柏紋 -海の人々に奉られた神の紋- 島左近、森鴎外、青島幸男...


柏手を打つという言葉がある通り、柏は神道と関係が深い植物である。

宗像神社に奉仕する宗像氏、伊勢神宮に奉仕する久志本氏、熱田神宮に奉仕する千秋氏、吉田神社に奉仕する卜部氏など、神官関連に柏紋を使用する家が多い。
また、神社自体の紋としては、恵比寿神社の神紋が有名であるが、どちらかと言えば、海人系の人々に好まれたのではないか。

全国分布では、比較的に東日本で多い。
北から、秋田県、宮城県、山形県、千葉県、三重県、大阪府などでベスト3に入っている。
三重>千葉>宮城という海の道がそれとなく見えてくる。

全国的には4位にランクされている。
逆に少ないところは、広島県と佐賀県で13位、山口県、高知県で12位。

柏紋を持つ有名人は以下。


吉田兼好 。1283年 – 1352年、 遁世者・歌人・随筆家。
本名は卜部兼好。卜部氏は古代より卜占を司り神祇官を出す神職の家柄。父兼顕も吉田神社の神職。出家したことから兼好法師とも呼ばれる。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。また私家集『兼好法師家集』がある。家紋は抱き柏紋。


葛西晴信 。1534年 – 1597年、 大名。
陸奥国出身。第15代当主葛西晴胤の子で葛西氏の第17代当主。上洛して時の天下人・織田信長に謁見して所領を安堵されたが、後に、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣できず、改易される。家紋は三つ柏紋。画像は「信長の野望」の葛西晴信。


島左近 。1540年6月9日 – 1600年10月21日、 武将。
大和国の国人の家系に出生。筒井順慶豊臣秀長豊臣秀保らに仕えた後、浪人となって近江に隠棲。石田三成の説得により仕官を受け入れ、当時の三成の禄高4万石のうち2万石の俸禄で召し抱えられた。関が原の戦いで壮絶死。家紋は三つ柏。


中川清秀 。1542年 – 1583年6月10日、 武将。
はじめ摂津の豪族であった池田勝正に仕えた。清和源氏頼光流の多田源氏の後裔。本能寺の変で信長が横死した後は羽柴秀吉につき、山崎の戦いで大いに活躍した。賤ケ岳の戦いにも秀吉方先鋒二番手として参戦したが、戦死。家紋は中川車と中川柏。


宗像氏貞 。1545年 – 1586年4月22日、 武将。
宗像正氏の庶子として生まれる。兄の死後、家督相続争いに勝ち、宗像大宮司に補任され、宗像総領を継いだ。大友氏、毛利氏、秋月氏などの間で家の存続に腐心するが、豊臣秀吉の九州征伐前に急死した。家紋は丸に一枚柏紋。


山内一豊 。1545年 – 1605年11月1日、 武将。
尾張国葉栗郡出身。秀吉に仕え、出世し、家康に土佐20万石を与えられ土佐藩初代藩主となる。妻・見性院は、2006年の大河ドラマ『功名が辻』の主役。定紋は土佐柏。画像は祐天寺の山内氏の墓所にて撮影。他にも桐、白黒一文字等の替紋を持つ。


栗山利安 。1550年 – 1631年9月10日、 武将。
播磨国の黒田孝高の側近として仕える。通称は善助。黒田氏の筆頭家老。黒田二十四騎、黒田八虎の1人である。子に黒田騒動を起こした事で有名な利章がいる。黒田家臣の母里友信と義兄弟の契りを結んでいた。家紋は丸に三つ柏紋。


蜂須賀家政 。1558年 – 1639年2月2日、 武将・大名。
尾張国丹羽郡宮後村出身。蜂須賀正勝の長男。阿波の大名に任じられて徳島藩祖となる。阿波踊りは城が竣工した折、家政が城下に城の完成祝いとして「好きに踊れ」という触れを出したことが発祥と言われている。家紋は蜂須賀万字と抱き柏紋。


本因坊算砂 。1559年 – 1623年6月13日、 囲碁の棋士。
舞楽宗家の加納与助の子として生まれる。本姓は加納。兄(叔父)の日蓮宗の僧・日淵に弟子入りして出家。織田信長豊臣秀吉徳川家康という三英傑に仕え寵愛された。家康から碁打ち・将棋指しへの連絡係に任ぜられて後の家元制度の基礎となった。


八百屋お七 。1668年 – 1683年4月25日、 八百屋太郎兵衛の娘。
下総国千葉郡萱田で生まれる。幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こし、鈴ヶ森刑場で火刑に処された。文京区円乗寺の墓所にある水桶には丸に三つ柏紋が記されている(画像)が、歌舞伎などで演じられる際は、丸に封じ文紋


高田屋嘉兵衛 。1769年2月7日 – 1827年4月30日、 廻船業者。
淡路島の農民の子として生まれる。家紋は丸に違い柏紋。18歳で廻船業者を志して出て、後に本格的に廻船業、蝦夷地経営へ乗り出す。ゴローニン事件でカムチャツカ半島へ連行されるが、翌年帰国。司馬遼太郎の歴史小説『菜の花の沖』で有名になる。


牧野忠恭 。1824年10月22日 – 1878年9月1日、 藩主。
江戸出身。三河国西尾藩主・大給松平乗寛の三男。越後長岡藩の第10代藩主・牧野忠雅の養子となる。河井継之助を公用人として重用し、藩政改革を行う。寺社奉行、京都所司代などの要職を歴任。家紋の丸に三つ柏紋は養子・忠良の墓所にて撮影。


中島錫胤 。1830年1月2日 – 1905年10月5日、 内務・司法官僚。
徳島城下の佐古町楠小路出身。徳島藩士・三木章介の長男。中島棕隠の養子となる。読みは、なかじまますたね。尊王攘夷派として国事に奔走。維新後は、兵庫県知事、山梨県知事、貴族院議員を歴任。家紋の柏巴紋は雑司が谷霊園にて撮影。


高島嘉右衛門 。1832年12月24日 – 1914年10月16日、 易断家。
江戸三十堀間町に生まれる。父は遠州屋嘉衛門(本姓は薬師寺)。材木屋、磁器販売などを手がける。横浜発展に寄与し高島町にその名前を残す。その後も愛知セメント株式会社を興す。易断による占いでも特に有名で今でも「易聖」と呼ばれている。


