原田泰治 。1940年4月29日 -、 画家、グラフィックデザイナー。
長野県諏訪市出身。読みははらだたいじ。第29回小学館絵画賞を受賞。朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深い。家紋の丸に剣片喰紋は、諏訪市原田泰治美術館にて教えていただいた。


細川俊之 。1940年12月15日 – 2011年1月14日、 俳優。
福岡県小倉市出身。山口県下関市育ち。読みは、ほそかわとしゆき。女優だった小川眞由美と結婚し、離婚。千夏記と再婚。主な出演作品は『お熱いのがお好き』『夜逃げ屋本舗』『ラヂオの時間』等。家紋は丸に剣片喰紋。墓所の写真より判断。


法華津寛 。1941年3月28日 – 、 馬術選手。
東京府出身。読みは、ほけつひろし。12才の時に東京乗馬倶楽部に加入。東京五輪に出場。北京五輪では、史上最高齢(67歳)でオリンピックに出場し、44年ぶりの出場という史上最長記録を作る。家紋の剣片食紋は多磨霊園の法華津家の墓所にて撮影。


萩本欽一 。1941年5月7日 -、 コメディアン。
東京都台東区出身。両親は香川県小豆島出身。坂上二郎とコント55号を結成。愛称は欽ちゃん。『スター誕生!』をはじめ数々の番組の司会を務める。家紋の丸に剣片喰紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


谷岡ヤスジ 。1942年8月29日 – 1999年6月14日、 漫画家。
愛媛県宇和島市出身。本名は谷岡泰次。『週刊少年マガジン』に連載した『ヤスジのメッタメタガキ道講座』で大ブレイク。作品の中の「アサー!」、「鼻血ブー」は流行語となった。家紋は丸に剣片喰紋。画像は高尾霊園にて撮影。


梨元勝 。1944年12月1日 – 2010年8月21日、 芸能リポーター。
東京都中野区出身。埼玉県与野市で育つ。講談社の契約社員として女性誌『ヤングレディ』の記者を務めた後、芸能リポーターに転身。テレビ朝日でリポーター業をスタートし、大きな地位を確立した。家紋の丸に剣片喰紋は墓所にて撮影。


森田必勝 。1945年7月25日 – 1970年11月25日、 政治活動家。
三重県四日市市出身。父・森田和吉は小学校校長。読みは、もりたまさかつ。作家・三島由紀夫が創設した「楯の会」のメンバーとして、三島事件の際に隊長・三島由紀夫とともに割腹自決した。家紋は剣片喰紋。四日市の森田家墓所の写真で確認。


五街道雲助(5代) 。1948年3月2日 -、 落語家。
東京都墨田区出身。本名は、若林恒夫。落語協会所属。芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞。出囃子は『箱根八里』。古典落語の中でも廓話、圓朝噺を得意とするが、怪談噺でも評価が高い「正統派の雄」。家紋は剣片喰紋。画像は鈴本演芸場の提灯。


桂文珍 。1948年12月10日 -、 上方噺家。
兵庫県多紀郡篠山町出身。本名は、西田勤。落語家である一方で『クイズ地球まるかじり』など出演。タレントとしても活躍。桂分枝一門の定紋は結び三柏紋。家紋の丸に剣片喰紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


村下孝蔵 。1953年2月28日 – 1999年6月24日、 歌手。
熊本県水俣市出身。映画館を営む夫婦の第3子として出生。CBSソニーの全国オーディションでグランプリを獲得しデビュー。1980年代の前半にシンガーソングライターとして活躍。代表曲は「春雨」「ゆうこ」「初恋」など。家紋は丸に剣片喰紋


小堺一機 。1956年1月3日 – 、 コメディアン、司会者。
千葉県市川市出身。幼少時代を同市で過ごした。浅井企画の先輩で長年の親友でもある関根勉とコンビ「コサキン」を組む。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』でレギュラー出演し人気を博す。家紋は丸に剣片喰紋。画像は長谷寺の小堺家の墓所にて撮影。


新沼謙治 。1956年2月27日 -、 演歌歌手、俳優。
岩手県大船渡市出身。中学校を卒業後、集団就職で左官業の会社で働く。「おもいで岬」でレコードデビュー。「嫁に来ないか」が大ヒットを記録。家紋の丸に剣片喰紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


山田隆夫 。1956年8月23日 – 、 タレント、落語家。
東京都江東区深川出身。『笑点』(日本テレビ)の大喜利・6代目座布団運び役。70年代にはずうとるびのメンバーとして活躍。落語家としての高座名は鈴々舎鈴丸。丸に鈴紋は、落語家としての家紋。『笑点』出演時の紋付には剣片喰紋がついている。


石破茂 。1957年2月4日 – 、 政治家。
鳥取県八頭郡八頭町出身。父・石破二朗は鳥取県知事、衆議院議員、自治大臣などを務める。本人は、防衛大臣農林水産大臣自民党幹事長、内閣府特命担当大臣兼地方創生担当大臣等を歴任した。家紋の丸に剣片喰紋は石破二朗の墓所にて撮影。


