ブラック・シュールな平成の日常系アニメ「みなみけ」

「みなみけ」の第一期・全13話を観た。
このアニメは、元々は、週刊ヤングマガジンに連載されていた漫画がテレビアニメ化されたもので、2007年10月~12月に放送されている。
主人公は、マンション暮らしの三姉妹(長女:高校2年生・春香、次女:中学2年生・夏奈、三女:小学5年生・千秋)で、一般的には、日常系ギャグアニメの代表作とも言われている。
とことが、このアニメは、冒頭、こんなナレーション(声は、このアニメに登場する三姉妹の三女・千秋)から始まる。

この物語は、南家三姉妹の平凡な日常を淡々と描く物です。
過度な期待はしないでください。
あと、部屋は明るくして、TVから3メートルは離れて見やがって下さい。

これを読んでいただくだけで、雰囲気はわかっていただけるかと思うが、このアニメ全般に流れている空気は変である。
ここに描かれているのは、確かに、日常の風景ではあるが、平凡な日常では決してない。それは、どこかシュールな日常なのである。

それでは、この「みなみけ」の”変さ”を最も端的に示しているエピソード、第5話「海に行こうよ」の前半部分を振り返ってみることにする。

連日、猛暑が続く夏のある日、次女・夏奈の提案により、海に行くことになった南家の三姉妹。水着を試着してみると、三人の水着のどれもがキツくなっていることに気付き、次女・夏奈と三女・千秋が水着を買いに行く。
ところが、水着も揃い、さて次の日は海へ行こうという前の晩、雨が降っている。問題はここからである。

一計を案じた次女・夏奈は、なんと三女・千秋をテルテル坊主のように簀巻きにして天井から吊るしてしまうのだ。
おそらく、普通のドラマであれば、母親役の長女・春香が「そんなことやめなさい!」とばかりに止めに入り、一件落着というところではないだろうか。
例えば、「サザエさん」で、カツオがタラちゃんを天井から吊るそうとしたら、サザエさんが絶対に怒り、カツオは大目玉を食らうことであろう。ていうか、いくらヤンチャなカツオだって、タラちゃんを吊るそうなどとはしないであろう。

ところが、この「みなみけ」は違うのである。
なんと、三女・千秋は次女・夏奈にテルテル坊主にされて天井から吊るされるだけでない。そればかりか、普段は優しく面倒見のいい長女・春香は、この虐待を見逃すどころではなく、「頑張って、千秋、明日のお天気はあなたに託すわ」と言い、平然としているのである。
しかも、その千秋は、「三日三晩、働き詰めでお疲れでしょう、雨雲さま、水不足に備えてしばしお休みになってください」と、雨雲に向って言うと、なんと、雨は止み、晴れてしまうのだ。
まぁ、千秋のセリフで雨が止むというところだけ取り出せば、ギャグとして無い訳ではないと思われるが、小学5年生の妹を、中学2年生と高校2年生の姉二人が天井から吊るすというのは、ギャグという以上。それは、むしろ、ブラック・シュールな世界と言われるべきものではないだろうか。

僕は今まで多くのアニメを観てきた。その中ではかなり荒唐無稽な世界観やSF的仕掛け、変なキャラクタも登場してきた。例えば、涼宮ハルヒは、その自己紹介において、「ただの人間には興味ありません!この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者が いたら、あたしのところに来なさいっ!以上!」という位、変な少女であったが、彼女の異常さは、周囲にいる例えば、キョンの常識的なツッコミによって、その都度、オチが付けられていたがゆえに、視聴者は安心してみることが出来たのである。
ところが、この「みなみけ」では、三姉妹とも、どこか変なので、いくつかのシーンで、上記のテルテル坊主の一件のような、まさに「宙吊り的シュール」が現出するのである。
おそらく、この突然、日常世界に現れる不安感こそ、このアニメの醍醐味に違いない!と僕はとりあえず納得した。