山崎烝 。1833年 – 1868年2月6日、 新選組隊士。
摂津国大坂出身。生家は医家または薬種問屋。読みは、やまざきすすむ。新選組隊士(諸士調役兼監察)。池田屋事件禁門の変、第一次・第二次長州征討などでも戦況の推移や状況報告に能力を発揮した。家紋は丸に違い柏紋。顔画像は「薄桜鬼」より。


井関盛良 。1835年 – 1890年2月13日、 官僚。
伊予国出身。読みは、いぜきもりよし。神奈川県知事、外務大丞、名古屋県権令、島根県令などを務める。神奈川県知事時代に、民間人に呼びかけて、横浜毎日新聞を創刊させたという。家紋は抱き鬼柏紋に五瓜に唐花紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


高橋泥舟 。1835年3月15日 – 1903年2月13日、 武士・幕臣。
江戸出身。旗本・山岡正業の次男。婿養子として山岡家に入った山岡鉄舟は義弟にあたる。幕府が鳥羽・伏見の戦い敗戦後、帰京した徳川慶喜に恭順を説いた。勝海舟山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれている。家紋は丸に抱き細柏紋。


千田貞暁 。1836年9月9日 -1908年4月23日、 県令。
薩摩国出身。藩士・千田伝左衛門の子。読みは、せんださだあき。戊辰戦争に新政府軍として参加。広島県、新潟県・和歌山県・愛知県・京都府・宮崎県知事を歴任。後に、男爵を授爵し、貴族院議員となる。家紋の抱き柏紋は、「華族家系大成」による。


大野右仲 。1837年1月14日 – 1911年6月11日、 新選組隊士。
唐津藩出身。藩士大野勘助の長男。戊辰戦争が勃発すると藩主・小笠原長行に従って会津に入り仙台で新選組に入隊。榎本武揚艦隊と合流して蝦夷地へ渡った。二股口の戦から土方歳三の補佐役を務めた。家紋は三つ柏紋。天王寺墓地にて撮影。


渋沢成一郎 。1838年7月30日 – 1912年8月30日、 幕臣、実業家。
武蔵国血洗島村出身。農民・渋沢文左衛門の長男。渋沢栄一の従兄。戊辰戦争では、彰義隊を結成し、頭取に就任。榎本武揚率いる旧幕府脱走軍とともに蝦夷地に行き、箱館戦争に参戦した。明治以降は実業家として手腕を発揮した。家紋は丸に抱き柏紋。


桂文楽(4代) 。1838年12月26日 – 1894年1月28日、 落語家。
本名、新井文三。口癖で「デコデコ」とよく言っていたため「デコデコの文楽」と呼ばれた。人情噺が得意で『音羽丹七』は絶品であったという。得意ネタは『居残り佐平次』『たちきり』など。家紋は丸に三つ柏紋。画像は谷中・観音寺にて撮影。


相楽総三 。1839年 – 1868年3月26日、 赤報隊隊長。
下総相馬郡の郷士小島兵馬の四男として江戸・赤坂に出生。江戸薩摩藩邸の焼討事件の端緒を作り赤報隊を組織するが偽官軍とされ捕縛される。顔画像はアニメ「るろうに剣心」の相楽総三。家紋は三つ重ね柏紋。画像は青山霊園(立山墓地)にて撮影。


加納鷲雄 。1839年12月14日 – 1902年10月27日、 新選組隊士。
伊豆国賀茂郡加納村に農民・高野伴平の長男として出生。伊東甲子太郎らと新選組の隊士募集に応じて入隊したが御陵衛士の結成に伴い新選組を離脱。油小路事件では難を逃れて脱出し、後に近藤勇を襲撃。家紋は丸に抱き柏紋。画像は青山霊園にて撮影。


渋沢栄一 。1840年3月16日 – 1931年11月11日、 実業家。
武蔵国血洗島村に養蚕、米、麦、野菜の生産も手がける豪農の家に生れる。第一国立銀行や王子製紙日本郵船・東京証券取引所といった多種多様の企業の設立・経営に関わり日本資本主義の父と呼ばれる。家紋は丸に違い柏。谷中霊園の渋沢家墓所にて。


久坂玄瑞 。1840年5月 – 1864年8月20日、 武士・長州藩士。
長門国国出身。萩藩医・久坂良迪の二男。松下村塾に学び高杉晋作吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれた。安政の大獄によって吉田松陰が刑死した後、尊攘運動の先頭に立つ。禁門の変で負傷し、自刃する。家紋は隅立角に三の字紋、丸に違い柏紋。


境川浪右衛門 。1841年5月28日 – 1887年9月16日、 相撲力士。
下総国葛飾郡出身。本名は宇田川政吉、のちに市川政吉から市川浪右衛門。第14代横綱。28場所118勝23敗71分5預63休、勝率.837。優勝相当成績5回。歴代横綱の中で引分率が最も高い。家紋は丸に三つ柏紋。画像は江東区・聞明寺にて撮影。


沖守固 。1841年8月13日 – 1912年10月7日、 政治家。
鳥取藩士・江戸詰絵師、沖一峨の長男として江戸で生まれる。内務省に入り内務少書記官となる。神奈川県知事、長崎県知事、元老院議官、滋賀県知事、和歌山県知事、大阪府知事、愛知県知事を歴任。家紋は二つ蔓柏紋。青山霊園の墓所にて撮影。


安保清康 。1843年1月30日 – 1909年10月27日、 海軍軍人。
備後国御調郡の医師・林金十郎の四男として出生。坂本龍馬の遺体を鳥野辺に埋葬したとされる。戊辰戦争・佐賀の乱・西南戦争に出征。海軍中将に進級し、海軍大学校長、佐世保鎮守府長官を歴任。家紋は丸に実付き三つ柏紋。青山霊園の墓所にて撮影。


高島鞆之助 。1844年12月18日 – 1916年1月11日、 陸軍軍人。
薩摩国出身。藩士高島喜兵衛の四男。読みは、たかしまとものすけ。第1次松方内閣の陸軍大臣。最終階級は陸軍中将。大阪偕行社附属小学校(現在の追手門学院小学校)を創設。陸軍大将野津道貫は義弟。家紋は抱き鬼柏に剣菊紋。画像は青山霊園にて撮影。


吉原重俊 。1845年5月15日 – 1887年12月19日、 官僚。
薩摩国出身。攘夷派の志士として薩英戦争の際、大山巌西郷従道らとともに英艦に乗り込もうとするが失敗したという。維新後は、官僚として、活躍。外務省書記官、日本銀行初代総裁等を歴任した。家紋は丸に三つ柏紋。画像は青山霊園にて撮影。


