木瓜紋 -この紋はキュウリ?鳥の巣?女陰?- 沖田総司、樋口一葉、森喜朗...


木瓜(もっこう)紋は不思議な紋である。
この紋の起源がよくわからないのだ。
代表的なものを上げてみると以下のようなものである。

1)キュウリの切断面を図案化したもの
2)鳥の巣を象ったもの
3)神社の御簾の帽額(モコウ)に使われた文様
4)女陰

いずれにしても、子孫繁栄や縁起のよいものにあやかろうという精神がこの紋の普及を促進したのであろう。
また、都道府県別でこの木瓜の割合が一番多いのは以下の県である。
(都道府県別姓氏家紋大辞典 千鹿野茂著より)
北海道、青森県、岩手県、栃木県、埼玉県、新潟県、富山県、和歌山県。
この中でも特に、富山では、他県に比べて著しい普及率(28%)を示している。
この地域は、戦国時代に朝倉氏が勢力を持っていて、この紋を広く門徒に使わせたためと言われている。
また、2位の地域は、秋田県、宮城県、福島県、石川県、福井県、鳥取県、島根県など。四国と南九州では比較的少ない。
有名人では以下の人々が使っている。

庵木瓜紋の有名人にご興味のある方はコチラをご覧下さい。


滝川一益。1525年 – 1586年10月21日、戦国時代の武将。
近江国甲賀出身。土豪・滝川資清の次男。織田信長の家臣として伊勢長島攻め長篠の戦い石山合戦で功を上げる。上野と信濃の一部を与えられ関東管領を名乗った。また、恩賞として、領地よりも茶器を所望したと言われている。家紋は丸に立木瓜紋。


朝倉義景。1533年10月12日 – 1573年9月16日、戦国大名。
越前国出身。姓は日下部。戦国大名で朝倉氏の第10代当主である朝倉孝景の長男。織田信長と敵対したが、一乗谷城の戦いで敗れ自刃した。その際、往時は1万人余もの人口にて繁栄を誇った一乗谷の市街地は、灰燼に帰した。家紋は三つ盛木瓜紋。


杉山杉風。1646年 – 1732年、俳人。
江戸生まれ。通称は鯉屋藤左衛門・市兵衛。読みは、すぎやまさんぷう。松尾芭蕉の後援者、また弟子として随身した。篤実な人柄を芭蕉も愛し「去来は西三十三国、杉風は東三十三国の俳諧奉行」と言ったという。家紋の丸に横木瓜紋は成勝寺にて撮影。


宝井其角。1661年8月11日 – 1707年4月2日、俳人。
江戸堀江町生まれ。近江国膳所藩御殿医・竹下東順の長男。父親の紹介で松尾芭蕉の門に入り俳諧を学び蕉門十哲の第一の門弟と言われた。母方の榎本姓を名乗っていたが、のち自ら宝井と改める。家紋の剣木瓜紋は、烏山・称往寺・野宝井家墓所にて撮影。


哥川。1716年 – 1776年、俳人。
三国湊の遊里の遊女、俳人。 遊女としての名は「泊瀬川(または長谷川)」本名は「ぎん」。代表句は、「梅が香や その一筋の 道ゆかし」等。家紋の丸に横木瓜紋は、墓所画像にて確認。顔画像は、『越前三国湊の俳人–遊女哥川』(中島道子)より。


塙保己一。1746年6月23日 – 1821年10月7日、国学者。
武州児玉郡保木野村出身。塙は師の雨富須賀一の本姓を用いたもので出自は荻野氏。『群書類従』『続群書類従』を編纂した。『史料』編纂の事業は現在も東京大学史料編纂所に引き継がれている。家紋は丸に木瓜。画像は四谷・愛染院の墓所にて撮影。


二宮尊徳。1787年9月4日 – 1856年11月17日、農政家・思想家。
相模国足柄上郡出身。百姓利右衛門の長男。日本の江戸時代後期に報徳思想を唱えて農村復興政策を指導。子供の頃、草鞋を編んで金を稼ぎ寝る間も惜しんで読書をしたという。銅像が全国の小学校等に建てられた。画像は文京区・吉祥寺の墓所にて撮影。


塩谷宕陰。1809年5月30日 – 1867年9月25日、儒学者。
江戸愛宕山下出身。昌平黌に入門。浜松藩(静岡県)藩主水野忠邦に仕える。水野忠邦が老中として天保改革を進めるに当たってその顧問となる。ペリー来航に際し「防禦策」などを草し建言した。家紋は丸に四方木瓜紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


堀田正睦。1810年8月30日 – 1864年4月26日、大名・老中首座。
下総国出身。佐倉藩第3代藩主堀田正時の次男。幕府の寺社奉行や大坂城代などを務めた後、老中となる。開国派として日米修好通商条約締結のために奔走。桜田門外の変後に謹慎処分となる。家紋は堀田木瓜紋。画像は品川・東海寺の堀田家の墓所にて撮影。


三輪田米山。1821年2月12日 – 1908年11月3日、書家。
伊予国久米郡出身。日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男。また、明治天皇の侍候を務め書の訓導にあたった。義理の妹・三輪田眞佐子は三輪田女学校(現三輪田学園中学校・高等学校)の創立者。家紋は井桁に木瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


尾高惇忠。1830年9月13日 – 1901年1月2日、実業家。
武蔵国榛沢郡下手計村出身。読みは、おだかあつただ(じゅんちゅう)。渋沢栄一の従兄で、栄一に論語を教えた学問の師。富岡製糸場の初代場長、第一国立銀行仙台支店支配人などを務めた。家紋の丸に横木瓜紋は肖像写真にて確認。


徳大寺実則。1840年1月10日 – 1919年6月4日、公卿・官僚。
京都出身。尊皇攘夷派の公卿として活躍。明治以降は天皇の側近(内大臣兼侍従長)として天皇が崩御するまで補佐。内閣総理大臣・西園寺公望は実弟。徳大寺家は清華家の家格を有する公家で家業は笛。家紋は木瓜花菱浮線綾。画像は多磨霊園にて撮影。


沖田総司。1842年夏の日 – 1868年7月19日、武士。
陸奥国出身。父は白河藩士の沖田勝次郎。新選組隊士。副長助勤、一番隊組長、撃剣師範。本姓は藤原氏。池田屋事件で討幕派数人を切り伏せ活躍したものの直後に肺結核により喀血して倒れる。家紋は丸に横木瓜紋。画像は港区・専称寺にて撮影。


田中光顕。1843年11月16日 – 1939年3月28日、官僚、政治家。
土佐国高岡郡出身。土佐藩の家老深尾家々臣・浜田金治の長男。土佐勤王党に参加。高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。後に帰藩し中岡慎太郎陸援隊に幹部として参加。維新後は宮内大臣に就任。家紋は三葉木瓜紋。画像は護国寺の墓所にて撮影。