さて、このアニメのもう一つの特徴は、全話13話中、彼女達の境遇については全く語られないということである。つまり、何故、彼女達は三人で暮しているのか?父母はどうしてしまったのか?彼女達はどのようにして生計を立てているのか?などといった、普通であれば物語を理解するのに当然必要だと思われる疑問は全く回答されないまま、話が進むのである。

例えば、三人の性格を簡単に言うならば、長女・春香は、面倒見が良くおっとりしているし、次女・夏奈は愚かだが元気、そして三女・千秋は博識で頭がいいが毒舌である。
一般的に言えば、人間の性格形成には遺伝的(先天的)要因と社会的(後天的)要因によると言われているが、この三姉妹の性格から”逆算”しても、その要因にたどり着くことは難しいだろう。いや、むしろ、そうした”逆算”的詮索は、意味のないことなのかもしれない。

先ほども例に出したが、昭和の日常系アニメの代表作「サザエさん」のそれぞれの登場人物が、当時の典型的な主婦であり、旦那であり子供達であり、彼らの心情や行動パターンは何も考えずに理解可能であった。カツオやワカメは子供らしい子供であるし、波平やフネは大人らしい大人である。
ところが、この平成の日常系アニメ「みなみけ」では、そのいわゆる常識的な「らしさ」に対して抵抗するところで物語は成り立っている。特に、三女・千秋は小学5年生とは思えないほど、醒めた視線で世界を見ている。特に、次女・夏奈に対しての態度は辛らつだ。
例えば、以下は、第9話「三姉妹日和」での次女・夏奈と三女・千秋との会話である。

夏奈:お前は私のことをいつも、馬鹿というけど、本当はどう思っているのか、夜を徹して語り明かそうぜ。
千秋:あ~、そうか、それは私が至らなかった。言葉が足りなかった。
    いや、本当なら、お前がどれほどの馬鹿か、千の言葉を用いて罵ってやりたいところだよ。
    でも、いかんせん、私の舌はそんなに速くは回らないんだ。
    はがゆいよ。もっと言いたいことはあるのに。
    馬鹿野郎のひとことに気持ちを込めるしかないんだ。

おそらく、この三女・千秋のセリフに象徴されるシュールな言葉こそが、平成の日常系アニメというものなのであろう。

さて、最後に、このアニメを読み解く上で一つ気になったシーンだけ上げておきたい。それは第7話「いろんな顔」の図書館のシーンである。ここで次女・夏奈は、同級生の藤岡と偶然に出会うのであるが、その背景にある本から、この「みなみけ」が、どのような文学・映画作品を背景として出来上がっているのかを類推できるのではないかと思ったのである。
ちなみに、僕はアニメや映画で図書館が出てくるときは、必ず、そこに写っている本を確認することにしている。そうすると意外なことがわかってくるからだ。例えば、「恋空」という映画がある。その映画の冒頭近くで主人公・ミカが落とした携帯電話を図書館で見つけるシーンが出てくるが、そこに並んでいる「日々の泡」(ボリス・ヴィアン)、「花咲く乙女たちのかげに」(マルセル・プルースト)、「幽霊たち」(ポール・オースター)といった本が、実はこの映画を読む上で重要なヒントになっているのである。(ご興味のある方は、「恋空」ツッコミ所と絶妙な隠喩の微妙な混在参照してください)
それと同じように、このシーンの背景に顔を見せる「仮面の宣告」「太雪」といった作品名、小津高次郎といった著者名を見ると、「みなみけ」の三人姉妹は「細雪」の四人姉妹のパロディであり、このアニメに登場する南冬馬やマコトの性の揺らぎは三島作品の影響を思わせ、舞台がほとんどが和室(しかもローアングル)で少なくとも長女・春香と三女・千秋はいつも正座をしていることの遠因が、それとなく納得出来てしまうのであった。

まさむね

この作品以外のアニメ評論は、コチラからご覧下さい。

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