大仁田厚 。1957年10月25日 – 、 プロレスラー、政治家。
長崎県長崎市出身。全日本プロレスでプロレス入門。自身が立ち上げたFMWにおける電流爆破マッチでブレイク。2001年に実施された第19回参院選に比例区で出馬、当選した。政界引退後、長崎県知事選挙に出馬するが落選。家紋は上り藤に剣片喰紋。


岩上安身 。1959年8月18日 -、 ジャーナリスト。
東京都豊島区出身。読みは、いわかみやすみ。『あらかじめ裏切られた革命』(講談社)で第18回講談社ノンフィクション賞を受賞。『とくダネ!』のレギュラーコメンテイターを10年以上、務める。後に「IWJ」を設立。家紋の剣片喰紋はご自身よりうかがう。


川崎麻世 。1963年3月1日 -、 タレント、歌手。
京都市北区出身。大阪府枚方市育ち。『レッツゴー・ヤング』のサンデーズのメンバーとして活躍。近年では恐妻家タレントとして妻のカイヤとバラエティー番組に出演している。家紋の丸に剣片喰紋は、自身のブログにて公開。


神取忍 。1964年10月30日 – 、 プロレスラー、政治家。
神奈川県横浜市磯子区出身。全日本選抜柔道体重別選手権(66kg級)で3連覇。プロレスラーとなりLLPW認定シングル王座となる。2004年、参議院選挙に比例代表で自民党から立候補するが落選。後に繰り上げで参議院議員となる。家紋は剣片喰紋。


橋本真也 。1965年7月3日 – 2005年7月11日、 プロレスラー。
岐阜県土岐市出身。ニックネームは破壊王。新日本プロレス時代にIWGPヘビー級王座。2000年には、新日本プロレスを退社、ZERO-ONEを旗揚げする。得意技は、袈裟斬りチョップ、水面蹴り、垂直落下式DDT など。家紋は剣片喰紋。


風間ルミ 。1965年11月28日 – 、 プロレスラー。
東京都台東区出身。本名は、斉藤ルミエ。美少女シュートボクサーとして雑誌のグラビアを飾り人気アイドルとなる。その後、ジャパン女子プロレスに入団。LLPWを設立し、女子プロ界初の社長兼現役レスラーとなる。家紋の丸に剣片喰紋は本人のブログより。


山口敏太郎 。1966年7月20日 – 、 オカルト研究家。
徳島県徳島市出身。本名は、間敏幸。学研ムーのミステリーコンテストにて論考「妖怪進化論」で優秀賞を受賞。ファミリー劇場の人気オカルト番組緊急検証!シリーズに準レギュラー出演。家紋の丸に剣片喰紋は、自身の墓参りの動画にて確認。


文仁親王妃紀子 。1966年9月11日 – 、 皇族。
静岡県静岡市出身。川嶋辰彦の長女。旧名は川嶋紀子。本籍地は川嶋家父祖の地の和歌山市。秋篠宮文仁親王の妃。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。眞子内親王、佳子内親王、悠仁親王を出産。川嶋家の家紋は丸に剣片喰。


村山聖 。1969年6月15日 – 1998年8月8日 、 将棋棋士。
広島県安芸郡府中町出身。詠みは、むらやまさとし。段位は九段(追贈)。「羽生世代」と呼ばれる棋士の一人。奨励会入会からプロ入りまで2年11か月は、羽生善治をも超える異例のスピードであった。家紋は丸に剣片喰紋。


中田敦彦 。1982年9月27日 – 、 お笑い芸人、司会者。
大阪府高槻市出身。愛称は「あっちゃん」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。藤森慎吾と組んだオリエンタルラジオのボケ担当。『武勇伝』ネタで知名度が高い。「笑っていいとも!」にて家紋は剣片喰紋であることを告白。


辻希美 。1987年6月17日 -、 歌手、タレント。
東京都板橋区出身。本名は、杉浦希美。夫は俳優の杉浦太陽。2000年代前半に、モーニング娘。のメンバーとして活躍。また、矢口真里、加護亜依と共にミニモニ。を結成。自身のブログ「のんピース」にて実家の家紋は丸に剣片喰紋と判明。


栃ノ心剛史 。1987年10月13日 -、 大相撲力士。
ジョージア・ムツヘタ出身。本名はレヴァニ・ゴルガゼ。春日野部屋所属。相撲を始める前は柔道とヨーロッパ王者であった。最高位は西関脇(2016年7月場所)。2018年初場所では自身初の平幕優勝を果たした。家紋の丸に剣片喰紋は春日野親方から。


井山裕太 。1989年5月24日 -、 囲碁棋士。
大阪府東大阪市出身。デビュー以来次々と最年少記録を塗り替える。名誉棋聖・二十六世本因坊・名誉碁聖。囲碁界・将棋界通して史上初の年間グランドスラムを達成。2018年に国民栄誉賞受賞。家紋の丸に剣片喰紋は名人就任時の紋付にて確認。


椿三十郎 。江戸後中期、 侍。
1962年1月1日に公開された黒澤明監督の時代劇映画「椿三十郎」の主人公。主演は三船敏郎。山本周五郎原作の『日日平安』の脚本がベースになっている。2007年に織田裕二主演でリメイクされる。家紋の丸に剣片喰は黒澤家の家紋から取る。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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