原口兼済。1847年4月2日 – 1919年6月18日、陸軍軍人、政治家。
豊後国出身。森藩士・林寛吾の四男。同藩士・原口等の養子となる。西南戦争、日清戦争に出征。日露戦争では第13師団長として樺太作戦を遂行し樺太全土を占領。貴族院議員も務める。最終階級は陸軍中将。家紋は亀甲に木瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。


外山正一。1848年10月23日 – 1900年3月8日、教育家・文学者。
江戸出身。父は旗本。読みは、とやままさかず。『新体詩抄』は近代文学に多大な影響を与えた。東京帝大文科大学長、同総長、伊藤内閣の文部大臣を歴任。大日本帝国憲法発布の記念式典で明治天皇に対して万歳を唱えた。画像は谷中霊園にて撮影。


山脇正勝。1849年 – 1905年5月6日、新選組隊士。
桑名藩出身。父は藩士山脇十左衛門。変名、大河内太郎。鳥羽伏見の戦いに敗走し函館で土方歳三配下の新選組に入隊。箱館戦争に参戦。維新後は三菱入社。長崎造船所初代所長を務める。バーバラ寺岡は子孫。家紋は横木瓜紋。画像は染井霊園にて撮影。


真鍋斌。1851年3月7日 – 1918年12月14日、陸軍軍人、政治家。
長州藩出身。中士・真鍋安信の長男。読みは、まなべあきら。陸軍少将まで昇進したが馬蹄銀事件のために休職。後に男爵を叙爵し華族となり貴族院議員、陸軍参政官を務める。最終階級は陸軍中将。家紋は三つ組み合い木瓜紋。画像は青山霊園にて撮影。


矢田部良吉。1851年10月13日 – 1899年8月8日、植物学者、詩人。
伊豆国田方郡韮山出身。読みは、やたべりょうきち。外山正一井上哲次郎とともに『新体詩抄』を上梓した。 東京大学初代植物学教授。東京植物学会を設立、ローマ字論者でもあった。家紋の井桁に横木瓜紋は谷中霊園の墓所にて撮影。


日下義雄。1852年1月16日 – 1923年3月18日、政治家。
会津藩の侍医・石田龍玄の長男として生まれ、箱館戦争に加わった。会津出身を隠すため日下義雄と改名した。岩倉使節団に同行して、アメリカに留学。長崎県令、福島県知事、長崎市長を勤めた。家紋は丸に横木瓜紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


中上川彦次郎。1854年10月4日 – 1901年10月7日、実業家。
中津藩出身。藩士・中上川才蔵の長男。福沢諭吉の甥にあたる。三女はタレント・参議院議員の藤原あき。三井財閥の工業化と不良債権処理を推進し、三井中興の祖と評価されている。家紋は割り菱に鐶木瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


富井政章。1858年10月16日- 1935年9月14日、教育者。
山城国京都武者小路通新町出身。読みは、とみいまさあきら。父親は、京都聖護院宮侍。民法典論争では、穂積陳重らと共に延期派にくみする。日露戦争前夜には主戦論を唱えた七博士の1人。立命館大学初代学長。家紋の丸に横木瓜紋は護国寺墓所にて撮影。


片山潜。1859年12月26日 – 1933年11月5日、社会運動家。
美作国粂郡出身。庄屋藪木家の次男。『労働世界』を創刊し主筆を務め日本で最初の労働組合・労働組合期成会の設立に大きな役割を果たす。また、幸徳秋水らと共に日本で最初の社会主義政党・社会民主党の結成に加わった。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


野口坤之。1860年6月14日 – 1919年3月7日、陸軍軍人。
陸奥国出身。旧会津藩・士族。読みは、のぐちこんし。秋月悌次郎門下生。日露戦争では第4師団参謀長を務める。最終階級は陸軍中将。また、除隊後、工学院大学初代学長兼理事長を務めた。家紋は丸に横木瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


服部金太郎。1860年10月9日 – 1934年3月1日、実業家。
江戸京橋出身。貧困な夜店商人の家に出生。独立して服部時計店を開業し、銀座4丁目に進出。外国製品に比肩しうる精巧品の製造に成功し、セイコー(SEIKO)に育てた。日本の時計王とも呼ばれる。家紋は丸に横木瓜紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


朝倉文三。1863年10月15日 – 1935年2月2日、医師。
上野国出身。読みは、あさくらぶんぞう。東京帝国大学医学部卒。2年間のドイツ留学後、明治30年帰国し東京に朝倉病院をひらく。日本泌尿器病学会を創立し、会長となる。のちに、東京慈恵医大教授。家紋の三盛り木瓜紋は、青山霊園の墓所にて撮影。


豊田佐吉。1867年3月19日 – 1930年10月30日、実業家。
遠江国山口村出身。父は農家兼大工だった。「豊田式木製人力織機」「豊田式汽力織機」などを次々と発明。後に、豊田商会を設立し、今日、日本の代表的企業・トヨタグループの礎を築いた。家紋は丸に横木瓜。画像は豊田家の墓所にて撮影。


増田義一。1869年10月21日 – 1949年4月27日、出版人。
新潟県出身。読売新聞記者をへて、実業之日本社を創立、社長となる。「実業之日本」「婦人世界」など多くの雑誌を刊行。日本雑誌協会会長も務める。政治家としては衆議院副議長となる。家紋は丸に横木瓜紋。画像は護国寺共葬墓地にて撮影。


伊原敏郎。1870年5月24日 – 1941年7月26日、演劇評論家。
島根県松江生出身。青々園の名で劇評を書き坪内逍遥と親しくなる。三木竹二(森鴎外の弟)と『歌舞伎』を創刊。さらに『日本演劇史』『近世日本演劇史』『明治演劇史』三部作で朝日文化賞を受賞。代表作は『出雲の阿国』。家紋は丸に地抜き横木瓜紋。


上野英三郎。1872年1月19日 – 1925年5月21日、農業土木学者。
三重県出身。農業土木・農業工学の創始者。忠犬ハチ公の飼い主。大学で講演中に脳溢血で倒れ急逝。愛犬ハチは帰らぬ上野を長期間待ち続けたという。渋谷駅のハチ公の銅像はあまりにも有名。家紋は丸に横木瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


田山花袋。1872年1月22日 – 1930年5 月13日、小説家。
群馬県館林市出身。中年作家の女弟子への複雑な感情を描いた『蒲団』を発表。女弟子に去られた男が、彼女の使用していた蒲団に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、涙するという描写は、文壇に衝撃を与えた。家紋は丸に横木瓜。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


樋口一葉。1872年5月2日 – 1896年11月23日、小説家。
東京府内幸町出身。元々父親・則義は甲斐国山梨郡中萩原村の百姓。7歳の時に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読破したと伝えられる。代表作は、「たけくらべ」「にごりえ」。五千円札の肖像となっている。画像は西本願寺和田掘廟所にて撮影。