宇田川準一 。1848年9月9日 – 1913年3月8日、 物理学者。
江戸出身。父は幕末に活躍した洋学者宇田川興斎。読みは、うだがわじゅんいち。坪井信良らにまなぶ。外国の物理学書を土台とする著書「物理全志」は参考書としてひろくつかわれた。家紋は丸に三つ柏紋。画像は雑司が谷霊園にて撮影。


園田実徳 。1849年1月14日 – 1917年2月18日、 政治家。
薩摩国出身。読みは、そのださねのり。明治維新後開拓使として北海道函館に渡り、同市をはじめとする道南地方の経済発展に貢献した。北海道銀行創業者。目黒競馬場の建設に携わり、日本競馬会の会長も務めた。家紋は柏巴紋。画像は青山霊園にて撮影。


池田七三郎 。1849年12月27日 – 1938年1月16日、 新選組隊士。
上総国山辺郡田間村出身。商人の三男。本名は、稗田利八。新選組に入隊し、鳥羽・伏見の戦い甲陽鎮撫隊に参加。その後、会津へ出陣し、母成峠の戦いで敗れると斎藤一らと会津に残留。家紋の丸に剣柏紋は麻布台・真浄寺にて撮影。


寺内正毅 。1852年2月24日 – 1919年11月3日、 政治家。
周防国山口出身。長州藩士宇多田正輔の三男。読みは、てらうちまさたけ。母方の寺内勘右衛門の養嗣子となる。陸軍大臣、外務大臣、韓国統監、朝鮮総督、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣を歴任。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は亀甲に三つ柏紋。


矢代操 。1852年8月5日 – 1891年4月2日、 民法学者。
越前国にて鯖江藩士松本伝互の三男として生まれる。読みは、やしろみさお。岸本辰雄宮城浩蔵とともに、明治法律学校(後の明治大学)を創立した。元老院書記官、貴族院書記官を歴任。家紋は抱き柏紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


安東貞美 。1853年10月20日 – 1932年)8月29日、 陸軍軍人。
信濃 飯田藩出身。藩・槍術師範・安東辰武の三男として出生。父の辰武は信濃松本藩槍術師範・菅沼政治の子。台湾総督・朝鮮駐剳軍司令官や第10・第12師団長を歴任。階級は陸軍大将勲一等功三級男爵。家紋は丸に三つ柏紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


片岡七郎 。1854年1月12日 – 1920年1月11日、 海軍軍人。
薩摩国出身。藩士の息子。読みは、かたおかしちろう。最終階級は海軍大将日露戦争・日本海海戦では、第3艦隊司令長官として参戦した。後にに高等軍法会議判士長に任じられた。家紋の追い三つ菊の葉に結三柏紋は、「華族家系大成」による。


御木本幸吉 。1858年3月10日 – 1954年9月21日、 実業家。
志摩国鳥羽浦出身。うどんの製造・販売を営む「阿波幸」の長男。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成し、御木本真珠店(現・ミキモト)を創業。真珠王と言われた。家紋は丸に一の角字と三つ追い柏。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


嘉納治五郎 。1860年12月9日 – 1938年5月4日、 教育者。
摂津国御影村出身。家業は酒造・廻船を営む。柳宗悦は甥にあたる。講道館柔道の創始者であり柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力。柔道の父と呼ばれる。画像は雑司ヶ谷霊園の父・次郎作の墓で撮影。


落合豊三郎 。1861年4月7日 – 1934年3月31日、 陸軍軍人。
江戸出身。松江藩士・落合鍬蔵の三男。日露戦争では、第2軍参謀長として出征した。その際、部下と対立。以後、関東総督府陸軍参謀長、交通兵旅団長などを歴任。最終階級は陸軍中将。家紋は丸に三つ柏紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


牧野伸顕 。1861年11月24日 – 1949年1月25日、 政治家。
薩摩国出身。大久保利通の二男。生後間もなく利通の義理の従兄弟・牧野吉之丞の養子となる。文部大臣、農商務大臣、外務大臣を歴任。第一次世界大戦後のパリ講和会議に次席全権大使として参加。家紋画像は青山霊園の墓所にて撮影。


森鴎外 。1862年2月17日 – 1922年7月9日、 小説家。
石見国津和野出身。森家は代々津和野藩主、亀井公の御典医をつとめる。文学においては理想や理念などを描くべきだとする理想主義を掲げた。代表作は、「舞姫」「青年」「阿部一族」「高瀬舟」など。家紋は乱れ追い重ね九枚柏という変り紋。


村井吉兵衛 。1864年2月29日 – 1926年1月2日、 実業家。
京都の煙草商の次男として誕生。先代叔父吉右衛門の養子となり家督を相続する。明治時代にヒーローという煙草を大ヒットさせ、「煙草王」と呼ばれた。事業を多角化し村井財閥を形成。家紋は丸に三つ柏紋。画像は旧村井邸(長楽館)の門にて。


山梨半造 。1864年4月6日 – 1944年7月2日、 陸軍軍人。
相模国大住郡出身。田村怡与造は義父。本間雅晴は義弟。原敬内閣の陸軍大臣となり、陸軍大将に進級。高橋内閣・加藤友三郎内閣にも留任。2度にわたり軍縮(「山梨軍縮」)を実行した。家紋は丸に三つ柏紋。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


森永太一郎 。1865年8月8日 – 1937年1月24日、 実業家。
肥前伊万里出身。生家は焼き物や魚類を商う卸問屋。森永製菓の前身・森永西洋菓子製造所を設立。主にマシュマロを製造していたが後にキャラメルを主力製品とする。安倍晋三元首相夫人昭恵は曾孫にあたる。家紋は丸に抱き鬼柏。青山霊園の墓所にて撮影。


山下亀三郎 。1867年5月12日 – 1944年12月13日、 実業家。
伊予国宇和郡河内村出身。庄屋・山下家の7人兄弟の末子として生まれた。読みは、やましたかめざぶろう。山下汽船(現・商船三井)・山下財閥の創業者。勝田銀次郎、内田信也と並ぶ三大船成金の一人。家紋は丸に三つ柏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


大森房吉 。1868年10月30日 – 1923年11月18日、 地震学者。
越前国足羽郡福井出身。下級武士・大森藤輔の五男。世界初の連続記録可能な大森式地震計を開発。また初期微動継続時間から震源までの距離を割り出す大森公式も発表。日本地震学の父と呼ばれている。家紋は丸に三つ柏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


