「怪~ayakashi~化猫」 何故、男は薬売りなのか?

怪~ayakashi~化猫」は2006年にフジテレビの深夜アニメ枠で放送された和風のホラーアニメである。
全11話のシリーズで、「化猫」の他、「四谷怪談」「天守物語」の二作品もあるが、ここでは特に、その中でも名作との誉れが高い「化猫」について語ってみたいと思う。

まずは、このアニメを観て、ほぼ全員が感じること。、それは絵の独特な美しさである。錦絵のような発色と構図、そして千代紙のようなテクスチャが使用されており、この凝ったアニメーションを観ていると、現代日本アニメの源流は江戸の町人文化にこそあったのだというような一言も言いたくなるし、何よりも、その仕事量の多さと仕事質の繊細さに圧倒される。
勿論、それらの色をふんだんに使用するため、武家の屋敷の中に、過剰な襖絵や歌舞伎の緞帳があったり、仕舞いには奥方が花魁のような髪型をしているなど、多少の無理はあったりもするのだが、「そんな指摘は、野暮だぜ!」とでも言いたげな外連味たっぷりの演出は、それはそれで許せてしまうから、勢いというのはどうにも怖いものである。
ただ一つ、野暮を承知で家紋主義者としての小言を言わせていただくならば、この坂井家の家紋が丸に井桁菱なのか、丸に釘抜きなのかが微妙なところが気になるのである。一般的に言えば、坂井というその名字からして丸に井桁菱が正しいのであろうが、例えば、屋敷の正面にかかった大きな暖簾が丸に釘抜きだったり、丸に井桁菱だったりと、時々ブレるもんだから、もしかしたら、このあたりは個々のアニメーターの裁量に任されていて全体のディレクションとしては「どうでもいい」点なのかとも想像してしまい、ほんの1ミリ位、残念なところではある。

さて、そういった絵画的な見所とは別に、僕が気にいったのは、このアニメの物語的構造。その凝った設定にあった。

一般的にいえば、妖怪退治モノの典型では、妖怪の出現に困った人々を、ヒーローが妖怪を退治することによって救うというものであろう。いわゆる単純な勧善懲悪モノである。
次に、これがちょっと複雑になると、妖怪にも妖怪の事情があるという”厚み”が加わる。
「ウルトラセブン」や「ゲゲゲの鬼太郎」など60年代~70年代の少年アニメの主題としてよく見られるのであるが、人間の業によって、普段は大人しい動物が怒り、妖怪化してしまうというパターンである。
「元はと言えば、悪いのは欲に目が眩んだ人間だが、しかし、かと言って人間に害を与える妖怪(怪獣)は退治されなければならない」というような話が、その典型である。

そして、一見、この「化猫」もそのパターンのようにも思えるのだ。それは、この物語で化け猫を退治する薬売りの男の以下のようなセリフにも現れている。

お前を為したのは 人ではあるが
人の世にある物の怪は 斬らねばならぬ

実は、この化け猫とは、大きな武家屋敷の隠し部屋で、そこの主人にてごめにされた女性の怨念が猫に乗り移った妖怪だったのである。
そして、この屋敷から嫁に出ようとしていた娘を殺し、今まさに、屋敷の住人全員を殺そうとしていた化け猫を、謎の薬売りの男が退治するというのが、このアニメの表向きの展開である。
しかし、この物語はそんな単純ではなかった。薬売りは、化け猫を倒すのに使う「退魔の剣」という武器を使用可能にするために、物の怪の正体を、そして、何故、物の怪がこのように暴れるのかを、剣に理解させなければならないという。それがこのアニメの設定なのである。
つまり、薬売りが化け猫を倒すためには、全ての真相が解明されなければならないのだ。

最初は、自分の罪状を軽く見せようと、(あるいは自己欺瞞によって)偽りの告白をする屋敷の主人であるが、当然それでは「退魔の剣」は抜けない。
ピンチに陥る薬売りであるが、ここで、不思議なことが起きる。
化け猫が、その薬売りを、自分の過去の記憶の世界に引き入れるのだ。そして、結果的には、薬売りと剣は過去の真実を知り、それによって、化け猫は、退治されてしまうのである。
薬売りは、真実を知った後、「退魔の剣」を抜き、化け猫に対して以下のように叫ぶ。

この地(血?)、この縁(えにし)に囚われるな!
清め払うぞ!赦せ!

つまり、薬売りは化け猫を倒そうとするのではなく、治そう(清め払おう)とするのだ。化け猫は、自らの過去を薬売りに吐露することによって、自ら進んで「退魔の剣」に斬られようとしたと見えなくもないのである。ここには、まるで、精神分析される患者(=化け猫)と精神分析医(=薬売り)との関係のようなものがある。おそらくこれがこのアニメの、判りにくくも、ユニークなところである。

あんたが殺されようが殺されまいがどうでもいい、俺はアレを切らねばならぬ。そのためにアンタの話が必要なんだ。

これは、男が、屋敷の主人から話を聞こうとする時に、主人に対して言うセリフであるが、このセリフからも理解できるように、この薬売りの男は、物の怪を退治して人間を救うことを目的としているのではない。物の怪化してしまった人間(+動物)を切開し、その魂を治癒することの方が目的なのである。
おそらく、男が剣士ではなく、あくまでも薬売りという、患者を治す職業なのはそのためである。

闘いが終わり、猫の供養も済んだ後、花嫁衣裳の女性と猫の霊が、この屋敷の敷居をまたいで楽しそうに外に出るシーンがあり、ジーンとさせるが、この世に不安や不幸をもたらす怨霊(成仏できない霊)に対して、その思いのたけを語らせることによって、最終的には成仏させる(自由にさせる)という構造は、まさに、世阿弥によって完成された日本の伝統芸能・夢幻能の構造と同じである。

そして、花嫁と猫と同時に、この屋敷で働いていた女中と若い武士も、これからの自分達の人生に向けて、この屋敷を後にするその結末は、あまりにもすがすがしい。もしかしたら、このホラー時代劇アニメの快感は、この一瞬のすがすがしさにあると言ってもいいほどである。
そして、重苦しい共同体的空気から抜け出た一瞬のすがすがしさは、例えばブラック企業から足を洗う新入社員の体験談を耳にするまでもなく、現在の日本社会にもまだ十分、リアリティのある瞬間であり続けているようにも思える。いいか悪いかは別にして。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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