百武三郎。1872年6月3日 – 1963年10月30日、海軍軍人。
佐賀県出身。藩士・百武庭蔵の三男。二人の弟、源吾は海軍大将、晴吉は陸軍中将。本人の最終階級は陸軍大将。海軍史上唯一の海軍大将兄弟であった。除隊後、鈴木貫太郎の次の侍従長となる。家紋は丸に木瓜紋。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


平田禿木。1873年2月10日 – 1943年3月13日、文学者、随筆家。
東京府出身。本名・喜一郎。島崎藤村らの『文學界』同人として活躍。のち英文学者として多くの翻訳を刊行、『禿木随筆』などがある。またアーネスト・フェノロサの能楽研究に助力した。のち『平田禿木選集』全5巻が刊行された。画像は回向院にて撮影。


芳沢謙吉。1874年1月24日 – 1965年1月5日、外交官、政治家。
新潟県高田出身。中国公使となり、ソ連のカラハン大使との間で日ソ基本条約を締結。仏大使と国際連盟日本代表を兼務。犬養毅内閣では外相を務める。戦後初代の駐中華民国(台湾)大使となる。家紋は四方木瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


黒板勝美。1876年4月27日 – 1927年12月9日、歴史学者。
長崎県彼杵郡下波佐見村出身。旧大村藩の士族黒板要平の長男。史料編纂官兼東京帝国大学教授。正倉院文書の調査、東寺・金剛峯寺等の古文書の整理、史料編纂掛の『大日本古文書』の編纂を主宰した。家紋の横木瓜紋は池上本門寺墓所にて撮影。


堀江帰一。1876年4月27日 – 1927年12月9日、経済学者。
東京府出身。長らく慶應義塾大学理財科(のちの経済学部)を主導。日露戦争後、社会問題への関心を深め、社会民衆党の結成に際しては、安部磯雄・吉野作造らとともに呼びかけ人として名を連ねた。家紋は横木瓜紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


大角岑生。1876年5月1日 – 1941年2月5日、海軍軍人。
愛知県三宅村出身。読みは、おおすみみねお。犬養斎藤岡田の各内閣で海軍大臣を務めた。艦隊派の圧力によって行われた大角人事では山梨勝之進大将、谷口尚真大将等が予備役に編入された。最終階級は海軍大将。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


立浪弥右衛門。1878年1月12日 – 1952年12月16日、相撲親方。
石川県上新川郡出身。本名は、高木友之助。現役時代の四股名は緑嶌で小結が最高位。引退後、立浪部屋親方として羽黒山双葉山名寄岩若羽黒等の名力士を育て一代で立浪部屋を角界屈指の名門にまで引き上げた。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


山野政太郎。1878年3月3日 – 1969年5月29日、実業家。
富山県出身。 西洋楽器店を創業。松本ピアノから営業権を譲り受け「山野楽器店」と改称し初代社長に就任。ピアノ、オルガン、レコードの販売に成功。東京蓄音器商組合長、全国蓄音器商組合連合会会長などを歴任。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


梅ヶ谷藤太郎。1878年3月11日 – 1927年9月2日、大相撲力士。
石川県上新川郡出身。本名は押田音次郎。2代目 梅ヶ谷藤太郎を襲名。第20代横綱となり、常陸山の二枚看板で「梅・常陸時代」と呼ばれる黄金時代を築く。168勝27敗47分2預116休、勝率.862。優勝相当成績3回。家紋の木瓜は、本門寺の墓所にて撮影。


下中弥三郎。1878年6月12日 – 1961年2月21日、実業家。
兵庫県多紀郡今田村出身。アナキズムや農本主義の影響を受け「教育改造の四綱領」を発表。平凡社を創設。『大百科事典』を出版して一躍「事典」出版社として著名になる。世界平和アピール七人委員会を結成し世界連邦運動を推進。画像は多磨霊園。


長塚節。1879年4月3日 – 1915年2月8日、歌人、小説家、歌人。
茨城県岡田郡国生村出身。家は豪農。アララギの創刊に携わり万葉の短歌の研究と作歌に励む。長編『』を東京朝日新聞に連載し代表作となる。また農民小説のさきがけともなった。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に横木瓜紋。


佐野利器。1880年4月1日 – 1956年12月5日、建築家。
山形県西置賜郡荒砥村出身。生家(山口家)が没落し佐野家の養子となる。鉄骨煉瓦造の丸善書店の構造設計を行う。関東大震災後の復興事業・土地区画整理事業を推進。清水組副社長も務めた。家紋は剣木瓜紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


岩波茂雄。1881年8月27日 – 1946年4月25日、出版人。
長野県諏訪郡出身。農家に出生。古書店から出発し夏目漱石の知遇を得て「こゝろ」を出版。岩波書店を創業する。後に『思想』『科学』『文化』などの雑誌や、岩波文庫を創刊。貴族院多額納税者議員に互選、任命される。家紋は丸に剣木瓜紋


丸山鶴吉。1883年9月27日 – 1956年6月3日、官僚。
広島県沼隈郡松永村出身。丸山茂助の四男。警視庁特高課長、保安課長、静岡県内務部長、宮城県知事、朝鮮総督府警務局長、大政翼賛会事務総長、武蔵野美術学校校長、警視総監を歴任。家紋は丸に横木瓜紋。画像は、青山霊園の墓所にて撮影。


植芝盛平。1883年12月14日 – 1969年4月26日、武道家。
和歌山県田辺市出身。農家に生まれる。宗教団体大本に入信し「植芝塾」道場を開設。出口王仁三郎の命名により、自ら創始した武術を合気武道と呼称した。合気道関係者は開祖、特に古い高弟は大先生、翁先生と呼ぶことが多い。家紋は丸に横木瓜紋。


堀切善次郎。1884年9月2日 – 1979年11月1日、政治家
福島県出身。兄の堀切善兵衛も政治家。内務省に入省。神奈川県知事、復興局長官となる。戦後、幣原内閣で内務大臣を務め、帝国議会に女性に選挙権と被選挙権を認める選挙法改正法案を提出した。家紋は堀田木瓜紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


竹久夢二。1884年9月16日 – 1934年9月1日、画家・詩人。
岡山県邑久郡本庄村出身。代々酒造業を営む家の次男。本名は竹久茂次郎。大正浪漫を代表する画家。作品は夢二式美人と呼ばれた。詩『宵待草』には曲が付けられ全国的な愛唱曲となった。家紋の丸に横木瓜紋は竹久夢二の墓所にて撮影。