白川義則 。1869年1月24日 – 1932年5月26日、 陸軍軍人。
伊予国出身。松山藩士白川親応の三男。上海派遣軍司令官、関東軍司令官、陸軍大臣、軍事参議官等を歴任。上海での天長節祝賀会で爆弾に遭って重傷を負いそれが元で死去。最終階級は陸軍大将。家紋は丸に軸付柏巴紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


三土忠造 。1871年8月11日 – 1948年4月1日、 政治家。
香川県大内郡出身。読みは、みつちちゅうぞう。宮脇姓であったが、三土家に養子入りしたために三土姓を名乗る。文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣・鉄道大臣・内務大臣を歴任した戦前政界の重鎮。家紋は丸に土佐柏紋。青山霊園の墓所にて撮影。


菱田春草 。1874年9月21日 – 1911年9月16日、 日本画家。
長野県飯田に生まれた。本名は三男治。岡倉天心の門下で明治期の日本画の革新に貢献し日本美術院の創設に参加。伝統的な日本画の世界に様々な斬新な技法を導入。代表作は『寡婦と孤児』『紅葉山水』『黒き猫』。画像は中野・大信寺墓地にて撮影。


林銑十郎 。1876年2月23日 – 1943年2月4日、 政治家。
石川県金沢市出身。豪快なヒゲにもかかわらず素顔は謹厳、温厚だった。第33代内閣総理大臣時代に特に何もしなかったことから、名前を取って「何にもせんじゅうろう内閣」と揶揄された。最終階級は陸軍大将。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


窪田空穂 。1877年6月8日 – 1967年4月12日、 歌人。
長野県東筑摩郡和田村生まれ。本名は窪田通治。読みは、くぼたうつぼ。与謝野鉄幹選歌の「文庫」に投稿をする。鉄幹から勧誘され「明星」にも参加。代表歌集は『まひる野』『土を眺めて』等。家紋は抱き柏紋。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。


山内多門 。1878年4月29日 – 1932年5月30日、 日本画家。
宮崎県都城市倉之馬場通東に山内勝麿の子として生まれる。読みは、やまうちたもん。川合玉堂に入門、雅号都洲を授かる。翌年、橋本雅邦に師事する。代表作は「秋渓」「驟雨」「日光山の四季」など。家紋は丸に抱き柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


馬場鍈一 。1879年10月5日 – 1937年12月21日、 官僚。
東京府芝区出身。旧幕藩士・山本時光の長男。日本勧業銀行総裁を経て広田弘毅内閣に大蔵大臣として入閣。増税と公債増発を発表(内閣総辞職のため実現はせず)。また、近衛文麿内閣では内務大臣も務めた。家紋は丸に五徳柏紋。画像は多磨霊園にて撮影。


内田信也 。1880年12月6日 – 1971年1月7日、 政治家。
茨城県行方市出身。旧常陸麻生藩士の子。山下亀三郎、勝田銀次郎と並ぶ三大船成金の一人。船舶事業で財を成した後、政界にも進出し宮城県知事、鉄道大臣、農商務大臣、農林大臣等を歴任した。家紋は抱き柏紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


大谷米太郎 。1881年7月24日 – 1968年5月19日、 実業家。
富山県小矢部市出身。貧農の家庭に長男として出生。裸一貫から力士、酒屋、鉄鋼業などを経て、ホテルニューオータニを創業。浮世絵のコレクターとしても知られそのコレクションはニューオータニ美術館に所蔵。画像は鎌倉霊園の墓所にて撮影。


蓮沼門三 。1882年2月22日 – 1980年6月6日、 社会事業家。
福島県耶麻郡相川村(現・喜多方市山都町)出身。東京府師範学校に入学、在学中に同志とともに修養団を創立する。渋沢栄一などの援助を受け、修養団の主幹として日本の社会教育の発展に尽した。家紋は丸に三柏紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


小菅丹治 。1882年4月27日 – 1961年9月16日、 実業家。
神奈川県足柄上郡川村出身。旧姓:高橋。1908年に伊勢丹呉服店に入社。初代・小菅丹治(伊勢丹創業者)の養子となり、2代目小菅丹治を襲名。関東大震災後に百貨店形式にする。新宿に本店オープン。家紋は丸に三柏紋。画像は本行寺の墓所にて撮影。


渡辺水巴 。1882年6月16日 – 1946年8月13日、 俳人。
東京府東京市浅草区出身。本名は、渡辺義。読みは、わたなべすいは。父は近代画家の渡辺省亭。内藤鳴雪を訪れ門下生となり、後に高浜虚子に師事する。「俳諧草紙」を創刊。曲水社を設立し、「ホトトギス」雑詠を代選。家紋の三つ細柏紋は潮江院にて撮影。


北一輝 。1883年4月3日 – 1937年8月19日、 思想家・社会運動家。
新潟県佐渡島両津湊町の酒造屋に出生。上京し社会主義思想に接近。中国革命同盟会に入党、以後革命運動に身を投じる。二・二六事件の理論的首謀者とされ死刑。主著は『国家改造案原理大綱』『日本改造法案大綱』。画像は弟・北昤吉の墓所で撮影。


岩村通世 。1883年8月21日 – 1965年3月13日、 政治家。
東京市神田区神保町出身。読みは、いわむらみちよ。岩村通俊の五男。海軍中将の岩村俊武は兄。林有造は叔父。太平洋戦争開戦時の日本の司法大臣。A級戦犯として逮捕されたが無罪で釈放された。家紋は抱き柏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


河田烈 。1883年9月24日 – 1963年9月27日、 大蔵大臣。
東京府生まれ。山川黙は弟。読みは、かわだいさお。岡田内閣で内閣書記官長となり、同年貴族院勅選議員に勅任される。第2次近衛内閣で大蔵大臣として入閣。東亜海運社長、大成火災海上社長等も歴任。家紋の丸に抱き細柏紋は叔父河田柳荘の墓所にて撮影。


安成貞雄 。1885年4月2日 – 1924年7月23日、 批評家。
秋田県出身。『火鞭』の同人で『近代思想』『新社会』などに関わり大正三奇人の一人と称された。旺盛な読書力と優れた英語力で「学東西に亘り、識古今を貫き」と称された。主著は『文壇与太話』。家紋は雪輪に違い柏紋。画像は池上本門寺にて撮影。


石川一郎 。1885年11月5日 – 1970年1月20日、 経営者。
東京都出身。石川卯一郎の長男。武蔵工業大学(現東京都市大学)学長の石川馨は長男。日本商工会議所会頭の石川六郎は六男。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、経団連初代会長に就任。家紋は丸に三つ柏紋。画像は染井霊園の墓所にて。