正力松太郎。1885年4月11日 – 1969年10月9日、実業家。
富山県射水郡枇杷首村出身。土建請負業を営む正力庄次郎の次男。読売新聞社の経営者として同新聞の部数拡大に成功。また、長らく巨人軍のオーナーを務め、その業績を称え、正力松太郎賞が設立される。家紋は横木瓜紋。画像は鎌倉・円覚寺にて撮影。


川端龍子。1885年6月6日 – 1966年4月10日、日本画家、俳人。
和歌山県和歌山市出身。本名は昇太郎。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍。横山大観率いる日本美術院同人。代表作は『火生』『山葡萄』。喜寿を記念して長年住んだ大田区に龍子記念館を設立した。家紋の横木瓜紋は和歌山市・西岸寺にて撮影。


高畑誠一。1887年3月21日 – 1978年9月19日、実業家。
愛媛県喜多郡内子町出身。鈴木商店に入社し、番頭金子直吉の指示で投機的な買付を指揮する。鈴木商店破綻後、子会社だった日本商業会社(後の日商岩井、現双日)を総合商社に育て上げる。家紋の丸に横木瓜紋は、墓所写真にて確認。


木村謹治。1889年1月2日 – 1948年1月13日、独文学、語学者。
秋田県南秋田郡大川村出身。東京帝国大学独文科教授となり、その際、同僚の相良守峯とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれて長く使われた。またゲーテ研究に力を注いだ。家紋は横木瓜紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


奥村博史。1889年10月4日 – 1964年2月18日、洋画家。
神奈川県出身。読みは、おくむらひろし。妻は平塚雷鳥。大正3年、二科展で「灰色の海」が入選。指環の制作者としても知られ、昭和8年工芸部門で受賞し、国画会会員となった。家紋の丸に横木瓜紋は春秋苑にある奥村家の墓所にて撮影。


福士幸次郎。1889年11月5日 – 1946年10月11日、評論家。
青森県弘前市出身。第一詩集『太陽の子』を上梓、口語自由詩の先駆となる。のち評論で『日本音数律論』、民俗学の『原日本考』などを著す。1932年に日本ファシズム連盟を結成した。画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に横木瓜紋。


西ノ海嘉治郎。1890年11月2日 – 1933年7月28日、大相撲力士。
鹿児島県西囎唹郡国分村出身。本名は松山伊勢助。第30代横綱。三代目の西ノ海嘉治郎。幕内通算成績は30場所、134勝60敗2分2預116休、勝率.691。優勝1回。年寄浅香山を襲名し、井筒部屋から独立して浅香山部屋を旗揚げした。画像は小平霊園にて撮影。


金子洋文。1893年4月8日 – 1985年3月21日、小説家。
秋田県出身。本名は、金子吉太郎。社会主義思想の文芸雑誌『種蒔く人』を創刊。『解放』に発表した「地獄」が出世作となる。戦後、1947年、社会党の参議院議員(全国区)を一期務めた。家紋の丸に横木瓜紋は、秋田市の満船寺の墓所にて撮影。


村岡花子。1893年6月21日 – 1968年10月25日、翻訳家。
山梨県甲府市出身。本名は村岡はな。旧姓:安中。福音印刷合資会社の経営者で既婚者でもあった村岡?三と不倫の末に結婚。『赤毛のアン』『フランダースの犬』などを翻訳・出版。家紋の丸に横木瓜紋は2014年NHK朝ドラ「花子とアン」のドラマ内衣装を参照。


下村千秋。1893年9月4日 – 1955年1月31日、作家。
茨城県稲敷郡朝日村出身。読みは、しもむらちあき。小説・短歌・戯曲などを発表するほか、ゴーリキー全集の翻訳も行う。私娼を描いた「天国の記録」で有名となる。代表作は「天国の記録」。家紋は丸に木瓜紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


黒島亀人。1893年10月10日 – 1965年10月20日、海軍軍人。
広島県安芸郡出身。父親は石工。海兵44期卒業。最終階級は海軍少将。連合艦隊先任参謀、軍令部二部部長を務める。軍令部二部部長に就任してすぐに「体当たり作戦」つまり特攻の準備を始めた。家紋は丸に横木瓜紋は墓所の写真にて確認。


大川博。1896年12月29日 – 1971年8月17日、実業家。
新潟県西蒲原郡加奈居村出身。五島慶太にヘッドハンティングされ東急電鉄に入社。東京映画配給(東映)社長に就任。プロ野球・東映フライヤーズのオーナー。東映動画のアニメーション制作にも進出。家紋は丸に剣木瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。


中村雨紅。1897年1月7日 – 1972年5月8日、童謡作家。
東京府南多摩郡恩方村出身。宮尾神社の宮司・髙井丹吾の次男。野口雨情に師事し、その名前の「雨」の一字をもらい、雨紅と称する。代表作は故郷恩方の風景を歌った『夕焼小焼』。(作曲は草川信)。家紋は丸に横木瓜紋。墓所の写真より判断。


伊東深水。1898年2月4日 – 1972年5月8日、日本画家。
東京市深川出身。本名は伊藤一。娘は女優の朝丘雪路。日本画独特のやわらかな表現による美人画が有名だが、美人画とも並行し個人的に独自の題材で日本画も制作。代表作は『対鏡』『潮干狩』等。家紋は丸に木瓜菱紋。画像は品川区・隆崇寺にて撮影。


宮田東峰。1898年3月24日 – 1986年1月13日、ハモニカ奏者。
群馬県出身。本名は宮田孝三郎。読みは、みやたとうほう。ハーモニカの奏法は独習し日本初のハーモニカ合奏団を結成。当時流行の歌謡曲を多数演奏した。これが後の「ミヤタ・ハーモニカバンド」。家紋は丸に四方木瓜紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


中谷宇吉郎。1900年7月4日 – 1962年4月11日、物理学者。
石川県江沼郡出身。読みは、なかやうきちろう。妻は藤岡作太郎の長女。東京帝国大学では、寺田寅彦に師事。雪の結晶の研究、人工雪の開発で業績を残す。「雪は天から送られた手紙である」という言葉は有名。家紋の丸に横木瓜紋は墓所写真にて確認。


大宅壮一。1900年9月13日 – 1970年11月22日、社会評論家。
大阪府三島郡富田村出身。醤油屋の三男として生まれた。読みは、おおやそういち。三女はジャーナリストの大宅映子。死後、その功績を讃えて大宅壮一ノンフィクション賞が発足。家紋は横木瓜紋。自身の麻雀牌の一萬に家紋が刻まれていたという。


尾形亀之助。1900年12月12日 – 1942年12月2日、詩人。
宮城県柴田郡大河原町出身。『歴程』の創刊、『マヴォ』の結成に関わる。『月曜』等の詩誌を主催。宮沢賢治が同誌に、童話『オツベルと象』等を寄稿している。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は石持ち地抜き木瓜紋。


神吉晴夫。1901年2月15日 – 1977年1月24日、編集者、事業家。
兵庫県加古川市西神吉町出身。プロデューサーとして「かもめの水兵さん」などのヒット曲を飛ばす。光文社第2代社長に就任。『女性自身』の部数を147万部にまで伸ばす。軽装新書版による書き下ろしのカッパ・ブックス創始者。画像は八柱霊園にて撮影。


今西錦司。1902年1月6日 – 1992年6月15日、生態学者。
京都出身。織屋「錦屋」の生まれ。日本の霊長類研究の創始者として知られ、京都大学理学部と人文科学研究所でニホンザル、チンパンジーなどの研究を進め、日本の霊長類社会学の礎を築いた。家紋は丸に横木瓜紋。画像は墓所の上品蓮台寺にて撮影。


岡田嘉子。1902年4月21日 – 1992年2月10日、映画女優。
広島市細工町出身。新聞記者の娘。奔放な恋愛遍歴とソビエト連邦へ亡命するなど波乱の生涯を送った。トップ女優として主演映画『また逢う日まで』『東京の女』『日輪』等。画像は多磨霊園の山本家の墓所(岡田の墓がある)の丸に木瓜紋。


石田一松。1902年11月18日 – 1956年1月11日、演歌師、議員。
広島県安芸郡出身。父は井戸堀職人。大学卒業後、『酋長の娘』を作詞・作曲し大ヒットする。代表曲は『のんきな父さん』『いやぢゃありませんか』『のんき節』等。タレント議員のはしり。家紋は丸に木瓜紋。画像は谷中・安立院の墓所にて撮影。


大槻文平。1903年9月27日 – 1992年8月9日、経営者、財界人。
宮城県丸森町出身。三菱鉱業セメント会長、日本経営者団体連盟会長、臨時行政改革推進審議会会長。三菱鉱業の労務畑を長らく努め炭鉱合理化の際には首切り文平のあだ名があった。勲一等瑞宝章受章。日勲一等旭日大綬章受章。画像は春秋苑。


澤井健一。1903年12月 – 1988年7月16日、武道家。
福岡県出身。幼少の頃から武道を学び、柔道五段、剣道四段、居合四段を取得。北京にて意拳の創始者である王向斎と出会い立ち会うが敗れ、弟子入りを決意する。太気至誠拳法の創始者。家紋はの丸に木瓜紋は墓所写真にて確認。


青井忠治。1904年3月30日 – 1975年8月18日、実業家。
富山県小杉町出身。生家は旧家の分家。高校卒業後、月賦販売商・丸二商会に入社。中野店を譲り受けて独立。商号を「丸井」に改め、同社を月賦百貨店業界のトップ企業に育て上げた。家紋は丸に横木瓜。画像は中野・宝仙寺の墓所にて撮影。


古賀政男。1904年11月18日 – 1978年7月25日、作曲家。
福岡県三潴郡田口村出身。『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』『人生劇場』『東京五輪音頭』『』『悲しい酒』など昭和を代表する数々のヒット曲を生み出し国民栄誉賞受賞。家紋は丸に横木瓜紋。古賀政男音楽博物館にて確認。


松島詩子。1905年5月12日 – 1996年11月19日、歌手。
山口県玖珂郡日積村出身。本名は内海シマ。夫は内海一郎。小学校教師から一転、歌手を目指し柳井はるみという名前でデビュー。ヒット曲は「夕べ仄かに」「マロニエの木陰」「銀座行進曲」。NHK紅白歌合戦には10回出場。画像は小平霊園にて撮影。


伊藤千代子。1905年5月12日 – 1996年11月19日、社会運動家。
長野県諏訪郡湖南村南真志野出身。読みは、いとうちよこ。初の普通選挙を戦う労働農民党の藤森成吉候補らの支援活動を行う。三・一五事件の弾圧により検挙され警視庁滝野川署から市ヶ谷刑務所に収監される。家紋の丸に横木瓜紋は、墓所写真にて確認。


平林たい子。1905年7月21日 – 1972年2月17日、小説家。
長野県諏訪市出身。体験に基づく『施療室にて』でプロレタリア作家として認められる。代表作は『秘密』『かういふ女』『黒札』など。没後、遺言により「平林たい子文学賞」が創設された。画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に横木瓜紋。


山川惣治。1908年2月28日 – 1992年12月17日、絵物語作家。
福島県郡山市出身。読みは、やまかわそうじ。戦前より紙芝居作家として、戦後は絵物語作家として多くの作品を発表した。代表作品は『ノックアウトQ』『少年王者』『少年ケニヤ』『荒野の少年』など。家紋は丸に横木瓜紋。墓所の写真にて判断。


海沼実。1909年1月31日 – 1971年6月13日、童謡作曲家。
長野県埴科郡松代町出身。実家は菓子舗。「お猿のかごや」「あの子はたあれ」「からすの赤ちゃん」「里の秋」「みかんの花咲く丘」「夢のお馬車」など、国民的ヒット曲を多数、作曲する。家紋は丸に木瓜紋。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


源氏鶏太。1912年4月19日 – 1985年9月12日、作家。
富山県出身。父親は富山の置き薬売り。本名は田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きだったから」という。代表作は『英語屋さん』『口紅と鏡』等。『三等重役』は社長シリーズとして映画化され大ヒットする。画像は善福寺にて撮影。


丹羽基二。1919年9月5日 – 2006年8月7日、苗字研究家。
栃木県佐野市出身。読みは、にわもとじ。柳田國男折口信夫に師事。全国100万基の墓を巡り、家紋、仏足石、紋様等の研究を行う。日本家系図学会会長 。代表作は『日本の伝統紋様』『お墓のはなし』『日本苗字大辞典』。家紋は木瓜紋。


三船敏郎。1920年4月1日 – 1997年12月24日、俳優。
中華民国・山東省青島出身。貿易商、写真業を営む三船徳造の長男。父は秋田県鳥海町出身。代表出演作品「羅生門」「レッド・サン 」「七人の侍 」「黒部の太陽」「椿三十郎」など。三船美佳は内縁の妻との間にできた子供。画像は春秋苑にて撮影。


天津敏。1921年2月16日 – 1979年7月24日、俳優。
宮城県桃生郡河南町(石巻市)出身。本名は天都 敏(旧姓は佐藤)。映画・テレビドラマで悪役・敵役スターとして活躍した。代表作は『隠密剣士』、『仮面の忍者 赤影』、『水戸黄門 第五部』など。家紋は丸に横木瓜紋。画像は墓所にて撮影。


黒岩重吾。1924年2月25日 – 2003年3月7日、小説家。
大阪市出身。父方の祖先は和歌山県新宮市の廻船問屋。『背徳のメス』で直木賞を受賞。日本推理作家協会関西支部長。『裸の背徳者』や、戦災孤児をテーマにした全5部の大作『さらば星座』などの作品がある。家紋の丸に横木瓜紋は海善寺にて撮影。