葛西善蔵 。1887年1月16日 – 1928年7月23日、 小説家。
青森県弘前市に生まれ。生家は広く商売(米の仲買業等)をしていたが、善蔵が2歳のときに没落。ほとんどが自らの体験をつづった〈私小説〉プロレタリア作家。代表作は『哀しき父』『子をつれて』『椎の若葉』等。墓所は鎌倉市の建長寺塔頭の回春院。


重光葵 。1887年7月29日 – 1957年1月26日、 外交官、政治家。
大分県大野郡出身。士族・重光直愿の次男。読みは、しげみつまもる。母の実家の養子となり重光家26代目の当主となる。大東亜戦争中に外務大臣を務めポツダム宣言に調印。国際連合加盟に尽力。画像は多磨霊園の兄・簇(あつむ)の墓所の丸に三つ柏紋。


里見とん 。1888年7月14日 – 1983年1月21日、 小説家。
横浜出身。本名は山内英夫。母の弟の山内英郎の養子となり山内姓となる。『恋ごころ』で読売文学賞を受賞。代表作は『善心悪心』『多情仏心』。『彼岸花』は小津映画のために書き下ろした。家紋画像は文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に土佐柏紋。


松旭斎天洋 。1888年9月21日 – 1980年9月30日、 奇術師。
福井県敦賀市出身。本名は山田松太郎。子供の頃は大阪で丁稚奉公をしていた。母親が奇術師の松旭斎天一の姉であった縁で松旭斎天一に弟子入り。「天洋奇術研究所」を創立し、三越日本橋本店で手品商品の実演販売を行う。家紋は三つ柏紋。


河辺虎四郎 。1890年9月25日 – 1960年6月25日、 陸軍軍人。
富山県出身。読みは、かわべとらしろう。兄は、陸軍大将・河辺正三。陸軍参謀本部作戦課長時に、戦線拡大に反対。戦争直後、軍事情報部歴史課で特務機関「河辺機関」を結成。最終階級は陸軍中将。家紋は丸に三つ柏紋。画像は谷中・天王寺墓地にて撮影。


牧野虎雄 。1890年12月15日 – 1946年10月18日、 洋画家。
新潟県出身。読みは、まきのとらお。木村荘八、福田平八郎たちと六潮会を、また、藤田嗣治中川一政らと邦画一如会を結成した。代表作は「漁村」「凧揚(たこあげ)」「後向きの裸婦」「明るい部屋」 。家紋の丸に三つ柏紋は多磨霊園の墓所にて撮影。


広津和郎 。1891年12月5日 – 1968年9月21日、 小説家。
東京都出身。父は小説家・広津柳浪。好景気時代に悩むインテリ青年の苦悩を描く。代表作は『神経病時代』『続年月のあしおと』等。また『父と娘』は小津安二郎の映画『晩春』の原作となる。家紋は丸に片手蔓三つ柏紋。画像は谷中霊園にて撮影。


石井四郎 。1892年6月25日 – 1959年10月9日、 陸軍軍人。
千葉県山武郡芝山町出身。ノモンハン事件では、初代部隊長を勤めた。関東軍防疫給水部(731部隊)所属時には給水活動に活躍。また、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関を主導したといわれている。家紋は丸に抱き柏紋。画像は月桂寺にて撮影。


尾竹紅吉 。1893年3月4日 – 1966年9月22日、 運動家。
富山出身。本名は、尾竹一枝。読みは、おたけこうきち。日本画家・尾竹越堂の長女。尾竹竹坡は叔父。青鞜社入社後、表紙などを担当。青鞜社退社後に富本一枝という筆名で評論を発表。家紋は丸に三つ立ち柏紋。画像は谷中霊園の尾竹家の墓所にて撮影。


蝋山政道 。1895年11月21日 – 1980年5月15日、 政治学者。
新潟県刈羽郡出身。群馬県高崎市で育つ。吉野作造の影響を受け政治学の研究を志す。二・二六事件に際して『帝国大学新聞』に軍部批判の論説を掲載。中央公論社副社長、『中央公論』編集主任、お茶の水女子大学学長。画像は小平霊園の墓所にて撮影。


横田喜三郎 。1896年8月6日 – 1993年2月17日、 最高裁判所長官。
愛知県の呉服商兼農業の家庭の三男として出生。親社会主義的な法学者として知られ、著書『天皇制』において天皇制廃止を主張したが、晩年は保守的な思考を強め、天皇から勲章を賜る。家紋は丸に三つ柏紋。画像は護国寺共葬墓地にて撮影。


岸信介 。1896年11月13日 – 1987年8月7日、 官僚。
山口県吉敷郡山口町出身。県庁官吏・佐藤秀助の五男として誕生。婿養子だった父の実家・岸家の養子となる。内閣総理大臣佐藤栄作は実弟、安倍晋三は外孫。内閣総理大臣(第56・57代)。家紋は丸に剣三つ柏紋。画像は冨士霊園の墓所にて撮影。


薄田美朝 。1897年1月16日 – 1963年4月16日、 官僚、政治家。
秋田県出身。読みは、すすきだよしとも。群馬県知事、鹿児島県知事を経て、警視総監となる。戦後、自由党から立候補し、政治家となる。自由党政調会治安部長、自由民主党総務などを務めた。家紋は丸に三つ柏紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


松井翠声 。1900年4月9日 – 1973年8月1日、 俳優。
東京出身。本名は五百井(いおい)清栄。読みは、まついすいせい。活動写真(無声映画)、とくに外国映画の弁士として活躍。徳川夢声のナヤマシ会に参加。NHKラジオ「陽気な喫茶店」に出演。家紋は三つ柏紋。画像は鎌倉寿福寺の墓所にて撮影。


島耕二 。1901年2月16日 – 1986年9月10日、 映画監督。
長崎県長崎市に、医者の息子として生まれる。二枚目俳優として内田吐夢、阿部豊、溝口健二などの作品に出演。監督に転向し、『風の又三郎』『次郎物語』などで好評を得る。家紋は丸に五徳柏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


仲小路彰 。1901年2月26日 – 1984年9月1日、 思想家、哲学者。
東京市赤坂区氷川町出身。仲小路廉の二男。読みは、なかしょうじあきら。大正末期から昭和にかけてのロマン主義運動の中心的存在の一人であったとされている。家紋は変り蔓柏紋。画像は青山霊園にある父親・仲小路廉の墓所にて撮影。


青山二郎 。1901年6月1日 – 1979年3月27日、 美術評論家。
東京市麻布区出身。中学時代から中国・朝鮮や日本の焼き物を探求。一時期、柳宗悦濱田庄司たちの民芸運動に参加。小林秀雄、中原中也永井龍男白洲正子宇野千代などと交わる。家紋は丸に三つ柏紋。画像は谷中・玉林寺にて撮影。


嶋田叡 。1901年12月25日 – 1945年6月27日、 沖縄県知事。
神戸市須磨区の開業医・島田五十三郎の長男として出生。読みは、しまだあきら。高校野球で夏の県大会優勝校には「島田杯」が授与されるなど、現在でも沖縄県民に愛された知事として記憶されている。家紋は丸に三つ柏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


山内恭彦 。1902年7月2日 – 1986年10月14日、 理論物理学者。
神奈川県出身。祖父は函館戦争で榎本武揚に随行した山内六三郎。読みは、やまのうちたかひこ。群論を使って原子構造を解明。「原子スペクトル理論への群論の応用」で日本学士院賞を受賞。家紋は丸に土佐柏紋。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


北園克衛 。1902年10月29日 – 1978年6月6日、 詩人。
三重県伊勢市出身。本名は橋本健吉。読みは、きたぞのかつえ。日本で初めてのシュルレアリスム宣言を配布した。デザイナー、イラストレーター、編集者としても活躍。代表的な詩集に『白のアルバム』『黒い火』などがある。家紋の丸に三つ柏紋は祥雲寺にて撮影。


菊谷栄 。1902年11月26日 – 1937年11月9日、 喜劇作家。
青森県東津軽郡油川村大浜(現在の青森市)出身。本名は菊谷栄蔵。青森市の油屋菊谷永太郎の次男。エノケン劇団の旗揚げ公演にオペレッタ『リオ・リタ』を提供。“作劇十則”は井上ひさしに大きな影響を与えた。家紋は丸に抱き柏紋。


香山滋 。1904年7月1日 – 1975年2月7日、 小説家。
東京府出身。本名は山田鉀治(やまだ こうじ)。読みは、かやましげる。ゴジラの原作者として知られている。代表作は『霊魂は訴える』『海鰻荘奇談』『オラン・ペンデクの復讐』など。家紋は三追柏。画像は新宿区愛住町浄運寺の墓所にて撮影。


速水健司 。1905年12月 – 1990年8月30日、 実業家。
栃木県小山市出身。入谷に家具問屋速水商店を開業。家具卸商業組合・家具健康保険組合理事長など要職につく。かつては、テレビCMも放映するほど繁栄したが現在は閉店している。家紋は丸に抱き柏紋。画像は谷中・寛永寺霊園の墓所にて撮影。


樋口清之 。1909年1月1日 – 1997年2月21日、 歴史作家。
奈良県桜井市出身。考古学者としては静岡県の登呂遺跡の発掘を行う。代表作として『梅干と日本刀』『逆・日本史』『今日の風土記』。代表作の『梅干と日本刀』から「うめぼし博士」「梅干先生」と称される。家紋は九枚柏紋。画像は豪徳寺にて撮影。


山野愛子 。1909年1月20日 – 1995年7月31日、 美容家。
東京・向島出身。実家は洋食食堂を経営。中野に山野美容講習所(現在の山野美容専門学校)を開設。山野美容芸術短期大学を設立、初代学長に就任。生涯をヤマノグループ創始者として日本美容界発展に貢献した。画像は中野・高徳寺にて撮影。


斎藤邦吉 。1909年6月26日 – 1992年6月18日、 政治家。
福島県出身。衆議院議員(12期)。自民党内では宏池会に所属し、伊東正義、佐々木義武とともに「大平派三羽烏」と呼ばれた。自民党幹事長、厚生大臣、行政管理庁長官などを歴任。家紋は丸に三つ柏紋。画像は池上本門寺にて撮影。


土門拳 。1909年10月25日 – 1990年9月15日、 写真家。
山形県酒田市に父・熊造の長男として誕生。絶対非演出のリアリズム写真を主張したリアリズム系の写真家。日本の庶民、仏像等の撮影に特に才能を発揮。また、日本の写真界屈指の名文家としても知られた。家紋は丸に三つ柏。画像は八柱霊園にて撮影。


斎藤栄三郎 。1913年6月19日 – 2000年7月9日、 評論家。
東京府出身。読みは、さいとうえいざぶろう。日経新聞記者、NHK解説委員を経てフリーの経済評論家となりTBSの『時事放談』出演等で活躍後、参議院議員に転身。第1次海部内閣の科学技術庁長官を務めた。家紋の丸に抱き柏紋は池上本門寺にて撮影。


沢村栄治 。1917年2月1日 – 1944年12月2日、 プロ野球選手。
三重県宇治山田市出身。夏の高校野球(中学野球)全国大会で1試合23奪三振を記録。静岡県草薙球場で開催されたアメリカメジャーリーグ選抜軍との試合に登板し好投。巨人入団後も活躍。プロ野球史上初となるMVPに選出される。家紋は丸に三つ柏紋。


吉岡実 。1919年4月15日 – 1990年5月31日、 詩人、装幀家。
東京本所の生まれ。芸術至上主義詩人として戦後詩に多大な影響を与える。代表作は『昏睡季節』『液体』『僧侶』『サフラン摘み』『薬玉』。全284篇の詩作品と150点余りの装丁作品を遺した。家紋は、丸に三柏。画像は巣鴨の真性寺にて撮影。


野村芳太郎 。1919年4月23日 – 2005年4月8日、 映画監督。
京都府出身。父・野村芳亭は日本の映画監督の草分け的存在。1946年に復員後、黒澤明の助監督を務め、『鳩』で監督デビュー。代表作は『張込み』『砂の器』『鬼畜』『八つ墓村』等。家紋は丸に三つ柏紋。画像は和田堀廟所の野村家墓所にて撮影。


吉葉山潤之輔 。1920年4月3日 – 1977年11月26日、 大相撲力士。
北海道厚田郡厚田村出身。本名は池田潤之輔。第43代横綱。1954年1月場所、全勝で悲願の初優勝。引退後、年寄・宮城野を襲名。宮城野部屋を開設する。白鵬の不知火型での土俵入りは吉葉山から継承したもの。画像は本願寺和田堀廟所にて撮影。


コロムビア・トップ 。1922年5月6日 – 2004年6月7日、 漫才師。
東京都台東区浅草出身。本名は下村泰。鳥屋二郎と組みコロンビア・トップ・ライトのコンビで風刺漫才を得意とした。青空一門の総帥として漫才協団を率いる。また、参議院議員として障害者福祉に取り組んだ。画像は目黒・東光寺にて撮影。