山岡久乃。1926年8月27日 – 1999年2月15日、女優。
東京市大森区出身。本名・山岡比佐乃。宝塚歌劇団入団。男役で芸名は「清澄あきら」を名乗った。「日本を代表するお母さん女優」として不動の地位を築いた。代表出演作「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」等。画像は墨田区・法恩寺にて撮影。


槇文彦。1928年9月6日 – 、建築家。
東京都出身。母方の祖父は竹中工務店の会長を務めた竹中藤右衛門。代表建築は、「ヒルサイドテラス」「幕張メッセ」「東京体育館」「慶應義塾図書館新館」等多数。家紋の丸に横木瓜紋は、多磨霊園にある叔父の槇有恒の墓所にて撮影。


小島剛夕。1928年11月3日 – 2000年1月5日、漫画家。
三重県四日市市出身。読みは、こじまごうせき(たけつね)。『漫画アクション』に連載された小池一夫原作による『子連れ狼』によって世界的に知られている。アイズナー賞最優秀国際作品部門受賞。家紋の丸に木瓜紋は墓所にて撮影。


三波伸介。1930年6月28日 – 1982年12月8日、コメディアン。
東京府東京市本郷区出身。本名:澤登三郎。1970年代から1980年代にかけて日本のお笑いをリードしてきたエンターティナー。代表出演『笑点』『日曜お笑い劇場』『てなもんや三度笠』。当たりギャグは「びっくりしたなぁ、もう!」。画像は所沢霊園。


道場六三郎。1931年1月3日 – 、和食料理家。
石川県江沼郡山中町出身。実家は老舗の山中漆器店。『料理の鉄人』に「和の鉄人」としてレギュラー出演、料理人ブームのさきがけとなる。「現代の名工」として厚労省から表彰される。家紋は丸に木瓜紋。画像は鎌倉・瑞泉寺の生前墓にて撮影。


樋口恵子。1932年5月4日 – 、評論家。東京家政大学名誉教授。
東京府出身。父は考古学者の柴田常恵。広く講演会等で活動。男女共同参画審議会のメンバー。東京都知事選挙に出馬したが石原慎太郎の前に惨敗。元日本ジャーナリスト会議副議長の新井直之と事実婚関係にあった。画像は春秋苑の生前墓にて撮影。


船村徹。1932年6月12日 – 2017年2月16日、作曲家。
栃木県塩谷郡船生村出身。本名は福田博郎。代表作は、『王将』『兄弟船』『矢切の渡し』『哀愁波止場』等、多数。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。家紋の丸に横木瓜紋は葬儀の時の提灯の写真にて確認。


谷幹一。1932年11月21日 – 2007年6月25日、俳優、喜劇人。
東京府出身。本名は西村昌明。浅草フランス座で渥美清、関敬六と出会い、スリーポケッツを結成。解散後は本格的に役者として活動。代表出演作品は『月光仮面』『江戸を斬る』『大岡越前』。画像は丸に横木瓜紋。画像は、本駒込・長源寺にて撮影。


柏原兵三。1933年11月10日 – 1972年2月13日、作家。
千葉県千葉市出身。独文学者として、ヨーゼフ・ロートやフランツ・カフカなどの翻訳を行う。作家としては、『徳山道助の帰郷』で第58回芥川賞を受賞。明治学院大学助教授、東京藝術大学助教授を歴任した。家紋の丸に横木瓜紋は寛永寺第一霊園にて撮影。


池田満寿夫。1934年2月23日 – 1997年3月8日、画家、芸術家。
旧満洲に生まれ。、ニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開く。1977年には『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞。人気クイズ番組「日立 世界・ふしぎ発見!」の準レギュラー。家紋の丸に剣木瓜紋は長野市・正覚院の池田家の墓所写真にて確認。


酒井田柿右衛門14代。1934年8月26日 – 2013年6月15日、陶芸家。
佐賀県西松浦郡有田町出身。読みは、さかいだかきえもん。本名は、酒井田正。有田焼を代表する陶芸家で、重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定された。家紋は三つ盛木瓜紋。「いしやのブログ」の墓所画像にて確認。


西岡武夫。1936年2月12日 – 2011年11月5日、政治家。
長崎県長崎市出身。衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)、新自由クラブ幹事長、文部大臣(第111・112代)、自由民主党総務会長、新進党幹事長、参議院議長(第28代)などを歴任した。家紋の亀甲に横木瓜紋は、地元長崎の精霊船の写真にて確認。


桂歌丸。1936年8月14日 – 2018年7月2日、落語家。
神奈川県横浜市出身。本名は椎名巌(しいな いわお)。位階勲等は旭日小綬章。演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利のメンバーとして活躍、現在では同番組の5代目司会者を務める。その際に着る羽織には、丸に横木瓜紋をつけている。


山本學。1937年1月3日 – 、俳優。
大阪府茨木市出身。東京育ち。父は建築家の山本勝巳。弟は俳優の山本圭、山本亘。叔父は映画監督の山本薩夫。女優の水野久美とは一時結婚していた。出演作は『白い巨塔』『金環蝕』『梟の城』等。家紋は三つ割り木瓜。画像は春秋苑にて撮影。


森喜朗。1937年7月14日 -、政治家。
石川県能美郡出身。根上町長・森茂喜の長男。文部大臣、通商産業大臣、建設大臣、自由民主党総裁、内閣総理大臣(第85代・第86代)を歴任。退任後も小泉純一郎安倍晋三福田康夫麻生太郎を支持。家紋は丸に横木瓜紋。森喜朗事務所にて確認。


島倉千代子。1938年3月30日 – 2013年11月8日、歌手。
東京府東京市品川区北品川出身。父は、警察官。昭和を代表する演歌歌手の一人として代表ヒット作は、「この世の花」「東京だョおっ母さん」「からたち日記」「人生いろいろ」等多数。家紋は丸に木瓜紋。画像は、品川の東海寺大山墓地にて撮影。


円谷幸吉。1940年5月13日 – 1968年1月9日、マラソン選手。
福島県岩瀬郡出身。自衛隊体育学校所属。東京オリンピックではマラソンで3位となり、銅メダルを獲得した。1968年1月9日にカミソリで頚動脈を切って自殺。川端康成は『円谷幸吉選手の遺書』を発表した。家紋は丸に横木瓜紋。墓所写真にて確認。


海乃山勇。1940年6月28日-1997年7月5日、大相撲力士。
茨城県龍ケ崎市出身。本名は、入井勇。小野川部屋(のち出羽海部屋)所属。最高位は東関脇。得意技は蹴手繰り。横綱大鵬に対して金星を三つ、柏戸から一つ奪うなど、上位陣をしばしば苦しめた。家紋の丸に横木瓜紋は墓所の写真より判断。


坂本九。1941年12月10日 – 1985年8月12日、俳優・歌手。
神奈川県川崎市出身。愛称は九ちゃん。「上を向いて歩こう」が国内外でヒット。米国・ビルボード誌のヒットチャートでも3週連続1位を獲得。代表作は「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「涙くんさよなら」等。画像は青山・長谷寺の墓所にて撮影。


渡哲也。1941年12月28日 -、俳優・歌手。
島根県能義郡安来町生まれ。本名は、渡瀬道彦。弟に、渡瀬恒彦がいる。代表出演作は『大都会』『西部警察』『坂の上の雲』等多数。歌手としては、ヒット曲『くちなしの花』を持つ。家紋の丸に木瓜紋はTBSドラマ『帰郷』制作発表会時の写真にて確認。


アントニオ猪木。1943年2月20日 -、プロレスラー、実業家。
神奈川県横浜市鶴見区出身。本名は猪木寛至。元参議院議員。日本プロレス、東京プロレスを経て、新日本プロレスを立上げる。異種格闘技戦の実現などにより日本のプロレス・格闘技界に大きな影響を与えた。画像は総持寺の猪木家墓所にて撮影。


舛添要一。1948年11月29日 -、政治学者、政治家。
福岡県八幡市出身。読みは、ますぞえよういち。厚生労働大臣(第8・9・10代)、新党改革代表(第2代)、東京都知事などを歴任。家紋の丸に横木瓜紋は、『新春LIVE Abemaが総括!2017年越しカウントダウンスペシャル』の時に着用していた紋付より判断。


寺岡恒一。1948年 – 1972年1月17日、新左翼運動家。
東京都文京区出身。日本共産党(革命左派)神奈川県委員会に加入し軍事部門のリーダーとして真岡銃砲店襲撃事件などに関与。後に連合赤軍に加わり中央委員となるが山岳ベース事件で連合赤軍委員長の森恒夫に「死刑」を宣告される。家紋は菱に木瓜紋


大場政夫。1949年10月21日 – 1973年1月25日、プロボクサー。
東京都墨田区出身。第25代WBA世界フライ級王者。WBA世界フライ級王座を5度防衛した。現役世界王者のまま事故死したため「永遠のチャンプ」と称される。プロボクシング:38戦35勝16KO2敗1分家紋の丸に横木瓜紋は葬儀の時の幕の写真にて確認。


米原万里。1950年4月29日 – 2006年5月25日、随筆家、小説家。
東京都出身。読みは、よねはらまり。日本共産党常任幹部会委員だった衆議院議員・米原昶の娘。代表作は『魔女の1ダース』『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』など。家紋は丸に四方木瓜紋。画像は浄光明寺の墓所(井上ひさしの墓の隣)にて撮影。


内田樹。1950年9月30日 -、思想家、随筆家。
東京都大田区出身。内田樹の先祖は山形県鶴岡の士族。神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。合気道六段、居合道三段の武道家。主著『日本辺境論』『邪悪なものの鎮め方』等。家紋は丸に横木瓜紋。Twitterで直接返信をいただいた。


清水国明。1950年10月15日 – 、タレント、歌手。
福井県大野郡和泉村出身。本名は清水國明。原田伸郎とのコンビ、あのねのねが、「赤とんぼの唄」でデビュー。大ヒットを記録。アウトドア愛好者としても有名。 家紋の木瓜紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


オール巨人。1951年11月16日 -、漫才師。
大阪市天王寺区出身。大阪府豊中市育ち。本名は南出繁。吉本興業所属の漫才コンビ、オール阪神・巨人に所属。コンビとして花王名人大賞の最優秀名人賞など、多くの賞を獲得している。家紋は丸に横木瓜紋。自身のブログの写真にて確認。


北の湖敏満。1953年5月16日 – 2015年11月20日、大相撲力士。
北海道有珠郡出身。本名は小畑敏満。三保ヶ関部屋へ入門。ニックネームは北の怪童第55代横綱。スピード出世を続け、21歳2ヶ月の若さで横綱昇進。幕内最高優勝24回。大相撲協会理事長を務める。家紋の丸に木瓜紋は平間寺にて。


三田村邦彦。1953年10月22日 -、俳優。
新潟県新発田市出身。元妻である女優の中山麻理との間に3子。『必殺シリーズ』の飾り職人の秀役、『太陽にほえろ!』にジプシー刑事役等で、人気を博す。阿波踊りの熱狂的なファンとして知られている。家紋の丸に横木瓜紋は楽屋のれんにて判断。


小林幸子。1953年12月5日 -、演歌歌手。
新潟県新潟市中央区出身。本名は林幸子。1979年に『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついてついにミリオンセラー(200万枚)に輝く大ヒットをする。家紋の四方木瓜紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


マディ上原。1957年 – 2009年12月22日、特殊漫画家。
東京都出身。1981年、谷岡ヤスジに師事。1982年、漫画家として独立。エロ漫画誌、『ガロ』等に不条理四コマなどを発表。漫画家・原律子は元妻。また、根本敬との漫画ユニット「お岩」でも作品を発表。家紋は井桁に横木瓜紋。


西田昌司。1958年9月19日 – 、政治家。
京都府京都市出身。読みは、にしだしょうじ。自由民主党所属の参議院議員。父の西田吉宏も参議院議員。2012年に「新しい日本型社会を考える会」を代表して、保守色の強い政策提言をした。祇園祭参加時の紋付が丸に木瓜紋であった。


野沢尚。1960年5月7日 – 2004年6月28日、脚本家・推理小説家。
愛知県名古屋市出身。父親は京都大学霊長類研究所の所長・生物学者・野澤謙。北野武の映画監督デビュー作「その男、凶暴につき」の脚本を手掛ける。代表作は「青い鳥」「眠れる森」など。家紋は丸に木瓜紋。画像は新宿原町の瑞光寺にて撮影。


いとうせいこう。1961年3月19日 – 、小説家、タレント。
東京都三鷹市出身。父の伊藤郁男は民社党政審副会長を務めた。俳優、編集者、小説家、作詞家、ラッパーなど、幅広く活動するクリエイター。代表作は『ノーライフキング』『想像ラジオ』。家紋は丸に横木瓜紋。自身のブログにて告白。


馳浩。1961年5月5日 -、政治家、元プロレスラー。
富山県小矢部市出身。石川県金沢市育ち。妻は高見恭子。新日本プロレス時代にIWGPジュニアヘビー級王座奪取。新日本プロレス・全日本プロレスなどで活躍で活躍。政治家としては、第二次安倍内閣において文部大臣に就任。家紋は丸に木瓜紋。