西村晃 。1923年1月25日 – 1997年4月15日、 声優。
北海道札幌市出身。大東亜戦争中は特攻隊員であったが、出撃直前に終戦を迎えている。テレビドラマ『水戸黄門』の二代目・徳川光圀役として有名。代表出演作は「赤い殺意」「黒蜥蜴」など。家紋は三つ追い柏。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


岡本喜八 。1924年2月17日 – 2005年2月19日、 映画監督。
鳥取県米子市出身。本名は岡本喜八郎。代表作は『独立愚連隊西へ』『江分利満氏の優雅な生活』『肉弾』『大誘拐』等。すべてのカットをコンマ秒単位で決めた上で撮影に臨んだといわれる技巧派の監督。家紋は丸に三つ柏。画像は春秋苑にて撮影。


加納貢 。1926年 – 2004年9月28日、 愚連隊。
東京新宿出身。読みは、かのうみつぐ。父は八千代銀行創業者で東京の初台一帯から新宿にかけての地主・加納直。太平洋戦争終戦後の混乱期、戦後闇市の守護神と称され「愚連隊の帝王」と呼ばれた。家紋は丸に違い柏紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


山口瞳 。1926年11月3日 – 1995年8月30日、 エッセイスト。
東京市麻布区出身。母親は横須賀の柏木田遊郭の経営者。『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。競馬、将棋、野球に造詣が深く『草競馬流浪記』など関連作も多い。代表作は『血族』『家族』など。家紋の丸に蔓柏紋は横須賀・顕正寺にて撮影。


ドクター中松 。1928年6月26日 – 、 発明家。
東京府出身。本名は中松義郎。先祖の中松十郎左衛門は、大石内蔵助から赤穂城を受け取る。これまでの発明件数は3,000件以上。主な発明は、灯油ポンプ、ピョンピョンシューズ等。東京都知事選立候補者としても名高い。家紋は片手蔓三つ柏紋


牧野茂 。1928年7月26日 – 1984年12月2日、 プロ野球選手。
香川県高松市出身。読みは、まきのしげる。東京六大学リーグを経て、中日ドラゴンズに入団。華麗な守備でファンを魅了。引退後は、巨人軍V9時代の名コーチ、解説者として知られる。1991年に野球殿堂入りした。家紋の丸に三つ柏紋は墓所写真にて確認。


戸浦六宏 。1930年4月30日 – 1993年3月25日、 俳優。
大阪府大阪市出身。読みは、とうらろっこう。本名は東良睦宏。残忍さ溢れる個性的な名悪役で知られる。大島渚が設立した創造社に参加し、大島作品に数多く出演。代表出演作は『竹山ひとり旅』『沈黙』『とべない沈黙』など。家紋は丸に三つ柏紋。


鈴木淑夫 。1931年10月12日 -、 エコノミスト。
東京都千代田区出身。父は大修館書店の創業者・鈴木一平。日本銀行、野村総研を経て、エコノミストとなり、『金融政策の効果』で日経・経済図書文化賞を受賞。また政治家としても活躍。家紋は丸に陰抱き柏紋。画像は護国寺の鈴木家墓所にて撮影。


青島幸男 。1932年7月17日 – 2006年12月20日、 政治家。
東京市日本橋区の仕出し弁当店・弁菊の次男。「スーダラ節」「明日があるさ」等の作詞者、「意地悪ばあさん」の主役俳優。「人間万事塞翁が丙午」で直木賞受賞。政治家としても参議院議員、東京都知事を務める。画像は西日暮里・浄光寺にて撮影。


引田天功 。1934年7月3日 – 1979年12月31日、 催眠術師。
神奈川県横浜市出身。本名は疋田功。師匠は松旭斎天洋。声優の小桜有美、アイドルグループ少女隊のトモは娘。水中や爆発などの極限状態からの脱出マジックを得意とし脱出王の異名を取った。家紋は丸に三つ柏紋。画像は長津田の随流院にて撮影。


大鵬幸喜 。1940年5月29日 – 2013年1月19日、 大相撲力士。
樺太出身。父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は日本人の納谷キヨ。納谷は母の姓。第48代横綱。優勝32回、6連覇2回などを記録。現役時の紋付には丸に平四つ目結紋があるが、納谷家の先祖の墓には丸に三つ柏紋がある。


篠山紀信 。1940年12月3日 – 、 写真家。
東京市淀橋区出身。真言宗円照寺の住職家の次男。雑誌『GORO』で山口百恵松田聖子ら芸能人や素人をモデルにした一連の激写シリーズで知られる。その他、ジョン・レノン三島由紀夫の撮影をしたことでも有名。家紋の三つ柏紋は実家の墓所にて撮影。


尾上菊五郎(7代) 。1942年10月2日 – 、 歌舞伎役者。
東京都出身。本名は寺島秀幸。屋号は音羽屋。妻は富司純子。長女は女優の寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。20代の菊之助時代に三之助の一人として人気を博す。人間国宝。家紋は重ね扇に抱き柏紋。画像は雑司が谷墓地の五代目尾上菊五郎の墓所にて撮影。


樹木希林 。1943年1月15日 – 、 女優。
東京神田出身。本名は内田啓子。岸田森と結婚するが、後に離婚。その後、内田裕也と再婚し間に娘・内田也哉子(本木雅弘夫人)がいる。代表出演作は『ムー』『悪人』等。「黒柳徹子だけが知っている THE テレビ伝説60年史」出演時の紋付より抱き柏紋と判断。


逸見政孝 。1945年2月16日 – 1993年12月25日、 司会者。
大阪府大阪市阿倍野区出身。長男は俳優の逸見太郎。『FNNニュースレポート6:00』『FNNスーパータイム』などのキャスター、『たけし逸見の平成教育委員会』『夜も一生けんめい。』などの司会を務める。家紋は丸に違い柏紋。


中原誠 。1947年9月2日 – 、 将棋棋士。
鳥取県生まれだが生後1か月で転居した宮城県塩竈市を出身地とする。十六世名人・永世十段・永世棋聖・永世王位・名誉王座の5つの永世称号を保持。通算1308勝は大山康晴に次ぎ歴代2位。通算タイトル獲得数64期は歴代3位。画像は春秋苑の生前墓にて。


柳家さん喬 。1948年8月4日 – 、 落語家。
東京都墨田区本所出身。本名は、稲葉稔。読みは、やなぎやさんきょう。出囃子は「鞍馬獅子」。落語協会所属。芸術選奨文部科学大臣賞、国際交流基金賞・浅草芸能大賞奨励賞などを受賞。家紋は三つ柏紋。画像は鈴本演芸場の提灯。