前原誠司。1962年4月30日 -、政治家。
京都市左京区生まれ。両親は鳥取県出身。民主党代表(第5代)、国土交通大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、防災担当大臣、外務大臣(第144代)等を歴任。家紋の丸に横木瓜紋は勝又恒一郎HPにて確認。


ナンシー関。1962年7月7日 – 2002年6月12日、版画家。
青森県青森市出身。本名は、関直美。独特の観察眼による「テレビ批評」とその挿絵に入れた著名人の似顔絵「消しゴム版画」で社会そのものを批評。死後、文芸春秋より、ナンシー関大全が出される。家紋は丸に木瓜紋。画像は青森市の三内霊園にて撮影。


枝野幸男。1964年5月31日 – 、政治家。
栃木県宇都宮市出身。民主党幹事長、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)、内閣官房長官、経済産業大臣、民進党幹事長等を歴任後、現在(2018年年初)は、立憲民主党代表。家紋の丸に横木瓜紋は2018年の初詣時の紋付にて判断。


江角マキコ。1966年12月18日 – 、女優、タレント。
島根県出雲市出身。本名は平野真紀子。高校卒業後、バレーボール選手として活躍。後にモデルに転進。代表出演作「ショムニ」「ラブ・レボリューション」「トリプル・キッチン」等。画像は青山・長谷寺にある江角家の墓所にて撮影。


北斗晶。1967年7月13日 – 、タレント。
埼玉県北葛飾郡吉川町出身。本名は宇野久子。読みは、ほくとあきら。プロレスラー佐々木健介の妻。レスラーとしての愛称はデンジャラス・クイーン。レスラー引退後は、鬼嫁の愛称で知られ、テレビ、ブログなどで活躍。家紋の丸に横木瓜紋は自身のブログより。


西村拓郎。1969年12月17日 – 、実業家。
東京都出身。日拓グループ代表取締役社長。首都圏の一等地を中心に20店舗を構えるパチンコチェーン店を展開する。現在、社団法人日本遊技業関連事業協会理事。家紋の丸に横木瓜紋は妻である神田うのブログ記事より判断。


西川貴教。1970年9月19日 – 、ミュージシャン、タレント。
滋賀県野洲市出身。父は地方公務員(滋賀県職員)。T.M.Revolutionはソロプロジェクト名。代表曲はシングル『WHITE BREATH』等多数。家紋の丸に木瓜紋(オリジナルアレンジあり)は、2008年に行われたライブ・転生降臨之章で発売されたグッズより推測。


藤原紀香。1971年6月28日 – 、女優。
兵庫県西宮市出身。第24回ミス日本グランプリを受賞。女優として『スタアの恋』『ハッピーマニア』『金曜日の恋人たちへ』等が代表出演作。その他、人道支援への協力でも知られている。父方の家紋は洲浜紋、母方の家紋は木瓜紋と自身のfacebookにて告白。


黒川忠文。1972年10月15日 – 、漫才師。
大阪府寝屋川市出身。読みは、くろかわただふみ。愛称は「くろきん」。1992年デビュー。同期に藤井隆がいる。太田プロダクション所属。アンバランスのボケ担当。相方は、山本栄治。家紋の丸に横木瓜紋は、自身のブログの記事にて確認。


えとう窓口。1973年4月23日 – 、お笑い芸人。
大分県出身。本名は、江藤嘉洋。ワタナベエンターテインメントに所属するお笑いコンビ「Wエンジン」のツッコミ担当。最近は、九州のローカルタレントとしても活躍。温泉ソムリエ認定者。家紋の丸に四方木瓜紋は自身のブログの写真にて確認。


安住紳一郎。1973年8月3日 – 、アナウンサー。
北海道帯広市出身。1997年にTBSに入社。『ぴったんこカン・カン』『中居正広の金曜日のスマたちへ』等の人気番組のレギュラー司会者として活躍する。ラジオ番組『安住紳一郎の日曜天国』において自家の家紋が木瓜紋であることを告白した。


出島武春。1974年3月21日 – 、元大相撲力士。
石川県金沢市出身。本名は出島武春。現役時代の最高位は東大関。幕内成績:546勝478敗98休(勝率.533)。現在は大鳴戸を襲名している。出足が冴えたときには四股名に因み「出る出る出島」また「白い弾丸」とも呼ばれた。家紋は丸に横木瓜紋。


青山草太。1979年9月17日 – 、俳優。
島根県出雲市出身。本名は、田部猛司。モデルから俳優に転身。『ミュージカル テニスの王子様』のオーディションを受け、乾貞治役として出演。『ウルトラマンマックス』の主役トウマ・カイト役を務める。家紋の丸に横木瓜紋は、自身のブログより。


高岡奏輔。1982年2月8日 – 、俳優。
東京都出身。本名は非公開。宮崎あおいは元妻。『ROOKIES』『リアル・クローズ』に出演し人気を博す。2011年に自身の思想信条をツイッターで告白。それが原因で所属事務所との契約を解消。家紋は丸に横木瓜紋。ツイッターのアイコンより判断。


中丸雄一。1983年9月4日 – 、歌手、タレント。
東京都出身。読みは、なかまるゆういち。愛称は、ゆっち。男性アイドルグループKAT-TUNのメンバー。2009年、『RESCUE?特別高度救助隊』でドラマ初主演を果たす。家紋の丸に横木瓜は、早稲田大学人間科学部卒業時の紋付より判断。


大河原あゆみ。1986年4月19日 – 、アナウンサー。
神奈川県横浜市出身。元山口放送 (KRY) のアナウンサー。現在は、フリーアナウンサー兼クリエイティブディレクター。ニコニコ生放送では毎日自主的に生放送を行う活動を続けている(2016年6月時点)。家紋の横木瓜紋は自身のツイッターの発言より判断。


宝富士大輔。1987年2月18日 – 、大相撲力士。
青森県北津軽郡中里町出身。本名は杉山大輔。伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。近畿大学へ進学し、大学3年時に全国学生相撲選手権大会準優勝を果たした。大学時代には個人タイトル6冠を獲得。あだ名は角界のマツコ・デラックス。家紋は丸に横木瓜紋。


高安晃。1990年2月28日 – 、大相撲力士。
茨城県土浦市出身。本名は、髙安晃。父が日本人、母がフィリピン人の家庭に生まれる。AKB48の元メンバーでタレント・女優の秋元才加は幼なじみ。田子ノ浦部屋所属。最高位は大関。家紋の丸に横木瓜紋は、紋付姿の写真にて確認。


遠藤聖大。1990年10月19日 – 、大相撲力士。
石川県鳳珠郡穴水町出身。読みは、えんどうしょうた。追手風部屋所属。初土俵から6場所目に初めての幕内2ケタ白星の記録を達成した。2014年1月場所では優勝した白鵬翔の旗持ちで初めてオープンカーに乗った時の紋付より、丸に横木瓜紋と確認。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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