ガッツ石松 。1949年6月5日 – 、 俳優、タレント。
栃木県出身。本名は鈴木有二。元WBC世界ライト級チャンピオン。引退後は、テレビのバラエティ番組に出演するなどタレント活動を主とし、「OK牧場」などの流行語を生み出す。家紋は三つ蔓柏紋。さつき霊園の生前墓の写真にて確認。


笑福亭鶴瓶 。1951年12月23日 -、 落語家、タレント。
大阪府中河内郡出身。本名は、駿河学。「鶴瓶の家族に乾杯」「ザ!世界仰天ニュース」など多くのレギュラー番組を持つ。家紋の三つ柏紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。落語家としての家紋は笑福亭の定紋の五枚笹紋


千代の富士貢 。1955年6月1日 – 2016年7月31日、 大相撲力士。
北海道松前郡福島町出身。漁師の息子。本名は、秋元貢。第58代横綱。昭和最後の大横綱。通算勝星・1045勝、幕内最高優勝:31回。九重部屋を継承し、千代大海らを育てる。家紋画像の丸に三つ柏紋は谷中・玉林寺の秋元家墓所にて撮影。


萩岡松韻(4代) 。1957年2月10日 -、 箏曲家。
東京都出身。三世萩岡松韻の長男として生まれ5歳で初舞台を踏む。四代目萩岡松韻を継承。伝統文化ポーラ賞優秀賞受賞。現在は山田流箏曲萩岡派宗家。萩岡會会長。東京芸術大学教授。家紋は抱き柏紋。画像は谷中霊園の萩岡家の墓所にて撮影。


桜田淳子 。1958年4月14日 -、 歌手、女優。
秋田県秋田市出身。3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで数々の新人賞を受賞。女優としても映画『愛情の設計』『若い人』等、多数の主演を務めた。家紋の丸に三つ柏紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


川島なお美 。1960年11月10日 – 2015年9月24日、 タレント。
愛知県守山市出身。本名・鎧塚なお美。旧姓は川島。「お笑いマンガ道場」のレギュラーとして活躍。主な出演作は「イグアナの娘」「失楽園」等。広島国際学院大学客員教授、日本ソムリエ協会名誉ソムリエワインの騎士称号を持つ。家紋は丸に一枚柏紋。


池田貴族 。1963年5月8日 – 1999年12月25日、 ミュージシャン。
愛知県名古屋市出身。本名は池田貴。ロックバンド・remoteのボーカリストとしてシングル「NO!」でデビュー。音楽活動以外にも霊感タレントとしても、テレビ等に出演。『池田貴族 戦慄の心霊写真集』『霊的告白』等の著書がある。家紋は三つ柏紋。


北勝海信芳 。1963年6月22日 – 、 大相撲力士。
北海道広尾郡広尾町生まれ。本名は保志信芳。九重部屋所属。第61代横綱。通算成績:591勝286敗109休 勝率.674。幕内最高優勝: 8回。引退後は、年寄・八角信芳として八角部屋(高砂一門)を創設。北勝力、隠岐の海等を育てる。家紋は三つ柏紋。


長澤雅彦 。1965年2月28日 – 、 映画監督。
秋田県大館市出身。90年代には『ラブレター』『スワロウテイル』等の岩井俊二作品をプロデュース。代表映画は『はつ恋』『13階段』『夜のピクニック』等、代表テレビドラマは『なぞの転校生』。家紋の丸に三つ柏紋は、ご自身より直接うかがう。


黒田慶樹 。1965年4月17日 – 、 今上天皇の女婿。
黒田慶次郎の長男として出生。東京都庁職員。学習院時代は秋篠宮文仁親王の学友、清子内親王とご結婚される。天皇の皇女の結婚相手としては皇族・華族出身者でない史上初の人物。画像は黒田家の家紋である「柏」をあしらったボンボニエール。


坂井泉水 。1967年2月6日 – 2007年5月27日、 歌手。
神奈川県平塚市出身。本名は蒲池幸子。読みは、さかいいずみ。音楽グループZARDのボーカルとして歌手デビュー。代表作は『負けないで』『揺れる想い』『マイフレンド』等。メディア露出は一切しなかった。家紋は丸に三つ柏紋。画像は墓所にて撮影。


玉袋筋太郎 。1967年6月22日 – 、 お笑い芸人。
東京都新宿区出身。本名は、赤江祐一。ビートたけしに弟子入り。お笑いコンビ浅草キッドのメンバー。出演代表番組は「ゲームレコードGP」「平成教育委員会」など多数。一般社団法人全日本スナック連盟の会長をつとめる。家紋は丸に蔓柏紋。


北山たけし 。1974年2月25日 – 、 演歌歌手。
福岡県柳川市出身。本名は渡辺毅。北島三郎の次女と入籍。芸名の北山は、北島三郎の北と山本譲二の山を取ったものという。代表作は「片道切符」「男の出船」など。家紋は丸に三つ柏紋。シングルCD「剣山」のジャケットの紋付姿より判断。


相澤仁美 。1982年8月22日 – 、 グラビアアイドル。
東京都出身。Vシネマ「実写版まいっちんぐマチコ先生無敵のおっぱい番長タイマン勝負で、まいっちんぐ♪」に主演。家紋は丸に三つ柏紋。「家紋エブリバディ!」にて自身の家紋について告白。画像はその際の氏神一番との記念写真。


片山陽加 。1990年5月10日 – 、 アイドル。
愛知県出身。読みは、かたやまはるか。女性アイドルグループAKB48チームAの元メンバー。1980年代の「昭和アイドル」に詳しいためあだ名は「昭和」。自身のブログ「純情通り3丁目」にて自身の家紋は丸に熨斗剣柏紋であることを告白。


亀山政春 。1894年6月20日 – 1979年8月29日、 実業家。
NHK朝のドラマ「マッサン」の主人公。実直で勤勉な性格で、ウイスキー作りへの一途な情熱は周囲の人々を認めさせていく。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝がモデル。家紋の丸に結び柏紋は、法事(第4話)の時の紋付にて確認。


天野アキ 。1991年11月23日 -、 海女、アイドル。
東京都世田谷区生まれ。高校2年生の時に母親の生まれ故郷の北三陸へ引越し海女となる。その後、アイドル活動を始めるため、単独で上京。家紋の丸に三つ柏紋は祖父・天野忠兵衛の紋付より判断。ただし、実家の門には抱き波に天の字紋が掲げられている。

有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね

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